現代経営学の欠点

 今の大学で経営学を勉強して、経営学なるものが何なのか分かるでしょうか。日本の大学で「優」を取ったとしても、それは経営ができることにつながらず、「その先生の学説を、よく理解し、暗記できたかどうか」にすぎない場合がよくある。これは日本の大学の学問の欠点である。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『知的青春のすすめ』で以下のように説かれました。

「私は大学で科目として経営学も取りました。試験があるので、いちおう、大学の先生の書いた教科書を読んで答案も書きましたが、教科書を読んでも、「経営学なるものが、いったい何なのか」ということは分かりませんでした。
 実際に組織を運営して初めて、経営なるものの正体が分かってきたのです。人を雇ったり、お金を動かしたり、建物を建てたり、出版社をつくったりと、実際に事業をやり始めたら、経営なるものの正体が分かってきましたが、大学で経営学そのものを習っても、どうしてもピンと来なかったんです。
 私が使った教科書は東大の教授が書いていました。岡本教授という企業経営の教授で、わりに有名な人だったんですが、「先生は経営ができるんですか」と訊くと、「私は、文献を読んで本を書いているだけで、経営ができるかどうか分からない」と言っていました。
 この辺について、アメリカは、仕事の経験のある人を大学に呼んだりしているので、確かに偉いと思います。日本の大学は、“象牙の塔”とも言われるように、人材を下から引き上げてくるので、仕事の経験をしないままで、けっこう教授になれることがあるのです。だから、日本の場合、学問的に役に立たないことが多いんですね。
 同じく経営学でも、ピーター・F・ドラッカーという人は、実際にGM(ゼネラル・モーターズ)などの企業にコンサルタントとして入った経験から、経営学の体系書をつくっています。ドラッカーには、抽象化して体系化する能力があったのでしょうが、彼の本には、やはり、役に立つところがありますね。
 「授業を聴いても分からなくて、勉強と自分とが遊離している」と学生が感じるのは、ある意味で、日本の学問の欠点であると思うんですよ。
 先生自身、経営や仕事のことを知らないまま教えているし、学生も、分からないのに聴いているようなところがあります。
 だから、答案で「優」を取ったからといって、実は、それが、経済が分かったり経営ができたりすることにはつながらなくて、「その先生の学説を、よく理解し、暗記できたかどうか」ということにしかすぎない場合がよくあるのです。
 私は大学では法律学や政治学を専攻したのですが、会社に勤めてから実際にタッチしたのは「経済」や「経営」関係でした。そうすると、経済関係の本やビジネス書を読んでも、「ああ、こういうことなんだな」と、その意味が分かってきたのです。
 最初は貿易実務の本あたりから読み始めました。それから、金融の本を読み出し、だんだん余力が生まれて、会社全体のことを考えるようになると、経営レベルの本に手を出すようになっていきました。そのころに、いろいろと勉強したものが、今、役に立っているんです。」
(134~140ページ)

経営と真理 へ

「仏法真理」へ戻る