撤退戦の考え方
撤退戦と言うと、「何もかもやめてしまう」という印象を持たれがちであるが、実際には2割ほどの撤退をすれば、ほとんどの問題は解決できると言われる。
つぶれたからと言って、企業の標準の力を百とすれば、八十ぐらいの力は十分に残っており、決して半分にまで堕ちてしまうことはめったにない。よほど下がっても七十までで、あとの二~三割がうまくいかず倒産するのが三割というところである。勝っても負けても差は紙一重。ほんの一割か二わりである。そのわずかの間で企業は勝負を争っているのだから、二割退却するか、売上を伸ばすかすれば、差を縮めて、なおかつ、差し引きプラスのお釣りが返ってきさえする。倒産を免れるどころか、勝者と敗者の逆転だって有り得るのです。
創業経営者の場合、積極的な考えの持ち主が多く、撤退を潔よしとせず、粘り抜く傾向があります。粘り抜くことで事態を打開できるケースもあるため、現実には撤退か続行かの判断は難しいものがあります。
しかし、撤退は必ずしも敗北ではなく、将棋の捨て駒のように次の勝利に向けた布石としての意味合いもあります。また、組織全体の維持発展のために、部分的に行う外科的な措置という意味合いもあります。
ただ、執着によって不振事業を手放すことができず、組織全体を崩壊させることのないように、冷静な判断が求められます。
幸福の科学大川隆法総裁は、『繁栄の法』で、経営不振に陥った場合の基本的な考え方を説かれました。
「不況期には、赤字の部門、不採算部門の人員や予算を若干締めて、強い部門をどんどん伸ばしていくことが大事です。
もっとも、赤字には健全な赤字、積極的な赤字というものがあります。いまは赤字であっても、将来は発展する可能性が高く、二、三年すれば黒字になって会社を支えるような部門があるのです。
こういう将来性のある部門、将来は黒字に代わることが見えている部門については、削らずに頑張り抜かなければいけません。これは先行投資です。
しかし、構造的な赤字部門は縮小していき、そこの予算や人員をシフトして黒字の部門を強化していく必要があります。
それから、不況期には投資の仕方が非常に難しく、一般的に言って、会社の売り上げの20パーセント以上の投資は危険です。この点を常に念頭に置いておくことが大切です。
欲望がふくらみ過ぎると倒産の原因になり、大勢の社員が路頭に迷うことになるので、起業家は非常に堅実な考え方をしなければいけません。」(P-198~199)
事業拡大の過程で不要な多角化をしてしまった部分や、いつの間にか生じた無駄な部分を縮小・撤退し、強みになる部分や将来の核とすべき事業に経営資源を集中していくことが基本戦略となります。
こうした成熟期における経営の考え方は、創業期とは違って、「守成」の考え方が大事になります。企業を継承し、維持し、発展させていくことです。
要は潰さないということですが、昔から「創業は易く守成は難し」と言われるように、大きくなった組織を維持するのは簡単なことではありません。
「守成の場合、帝王学として学ばなくてはならないことは、「自分の能力の限界を超えて経営をしていく場合に、チームをどう組み立てていくか」ということです。それをよく考えなくてはならないのです。
自分とは役割の違う、能力のある人を どのように組み合わせてチームをつくり、事業を継承していくか、自分の足りざるところを補い、意見を言ってくれる人材がいるかどうか、これが大事です。」(『「実践経営学」入門』P-63)
規模相応に仕事内容は変わっていきます。レベルも変わってくるし、言うことも変わってくる、商品も変わってきます。会社が大きくなってきたら、それに合った人材が必要になってきます。
花形部門からの撤退を決断できるか
集中戦略には、通常撤退戦略が伴います。経営資源は限られており、何かをやめなければ集中すべきところに資源を調達できないからです。
「やらない」という決断のほかに、既に行っていることを「やめる」という決断もあります。
「既存の仕事をやめることは撤退ですが、これは極めて難しいのです。
企業のトップは、たいてい自信家です。「成功した」と思って自慢するのは大好きでも、反省したり懺悔したり、「こうして私は失敗した」というのは大嫌いで、失敗を認めたくはありません。どちらかと言えば、「成功した話だけをしたい」と考えるほうなので、トップにとって撤退戦は やりにくいものなのです。
したがって、撤退戦をするには かなり勇気が要ります。しかし、真の自身が出てくれば、撤退戦ができます。周りの目が気になるうちは、なかなか撤退出来ないのですが、トップとして真の自身が出来たならば撤退戦が出来るのです。
撤退するには、「これは駄目だ。ここで多くの命を落とすよりは、戦力を次の戦いに回したほうがよい」というような考え方をしなくてはなりません。
しかし、世間体がありますし、内部の人たちの嫉妬感情と平等感情とが邪魔になって、撤退戦は なかなか出来ないものなのです。
特に、かつては収入をあげて会社に貢献した部署に対して「やめる」という決断をするに当たっては、トップにも執着が残ります。かつての花形で、「わが社を支えてくれた」と思える部署が、今では傾いてしまっていることがよくあります。また、その部署で かつては会社を支えた人材だったとしても、現在では仕事がうまくいかず、既に十分な能力がない場合もあります。こういうときには、惰性でその人を定年まで置いておき、「この人が辞めるまでは この部署を潰せないから、このまま残しておく。そうでなければ かわいそうだ」というような判断をしがちです。
しかし、それでは駄目なのです。そういう部署を残しておいては、会社が生き残れなくなってしまいます。」(『未来創造のマネジメント』P-64~66)
無能化した人材をどう扱うか
撤退する判断で難しいのは、人材に関する判断です。
「人生は、一生のうちに三十年や四十年は企業に勤めて仕事をするでしょうが、平均して十年ぐらいは輝く期間があるそうです。
ある人が輝いていたときに、「その人にとつて一番よい仕事」に全力投球してもらうのはよいのですが、輝きを失ったときに、その人をいつまでもそこに置くのはよくないのです。
トップは、ある人の仕事が無能レベルに入ったと思うならば、その人をそばに置いてはいけません。会社を辞めてもらうか、その人の現在の能力に合った部署に異動させなくてはならないのです。それを断行できなければ、その人の部下たちが みな死んでしまいます。全然やる気がなくなり、駄目になってしまうのです。
したがって、ある人が「無能レベルに達した」と思ったならば、やはり、その人に辞めてもらうか、その人の能力に合ったところに異動させるか、このどちらかを勇気を持って断行しなければなりません。
これをやらない人はお人好しであり、結局会社を潰してしまいます。これをやらなければいけません。そういう厳しい判断が問われるのです。」(『未来創造のマネジメント』P-66~68)
人材の無能化は特殊な現象ではありません。基本的に能力の限界は誰にでも訪れます。教育学者のローレンス・J・ピーターが発見した「ピーターの法則」というものがあります。
「階層社会では、全ての人は精進を重ね、おのおのの無能レベルに到達する。」
階層のある組織の中で昇進を続けていけば、どこかで能力の限界が来ます。これを放置すると、最終的には無能化(能力の限界)に達した社員ばかりになってしまうです。
また、トップ自身が限界を迎えるケースもあります。
光明思想と撤退戦
光明思想を持っていると、撤退を全面的な敗北ととらえてしまい、心理的抵抗を覚えることがあります。また、「甘い考え方」や「お人好し」な判断で、なすべきリストラが出来なくなることがあります。
経営再建における撤退戦は、多くの場合、一種の修羅場になります。リストラをすれば、社員やその家族から罵声を浴びることもあります。一つの事業をやめれば、取引先から批判されます。商品を削れば、顧客からクレームが来るでしょう。場合によっては、マスコミに叩かれることもあります。そんな修羅場のなかで、断固として撤退すべきものから撤退しなければなりません。
「お人好し」であるために、厳しい判断が出来なかったり、「きっと何とかなる」と気軽に構えていたりすると、組織が全滅してしまうことになりかねません。危機的な状況においては厳しい判断が求められるのです。
「事そこに至っては、敗戦処理をしなくてはいけません。「会社をいかに上手に閉めるか」ということを考えなければいけないのです。上手に閉めることが出来た人は自殺せずに済みます。
ところが、閉め損なった人は、自殺したり、一家心中になったりすることがあるのです。
したがって、勝つことばかりを考えるのではなく、撤退戦というものがあることを知らなければいけません。被害をどれだけ食い止めるかが大事です。撤退して被害を食い止めれば、もう一度戦力を立て直すことができるのです。ところが、それをしないと全滅してしまうことがあります。
「長く勤めた社員に申し訳ない」ということで、何とか会社の存続を図ろうとして、借金に借金を重ねて生き延びようとする人がいます。しかし、そういうときには、「社員全員が生き延びることは出来なくても、社員の八割が生き延びる方法があるのではないか」という考え方もあるはずです。
八割が生き延びるためには どうしたらよいでしょうか。閉めるべき部門や切るべき商品、閉めるべき商品があるでしょう。返すべき借金もあるでしょう。
このように、「八割でも生き延びることは出来ないか」という考え方も大事です。全員が生き延びることを考えて、かえって潰れてしまうこともあるのです。
智慧を尽くして、撤退のための戦略も立てないと、ただただ負け戦に入っていき、自殺という結果になることも多いのです。この世的な智慧も、使うべきところは使わなければいけません。
「最後は破滅すればよい」という理論は、やはり避けるべきです。生きてこその人生であり、生きてこそ立て直しも出来るのです。過去に失敗が多かったとしても、やり直しは可能なのです。
最終的に自殺したり、一家心中になったりするぐらいならば、その前に やるべきことがあるのではないでしょうか。そう考えれば、確かにやるべきことはあるのです。そこまでの状態になる前に、「あれはやめておけばよかった」「これをしなければよかった」ということは いくらでもあるはずです。
そのように、やれるだけのことはやって、撤退をしなければいけません。」(『智慧の経営』P-151~154)
また、大川隆法総裁は、『大悟の法』で以下のように説かれました。
「次々とお金を借りて歩くのがいちばん危険なことなので、それはいいかげんにやめて、会社をつぶすことを考えなければいけません。会社をつぶさないことばかりを考えているから、いろいろと、よくないお金を借りて、返せなくなっていき、苦しむのです。「いっそ、きれいに会社を整理しよう」と思えば、生きる道がまたあるのです。
世の中には、会社を倒産させても、次には成功する人もいます。何度も倒産させても、最後に成功する人もいます。また、倒産を経験し、会社の経営からは手を引いて、堅実な勤め人になる人もいます。生き方はいろいろありますが、苦し紛れの行動をして被害を大きくしないようにすることが大切です。
一か八かの勝負をするのではなく、被害を小さくすること、どのようにして生き延びるかということを考えなければいけません。
まず、自分と家族を護ることを考えてください。それが大事です。
事ここに至っては、敗戦処理をしなくてはいけません。「会社をいかに上手に閉めるか」ということを考えなければいけないのです。上手に閉めることができた人は、自殺せずに済みます。ところが、閉めそこなった人は、自殺したり、一家心中になったりすることがあるのです。
したがって、勝つことばかりを考えるのではなく、撤退戦というものがあることを知らなければいけません。被害をどれだけ食い止めるかが大事です。撤退して被害を食い止めれば、もう一度、戦力を立て直すことができるのです。ところが、それをしないと、全滅してしまうことがあります。
知恵を尽くして、撤退のための戦略も立てないと、ただただ負け戦に入っていき、自殺という結果になることも多いのです。この世的な知恵も、使うべきところは使わなければいけません。
「最後は破滅すればよい」という論理は、やはり避けるべきです。生きてこその人生であり、生きてこそ、立て直しもできるのです。過去に失敗が多かったとしても、やり直しは可能なのです。
最終的に、自殺したり、一家心中になったりするぐらいならば、その前に、やるべきことがあるのではないでしょうか。そう考えれば、確かに、やるべきことはあるのです。そこまでの状態になる前に、「あれはやめておけばよかった」「これをしなければよかった」ということは、幾らでもあるはずです。
そのように、やれるだけのことをやって、撤退をしなければいけません。」(102~109ページ)
既存の仕事をやめることや不採算部門を切り捨てる判断をすることです。
通常、集中戦略と併せて行います。不況期に赤字部門を切り捨て、黒字部門や将来の成長分野に経営資源を集中させるケースが一般的です。撤退戦が出来ないと、会社が倒産に追い込まれたり、経営者が自殺に追い込まれたりします。これは防ぎたい事態です。
「8割でも生き延びることは出来ないか」という考え方も大事です。全員が生き延びることを考えて、かえって潰れてしまうこともあるのです。
智慧を尽くして撤退のための戦略も立てないと、ただただ負け戦に入っていき、自殺という結果になることも多いのです。