松下幸之助と経営成功学

 「経営成功学」という言葉が出てきた背景には、松下幸之助の「真剣勝負」という考え方がある。

 「商売は真剣勝負」という言葉を言い換えたのが「経営成功学」という言葉なのです。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『「経営成功学の原点」としての松下幸之助の発想』で以下のように説かれました。

「本書では、私の勉強したことや経験したことも踏まえて、「『経営成功学の原点』としての松下幸之助の発想」ということを述べてきました。
 ほかにも影響を受けている方はいるので、また話をするチャンスはあると思いますが、今回、幸福の科学大学をつくるに当たって「経営成功学」という言葉が出てきた背景には、幸之助さんの「真剣勝負」という考え方があります。
 「やはり、『商売は真剣勝負』であり、一回斬られたら、それで終わりになる。一回も負けることはできないのだ。『全戦全勝しかない』と思って事に当たらなければいけない。結果的には失敗することがあるかもしれないけれども、それを、得意げに喜んではいけないのであって、『勝とう』と思って戦わなければいけない。斬られたら、そこで命を失うのだ」
 この「商売は真剣勝負」という言葉を言い換えたのが、「経営成功学」という言葉なのだということを、ご理解いただければ幸いです。」
(138~139ページ)

 

商売は真剣勝負

 勝負は時の運。勝つときもあれば、負けるときもあるとよくいわれる。しかし、松下幸之助は、こと商売においてはそんなことは許されないという。

 「商売は真剣なものである。真剣勝負で、首を撥ねたり撥ねられたりしているうちに勝つということはあり得ない。それと同じで、商売は、時によって損もし得もするが、それを繰り返しているうちに成功するものだと考えるのは根本的に間違っている。商売がうまくいかないのは、時勢でも運でも何でもない。その経営の進め方に当を得ていないところがあるからだと考えなければならない」と語っている。

 真剣勝負は一度負ければ、たちまち首が飛ぶ。まさに真剣勝負の気迫ある言葉である。

 この社長業の厳しさは、「商売は真剣勝負」であることと通じる。松下幸之助の有名な言葉である。

 「商売は真剣なんです。人のため、自分のために真剣にやるんだから、真剣勝負なんです。だから、真剣勝負で商売している以上、常に勝利を得なけりゃならない。真剣勝負であれば、チャリンと音がすれば必ず一方は傷ついているわけです。それと一緒やと。だから、得する時もあれば損する時もあるというようなことは許されないんです。それはなぜかというと、真剣勝負で負けるときは、首のないときや。それと一緒やと考える。」

 大川隆法総裁は、『「経営成功学の原点」としての松下幸之助の発想』で以下のように説かれました。

「私は、その行事の規模や布施の大小を問わず、いつもプロフェッショナルとしての真剣勝負と言うことを考えていました。つまり、「失敗したら、そこで命を落としても仕方がないのだ」という気持ちはあったのです。」(P-60)

 実際に勝負をかけた新商品が全く売れずに倒産し、社長が夜逃げや自殺に追い込まれるケースもある。そうしたリスクを抱えながら社業を伸ばしてきた創業社長であれば、「商売は真剣勝負」であることは実感の伴った現実であろう。

 経営成功学が単なる経営学ではなく、「成功」という価値判断を加えているのは、まさに「経営とは、常に真剣勝負で成功を追い求めるものである」という経営の現実を表現したものである。

 練習試合感覚で商売する人が継続して成功できるほど、経営は甘くないということである。

 

「真剣勝負の商売」を学ぶ「経営成功学」

「『経営成功学の原点』としての松下幸之助の発想」

物事は「思い」から始まる

 松下幸之助は、父親が事業に失敗して小学校を中退。9歳で親元を離れ、大阪で丁稚奉公に勤めた。16歳で大阪電燈に入社し、在職中に電球ソケットを考案した。その後同社を退社し独立。松下電器産業(現パナソニック)を、事業部制や連盟店制など独自の経営論により、一代で世界的な大企業へと育て上げた。

 不遇な境遇から、様々な困難を乗り越えて成功を収めた松下氏は、その経営のセオリーや哲学を講演や書籍を通じて日本に普及させた。その内容は、今も多くの経営者の糧となっている。

 大川隆法総裁は、松下氏の経営哲学を、「経営成功学」の原点の一つと位置づける。その上で、「幸之助さんの経営哲学を学んでいると、『成功を目指さなくては経営ではない』という感じが強く迫ってくるのです。やはり、『ただ経営すればよいというわけではない。成功しなくてはいけない。いや、成功するまでやり抜くのだ』という強い熱意を持っていなかったら、うまくいかないでしょう」と概説した。

 「成功を目指さなければ経営ではない」という姿勢を示すエピソードとして、「松下電器五ヵ年計画」がある。この計画は、5年間で生産額を約4倍に増やすという、あまりに大風呂敷なものだったために、社会は驚き、発表時には社員からも失笑を買った。しかし、社員たちも「社会に発表してしまった以上はやらねばならぬ」と一体となって努力し、なんと4年で達成してしまった。

 総裁は、世の中にはこの「思いから物事は始まる」という真実に合点がいく人と、安易な精神論や抽象論にしか理解できない人がいると指摘。そして、このシンプルな真理を理解した人物として、JALを再建させた稲盛和夫氏を挙げている。

 稲盛氏は、若いとき、松下氏の経営セミナーに参加した。その場で松下氏は、余剰資金をプールする「ダム経営」の重要性を訴えたが、会場から「どうしたらダム経営ができるのですか?」という質問が出た。その時、松下氏は「『こうしたらできる』とは言えないけど、とにかく、『ダム経営をしよう』と思わなかったらできません」という主旨の答えをした。ほとんどの参加者は、それを聞いてドッと笑った。しかし稲盛氏は笑わず、その言葉を真摯に捉えた。

 「売り上げを最大化し、経費を最小化すれば、利益が最大になる」という稲盛氏の経営思想には、一定の疑問があるものの、その後、京セラの経営で、約1千億円の余剰資金を生み、それを使って第二電電(現・KDDI)をつくった。思うことからスタートして、ダム経営を実践したのです。

 松下氏は無借金経営にも言及しているが、大川隆法総裁は、幸福の科学においてダム経営と無借金経営を実現させている。事業を行うには、最初に借入をして、3年くらいで黒字化させていくといったスタイルが多い。

 しかし、総裁は、最初の講演会で、紐で閉じた自前の小冊子を販売してつくった資金を元手に、徐々に拡大して現在に至る。幸福の科学の無借金経営も、「思い」があったから可能だったと振り返った。

 

真剣勝負の中で磨かれた「経営成功学」

 総裁は、さらに「『商売は真剣勝負』という言葉を言い換えたのが、『経営成功学』という言葉」とも述べる。

 剣術でも、道場で竹刀を合わせるのであれば、何回負けても構わない。しかし、真剣での勝負になったら、必ず、命懸けになる。一太刀を浴びれば、それで終わりだ。経営者も、そういう心構えが必要とされる。

言葉で聞けばわかるが、その必要性を本当に腑に落とし、実践するのは難しい。大川隆法総裁も、「失敗したら、もう後はない」という覚悟で毎回の法話に望んでいるという。その積み重ねによって、現在までの幸福の科学の発展もあった。

 総裁は、さらに、こうした真剣勝負の中で生まれた松下幸之助の経営のポイントを、幸福の科学の経営経験と重ねながら述べる。

 例えば、事業成功における「リピーター獲得」の大切さ。経営者が会社全体にその考え方を浸透させるために、「同じことを繰り返し言う」ことの価値。不可能に見える課題に対峙したときの心構え。松下氏が経営のコツとして答えた「雨が降ったら傘をさす」という言葉の意味。「公と私」に対する考え方などについて、分かりやすく解説した。

 経営には、独特の勘や人情の機微を知る心、汗を流してのち知恵を得る悟りが含まれる。真剣勝負の中で磨いた経営力は、いかなる精密な理論にも勝る。

 総裁が「経営成功学」にあえて「成功」とつけたのも、経営の厳しさを前にして必要なのは、精密な経営分析手法や難解な概念よりも、「成功しなければならない」という覚悟だということを経営の要諦と考えているからです。

 

経営成功学は「国家成長戦略」でもある

 総裁は、国家経営についても言及した。低迷する日本経済にあって、政府が補助金をまいたり、何かを主導したりする「大きな政府」型のやり方が取られることが多い。しかし、「国力を落とさないためには、やはり、個人個人が自立して戦わなければいけないのです。そういう『自助努力の精神』『自助論』を忘れてはいけない」と釘をさした。

 「経営成功学」という言葉に込められた、「思い」の大切さを国民が腑に落とし、真剣勝負の中で磨かれた経営のコツを学べることは、国家の成長戦略にもつながるものと言える。

 

公平無私の精神

「企業経営であっても、真剣勝負と同じようなことは起きるだろうと思います。「六十数人対一人」で戦わなければいけないような状況とは、「巨大企業」対「町の中小企業」のような戦いでしょう。
 あるいは、自分が恩義を受けた人と敵対しなければならないような局面が出てきたり、いろいろなライバル企業が出てきたりすることもあるでしょう。
 経営も、厳しい真剣勝負の世界です。ただ、そのなかに、「公平無私の精神」というものを、どれだけ持っているかが大事です。「ライバルに打ち勝ってでも、自分の企業が成功し発展していくことは正しい」ということを、自分自身に対して説得できなければいけません。「ライバル会社の製品のほうが自社の製品よりも良いけれども、自社の製品を売りたい」というような気持ちでは、なかなか勝てないのです。やはり、「自社の製品は良いものだ」と信じることが大事です。」
(『創造の法』)

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