「人間学」がリーダーをつくる

参考

中国文学者 守屋洋氏

 社会人には2種類あると思います。一つは「社会を支えている人」で、もう一つは「ぶら下がっている人」です。

 「社会を支える人」になるために必要なのは、まずは人に対する優しさが大切で、これは宗教的な側面からも出てくることです。もう一つ、困難を物ともせずやり遂げるタフさ、たくましさも必要です。

 こうした精神の大切さは中国古典では、『論語』と『孫子』に書かれています。論語からは、信頼される社会人になるためにはどうするか、人に対する優しさを身につけた社会人になるにはどうしたらいいかを学べます。『孫子』では、逆境に強く、戦略・戦術も身につけた人材のあり方を学べます。

 

リーダーに必要なのは「無私」となる覚悟

 その上でリーダーになるためには、もう一つ必要なものがあります。企業弁護士として、何百人もの企業トップと付き合ってきた人がいます。彼は、「トップの条件を一言で言うと『無私』だ」と語っていました。 トップが自分のためにやっているということが見えると、危機が訪れた時、人は去っていくというのです。

 中国古典にも、「名君というのは、自己犠牲以外の何物でもない」という黄宗羲の言葉があります。トップには権力があり、何でもできる立場なので、いかに私欲を抑えられるかが、名君と凡君の違いなのです。

 私心をなくして世のため、人のために尽くすには、自己犠牲に耐える覚悟が必要です。 地位が上がるほどその覚悟を持たなければいけない。そうした精神を身につけるためには、宗教の役割も無視できないでしょう。

 

古典の知恵が日本を支えてきた

 こうした覚悟を備えたリーダーが減ってきたのは、日本の戦後の教育で、「修身」や「道徳教育」を押し付けだと毛嫌いしてきたことのつけが回っているのだと思います。 しかし、本来、「修身」とは人から押し付けられるものではなく、自分で自分を磨く自覚的努力を促すものだったはずです。

 自分を磨く上では優れた人物の生き方や知恵に学ぶことが欠かせません。ハウツー的なものでは、本当に厳しい状況に置かれた時には役に立ちません。

 人間の営み自体は、古来からそんなに変わっていないのです。「どうすれば部下にやる気になって頑張ってもらえるのか」という管理職の悩みは、3千年前にもありました。そうした問題と解決の記録が古典であり、歴史の本なのです。 自分の人生を自分で切り開く時に、古典の磨き抜かれた知恵は大変参考になります。これらは、今風に言えば、「人間学」になるかもしれません。

 中国古典は、中国より日本で広く読まれてきました。中国では支配層しか読んでいないのですが、日本では寺子屋でも『論語』くらいは教えていました。しかも先人たちの偉いところは、その知恵を鵜呑みにするのではなく、日本の伝統の中に上手に取り入れたことです。

 

人間の生き方にも原理・原則はある

 未来ある若者が外国に行って活躍する上でも、日本人としての自覚と誇りを持つことが必要です。日本の歴史や偉人について学び、自信を持ってもらいたいと思います。

 兵法に原則があるように、人間の生き方にも、あるべき原理や原則というのはあるのです。こうした基本や原則というものを大学の段階で教えておけば、社会人としての経験を積んだときに、その深い意味が分かるようになります。 それをどう現実の社会で活かすかは、それぞれの努力にかかってきますが、ここ最近、優れたリーダーが出てきていないのは、リーダーの心得を教えてこなかったからでしょう。

 幸福の科学大学では大きな理想を掲げ、しっかりと教育を行い、社会を支えていける人材、リーダーとなれる人材を輩出されることを願っています。

 

 株式会社小宮コンサルタンツ代表取締役小宮一慶氏

経営は正しさを求める「修行」

 経営がうまく行かない理由のほとんどは、「お金を儲けたい」など、顧客にとってはどうでもいことに集中するからです。結局はこうした欲との戦いになるので、経営は「修行」のようなものです。そのためには、日々の反省によって「儲けたい」という欲を「自社の商品やサービスを通じて社会を良くしよう」などという、大きな使命感に昇華できるかどうかが重要です。

 成功体験がある人は反省しにくくなりますが、反省できないのは、志のレベルが低いからかもしれません。高い志があれば、多少売り上げが伸びるくらいでは満足できないはずです。

 経営者がこうした正しい考え方を身につけるための「修行」をし続けることは、長期的な成功につながっていくでしょう。

 経営者個人だけでなく、企業レベルでも同じことが言えます。大川隆法総裁の『経営が成功するコツ』にも「ミッション経営」について書かれていますが、経営者は経営理念を練り込み、規模相応の経営をする必要があります。会社が大きくなると、仕事が複雑になるので管理業務が増えますが、管理そのものに集中してしまうと「お客様に喜んでもらう」という仕事の本質を忘れがちになります。社員が「正しさ」を見失わないためにも、企業理念が大事になってくるのです。

 考え方が浸透している組織は強いのです。宗教団体が強いのは、考え方が求心力になっているからであって、松下幸之助も、宗教団体を視察して理念の大切さに気づいた年を創業の年にしているくらいです。

 正しい経営の本質には、ある意味で宗教的なものがあると思います。宗教系の大学である幸福の科学大学で、成功する経営学を教え、日本を繁栄させる成功者をたくさん育ててください。

 

経営の目的は社員を幸せにすることと社会への貢献

 経営コンサルティング会社「フォスターワン」代表取締役坂上仁志氏

経営の経験がある先生が「経営」を教えて欲しい

 本来、泳げる人が水泳を教え、英語が話せる人が英語を人に教えるべきです。しかし、英語が上手に話せない人が英語を教えているのが学校の現状です。そうではなく、自分ができて初めて人に教えて欲しいのです。

 しかし、残念なことに、大学では鉛筆1本すら売ったことがない人が経営学を教えている場合もあります。 経営の「け」の字も知らない人が空理空論だけで経営を教えても、授業を受けている学生が本物の経営を学ぶことは難しいでしょう。

 経営コンサルタントの中でも、実務を全くしたことがない人のアドバイスは、キレイに聞こえるのですが、実効性が乏しい。実業を通じた実践から学ぶ実学こそが、本物のその人の力となるのです。泳げない人からより、北島康介から平泳ぎを教えてもらうほうがよいのと同じです。

 

哲学が経営上の判断基準になる

 経営において大切にしている視点は「心」「技」「体」です。「心」は経営理念や哲学を意味し、「技」は戦略、そして「体」が実践を指します。

 最も大切なのは「技」より「心」です。なぜ経営に理念や哲学が必要かと言うと、経営上の判断基準になるからです。

 一部の人たちは、経営理念がなくても、経営はできると言います。しかし、会社規模が大きくなり、創業から時間が経てば経つほど、創業者の強い「思い」が込められた理念がなければ、会社はうまくいきません。ある調査によると、理念の有無と業績の良し悪しには明確な関係性がある。つまり、経営理念を持つ企業ほど業績がよいのです。

 考えてみれば当たり前のことです。経営は人間が行うものですから、誰しも良い相手と商売をしたいし、だまされたくない。そうであるならば、自然の摂理に従い、自らが正しい経営をすれば、協力者や顧客は集まってくる。これが経営理念の根幹でしょう。正しい経営理念の上に、戦略と実践が加われば、成果を上げることができます。

 

経営には「利他」やイノベーションが必要

 そもそも、経営は何のためにあるのでしょうか。京セラの創業者・稲盛和夫氏は「全従業員の物心両面の幸福と、人類社会の進歩・発展に貢献する。これ以外に経営の目的はない」と言い切っています。結局は、人を幸せにすることに尽きます。それは「利他」ともいえます。

 「利他」は、経営で言えば「マーケティング」に通じます。自分だけよければいいという「利己」の発想から、相手の立場に立つ「利他」の発想に自分が変わる必要があるからです。マーケティングとは、自分が売りたい商品を売るのではなく、顧客がおのずから欲しがる商品・サービスを提供することだからです。このように、マーケティングを通じて、「人の心とはどのようなものか」を知ることができます。

 経営とは人が人を相手に行うものですから、心理学の要素が必要になります。 経営学部の中に、販売心理学や価格心理学があってもよいと思います。

 変化する消費者のニーズに対応し、実社会で使える学問であるためには、経営学自体がイノベーションをする必要があります。

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