構想力
構想力を持つ
幸福の科学大川隆法総裁は、『経営入門』で以下のように説かれました。
「全体の枠組みやシステム、業務の形態など、全体的なビジョンを描く力というものが非常に大事です。
この構想力を持たなければなりません。ルーティン業務に埋没し、作業に熱中しているような人は、経営者として失格です。
とにかく、「忙しい」「疲れた」というのが口癖で、事業としての構想やビジョンをつくれない人は駄目なのです。
構想力は、経営理念とはまた別なものです。経営理念は会社の旗印ですが、構想というのは事業の具体的なあるべき姿です。経営者は、「どのように仕事を事業化し、どのような規模にするか、そして、どの方向に進めていくか」という構想を練らなければなりません。」(P-243~244)
ここで言う「事業の具体的なあるべき姿」を考える際に、一つには「事業の定義」をすることが必要である。ドラッカーは、事業の定義について意思決定をしないことの危険性を こう指摘している。
事業についての有効な定義をもてないことは危険信号である。市場や顧客と無関係に事業を行っていることになる。さらには、共通の知識や労力の相乗効果を実現する真の多角化ではなく、知識や労働とは関係のない分散を行っていることになる。
有効性という要件を満たさない事業の定義は、そもそも間違った定義である。しかし、それを知るための方法は経験しかない。
事業の定義とは、3つの問に対する答えを集約したものである。
・わが社の事業は何か
・わが社の事業は何でなければならないか
・わが社の事業は何にならなければならないか
事業の定義とは、目的を確立し、目標と方向を設定すべきものである。それは、いかなる成果に意味があり、いかなる評価基準が真に適切かを定めるものである。
事業のあるべき姿に関連して、一倉定氏は、経営者が描くべきビジョンについて、次のように記している。
未来像には、基本的なものが少なくとも3つある。まず、第一には、「どのような事業を行うか」ということであり、第二には、その「事業の規模をどのようにするか」ということになる。そして、第三には、「社員の処遇をどうするか」ということである。
どのような事業を行うか、その事業構造をどうするか ということこそ、自らの経営理念を具現するための最も基本的な決定といえよう。
さらに、経営理念との関連において、次のようにも指摘した。
社長の経営理念は、言うまでもなく、社長ただ一人の思索に基づいて生まれるものであり、当然のこととして、わが社の未来像も社長の頭の中だけで出来上がっていくのである。経営計画の段階になると、役員との討議が入ってくる。この場合に、社員を参画させてはならない。経営の基本的決定は、結果責任を持つ者の責任において行われなければならないからである。経営責任のない社員を参画させるのは間違いなのである。社員を参画させても、社員は全体的な立場などは分からないし、考えてもみようともしない。その意見は、社員自らの立場からの発言になる。それよりも、社員の意見を訊かなければ経営計画を立てられない経営者にこそ、大きな問題がある。
経営者のアイデア
学者や作家が求めるようなシーズ(種子)は、着想・アイデアとしてはおもしろくても事業経営に使えない。経営者は、ニーズ(需要)を求める必要がある。
個人で仕事をしている人と違って、経営者が出すべきアイデアは、市場のニーズ、企業の目的に合っており、しかも必ず利益を生むものであることが必要である。
したがって、アイデアが豊富というのは大事なことであるが、経営者は、限りなく一点に集中し、収斂していくような思考、一定の目的性に対して集中していくような思考でなければならない。
大川隆法総裁は、『常勝の法』で以下のように説かれました。
「インスピレーションを受ける体質のなかには、たとえば芸術家的な体質や学者的な体質があります。この場合は、きわめて個人的なひらめき、インスピレーションなのです。個人的に自分が関心のあることについて、インスピレーションが降ってくるのです。
「学者は、シーズ、種子を求めている」とよく言われます。学者というのは、書く種、論文の種、研究の種を求めて、いつも考えているわけです。あるいは、作家などもそうでしょう。書く種、シーズ、種子を求めています。
ところが、「経営者は、シーズ、種子ではだめだ」とよく言われます。必要なのはニーズ、需要であって、シーズ、種子ではないのです。「何を求められているか」ということです。経営者は、それに対する答えを出さなければいけないのです。
したがって、自分の興味本位の、個人的な関心の範囲でのシーズのほうを求めすぎると、着想、アイデアとしてはおもしろくても、残念ながら、事業の経営には使えないことがあります。
芸術家や小説家、学者など、仕事が個人的な作業である人の場合は、もちろん、アイデアが個人の生活に影響するため、アイデアがおもしろくて、絵が売れたり小説が売れたりすることは大事なことです。ただ、その場合は、経営のレベルが、あくまでも自分と家族が食べていける範囲ぐらいに納まっているため、そうした強い個人的関心の下にシーズを集めて仕事をすることができるのです。
ところが、事業経営者はそれでは済みません。
一定の事業目的があり、五十人、百人、三百人、五百人、千人、一万人という大勢の従業員がいて、事業を営んでいます。それぞれの会社に一定の目的があり、一定の企業カルチャーがあります。そして、商品、製品というものを生み出しています。
そうすると、経営者が出すべきアイデアというのは、個人で仕事をしている人のアイデアとは違ってきます。あくまでも、市場が求めているものに対する答えを出さなければいけないのです。そういう意味で、市場のニーズに合ったものでなければいけないし、企業の目的にも合っていなければいけません。
さらには、そのアイデアを現実化する過程において、組織を動かす必要があるので、経営者は組織を使えなければいけません。
そして、そのアイデアは必ず利益を生むものであることが必要です。
企業においては、利益を生むものでなければ、仕事として継続することはできません。事業目的のなかには、利益を得ることも入っています。その利益は、多くの人たちの生活を支えている、生活のコストでもあり、将来の発展のためのコストでもあります。そのため、利益を生まない仕事というものは、企業体のなかにおいては続かないことになっているのです。
したがって、アイデアが豊富であるということは非常に大事なことですが、経営者という観点に立てば、それは限りなく一点に集中し、収斂していくような思考、一定の目的性に対して集中していくような思考でなければいけません。」
事業経営には、アイデアの絞り込みが必要であり、考えをくり返し煮詰めていって、使えるものにしていくことが大事である。
ある程度、考えを煮詰めたつもりでも、すぐに実行する前に、適当な相談相手に問いかけてみて、アイデアを投げたり戻したりしているうちに、さらに煮詰まってくる。
経営にかかわる人を多く持つことは無理な組織体でも、1人や2人、あるいは3、4人程度の相談相手は持ちうるので、くり返し考えを煮詰めていくという作業をすることが大事なのです。
「事業経営ということに関しては絞り込みが必要であり、「それが現実に使えるか。役に立つか。現実化できるかどうか」という考察を重ねなければいけません。考えをくり返しくり返し煮詰めていって、使えるものにしていくことが大事なのです。
そして、ある程度、考えを煮詰めて、「これでいけるかな」と思っても、ストレートに実行せず、適当な相談相手に、「これをどう思うか。このアイデアでできるか」と問いかけてみることです。そうすると、「過去にこのようなことをしたけれども、うまくいかなかったことがある」「こういうところに難点がある」など、いろいろな意見が出てきます。
こうして、アイデアを投げたり戻したりしているうちに、だんだん煮詰まってくるものがあります。それは、実現するものもありますし、実現しないものもあります。このように、アイデアをふるい分ける必要があるのです。
これはちょうど、シャーロック・ホームズとワトソンの関係にたとえることができます。彼らの場合、言葉のキャッチボールをしていくなかで、推理が進んでいくというかたちですが、同じようなことが実は事業経営にも言えるのです。アイデアを出す人と、それを受け止めて意見を言う人がいて、だんだん煮詰まっていくわけです。
自分で企業をつくった経営者は、発想、着想が非常に豊かな人であろうと思うのですが、そのアイデアを事業化するためには、一定の目的性を持って、「現実化が可能かどうか」という絞り込みをすることが必要です。
それをするためには、やはり、相談の相手を一人ないし二人、あるいは数人持っているべきであり、アイデアを具体化する前に、それを投げてみて、相手の意見を聴いてみる、あるいは顔色を見てみることです。いろいろとキャッチボールをしているうちに、アイデアがだんだん煮詰まっていくのです。
自分の頭のなかだけで考えつづける、考え抜くということも大事なのですが、それだけでは、場合によっては空想や妄想になることもあるので、それを現実に口に出したり紙に書いたりしてみることです。
そういうかたちで、経営レベルの話のできる第三者に、そのアイデアを投げてみて、何度もキャッチボールをしているうちに、だんだん煮詰まってくるのです。こういう過程は必要だと思います。
もちろん、企業の規模が小さいうちは経営者一人の判断で充分ですが、ある程度以上の大きさになると、現実化する過程が非常に難しくなるので、そういう意味で、キャッチボールをしながら考えを煮詰めていくということも大事なのです。
常に自分で考えつづける作業をし、考え抜き、さらに、考えたことを実地に移すに際しては、経営レベルの相談ができる人と、ある程度、意見交換をしながら、現実化が可能かどうかを考えていくのです。そういうアイデアの煮詰め方が大事です。
もちろん、何千人も何万人も社員を擁する大企業になれば、何十人もの役員がいて、まるで政治さながらに、役員会議で投票して議決したりしています。そういうレベルになると話は少し違ってきます。
しかし、そこまで行かないレベルの組織体であれば、経営にかかわる人を多く持つことは無理でも、一人ないし二人、あるいは三、四人程度の相談相手は持ちうると思うので、そのようにして、くり返し考えを煮詰めていくという作業をすることが大事です。」
アイデアマンの社長は、謙虚さを忘れないこと。
威張ってばかりいると良いアイデアが浮かんでこなくなるし、誰も忠告をしてくれなくなる。
また、仕事上の敵ほど良い先生はいないので、その攻撃してくる点をよく見て、その部分を反省して対応しなければならない。
大川隆法総裁は、『創造の法』で以下のように説かれました。
「ワンマン型の中小企業の社長は、アイデアマンではあろうと思いますが、どうか謙虚さを忘れないようにしてください。
経営者は、すぐ“天狗”になってしまうのです。どんな小さな会社の社長であっても、「社長」という肩書が付くと威張っている人が多いのですが、威張ってばかりいると、あまり良いアイデアが浮かんでこなくなります。
謙虚な人には、水が高い所から低い所へ流れてくるように、いろいろな人から情報が入ってきたり、いろいろな人が意見を言ってくれたりします。したがって、経営者は謙虚でなければいけません。
天狗になって威張っていると、誰も忠告をしてくれなくなりますし、その会社にとって有利な情報があっても、「あそこの社長は威張っているから、教えるのはやめておこう」というように、誰も情報提供などをしてくれなくなります。
発展したければ、謙虚になり、人の言葉に耳を傾ける態度を取らなければいけないのです。
確かに社長は偉いかもしれませんが、人間は、偉くない人であっても、偉い人に意見を言うことができるものなのです。
それはアメリカの大統領選を見れば分かるでしょう。大統領より偉くない人たちが大統領を選び、また、批判もしています。普通の人でも、「あの候補をどう思いますか」とインタビューを受けたら、「あそこがおかしい。ここがおかしい」と意見を言うことができます。そして、そういう意見を総合した結果として、大統領が選ばれていくのです。
会社の場合も同様です。この世的にはそれほど偉くない人であっても、社長に対して意見を言うことはできますし、批判もできます。社長にはなれないような人でも、参考になるような良い意見を言ってくれることはあるのです。
特に、心をもう一段大きく持てば、「ライバル、あるいは敵だと思うような人ほど、自分のことを本当によく知っている」ということが分かります。その意味で、敵ほど“良い先生”はいないのです。
もし仕事上などで敵と思われる人が出てきたら、それは、とても良い先生なので、その敵が攻撃してくる点をよく見ることです。まさしく、あなたの弱点、欠点のところをズバリ突いてきています。その部分は、反省するか、改めるか、あるいは、それを乗り越えるために別の長所を開発しなければいけないところなのです。
アイデアを枯れさせるものは、最終的に、アイデアマンを自称している社長自身のうぬぼれの心なので、どうか気をつけてください。「社長」の肩書が付いていると、その人が出したアイデアに対しては、誰も、「良い」とも「悪い」とも何も言ってくれません。そのため、アイデア自体が古くなったり枯渇したりしていても、チェックする人がいないのです。
したがって、批判や意見を喜んで受け止める努力をし、自らをそういう器に変えていかなければ、それ以上の発展は望めません。
これは、会社の社長だけでなく、画家や写真家、歌手などの個人業でも同じです。」
「アイデアが豊富であるということは非常に大事なことですが、経営者という観点に立てば、それは限りなく一点に集中し、収斂していくような思考、一定の目的性に対して集中していくような思考でなければいけません。
それをするためには、やはり、相談の相手を一人ないし二人、あるいは数人持っているべきであり、アイデアを具体化する前に、それを投げてみて、相手の意見を聴いてみる、あるいは顔色を見てみることです。
常に自分で考えつづける作業をし、考え抜き、さらに、考えたことを実地に移すに際しては、経営レベルの相談ができる人と、ある程度、意見交換をしながら、現実化が可能かどうかを考えていくのです。そういうアイデアの煮詰め方が大事です。」(『常勝の法』)
「自社の社員が一生懸命に働いている姿を見て、「何とか報いたい」という気持ちを持つことです。経営者として、そういう気持ちを持っていなければ、大手の有名企業や一流企業などとぶつかったときに、相手の会社の格などに、どうしても負けてしまいます。
ときには、一流企業の若いエリート社員が、中小企業の社長に対して、軽くあしらうような態度で、偉そうにものを言ってくることがあります。
そのようなときには、自分の会社で汗水垂らして働いている従業員のことを考え、社長として真剣勝負で臨まなければいけません。「若造が何を言うか。私は命懸けでやっているんだ。社員五十人とその家族の生活がかかっているんだ。おまえたちなどに軽くあしらわれてたまるか」という感じで、念力を込めてドーンとぶつかることです。
本物の経営者は真剣勝負でぶつかっていくものです。そして、そのなかに創造的なアイデアが出てくるものなのです。」(『創造の法』)
経営者は考えるのが仕事
「経営者は、使われている人とは違い、たとえ休んでいるように見えても、実は仕事を続けています。「考える」ということが仕事なのです。構想する力が大事です。
土日であっても、経営者に休みはありません。経営者は考え続けているはずです。土日に何も考えていないのは、使われて月給をもらう人たちであり、彼らは休日には休んでいます。しかし、経営者、あるいは経営管理者など、トップに近いところまで来た人であるならば、休みの日であろうと、心から離れないものがあるはずです。
仕事のビジョン、全体の構想を繰り返し考え、つくり出していく力が必要です。」(『経営入門』P-244)
スターバックスジャパンのCEOを務めた岩田松雄氏は、「会社は何のために存在するのか」を「ミッション」という表現で社員に浸透を図っていた。そして、次のように訴える。
「ミッションは、一度構築したら終わりではない。働き続ける限り、いや生きている限り、ずっと考え続けるものであり、また考え続けることが大切。」
考えることには付加価値がある
「よい仕事をしたければ、毎日「どうすれば、もっとよい仕事ができるか、どうすれば、もっとよい結果がだせるか」と考え続けなければなりません。
やがて行き詰ったならば、イノベーションを行ない、それまでのやり方を捨て、新しいものを生み出します。そして、また考えます。このように考え方を重ねていくことが大切なのです。
商店の経営でも同じです。八百屋であれ、たばこ屋であれ、ただ漫然とやっていてはだめです。やはり考えなければいけません。「どうすれば、もっとお客さんを呼べるか。どうすれば、もっとお客さんに喜んでもらえるか」ということを考えていけば、そこに創意工夫が表れてくるのです。
結局、事業が発展し、成功するためには、「考えを練る」ということが非常に大事なのです。
これは、魚屋や八百屋でも同じです。たくさんのお客を呼ぶためには、店の人たちが考えを重ねていかなくてはなりません。ただ単に店を開けて待っているだけではだめです。考え続けていくと、道が開けてくるのです。
「考える力は非常に大きな付加価値を生む」ということを知ってください。」(『繁栄の法』P-62~65)
論理を立てる訓練
直観力は必要だが、それだけでは事業は大きくならない
「経営者には、能力が高くて才能のある人が多くいます。アイデアマンであり、インスピレーションや直観力が豊かで、感性的な人が比較的多いのです。「勘が鋭く、洞察力がある」というのは、とても優れた長所です。「ひらめきがあり、感性が豊かで、直観が鋭い」ということは、経営者として持つべき能力です。
しかし、それだけでは事業が大きくはなりません。前述した「経営理念がない場合」と同じようなことが起きるからです。「トップが、どのようにひらめくか」ということは部下には分からないため、経営がトップのインスピレーション任せ、トップの気まぐれに左右されやすいのです。
ほとんどの起業家は、「思い付きが次々と出てくる」という特質を持っていますが、そのなかで、できるだけ努力して、一定の論理をつくり上げる訓練をしなければいけません。
「このような、ものの考え方をしたい」「こういうときには、このように考えたい」という、ものの考え方や筋道、合理性といったものを、できるだけ努力してつくっていくことが大事です。」
「インスピレーション豊かな経営者であれば、論理を立てても、そのようなものは頻繁に変わるでしょう。しかし、それでも努力して論理を積み重ねる練習をしていくと、しだいに物事の道筋のようなものができてきます。「会社として、こういう場合には、このようにする」という道筋が次第にできてくるのです。そうすると、社員たちも、その論理に合わせて仕事をし始めます。それはちょうど電車のレールのようなものです。
電車は砂利道を走れませんが、砂利の上に二本の鉄のレールを敷くことで、その上を電車はスムーズに速く走ることができます。このレールを取り去ったならば、がれきのような尖った石がたくさん撒かれた道を電車は走ることができません。
会社も、自然のままで放置すると、砂利道を電車が走らなければならないような状態になります。電車にとってのレールに相当するものが、経営における論理なのです。
経営における小さな論理は、一本のレールのようなものです。その都度その都度、物事の考え方、仕事の組み立て方、判断の仕方というものを、できるだけつくろうと努力すべきです。それがつなぎ合わさっていったときに、やがて「企業文化」として残っていくようになり、それに基づいて社員が判断をするようになるからです。(『経営入門』P-245~249)
矛盾する能力を両立させる
しかし、アイデアがひらめく直観力と論理を組み立てる能力は、別の能力であるため、現実の経営者にとって両立は難しいという問題がある。
「着想が豊かで、いろいろなアイデアがひらめく直感的な人は、一見、優れた人に見えますが、その能力と「論理を組み立て、レールを敷いていく」という能力は少し違ったものです。どちらかといえば矛盾する能力だと言えるでしょう。
この矛盾して両立しにくい能力を両立させた者のみが、偉大な会社をつくることができ、両立させることができなかった者は、どこかで敗れていきます。
経営者が豊かなインスピレーションに任せた仕事をしているだけでは、企業は一代で終わってしまいます。反対に、ガチガチのルールをつくった場合には、役所や既存の大企業のようになっていき、企業は発展しません。それでは創業期の企業として成立しないでしょう。
さまざまなアイデア、着想が豊かでありながら、同時にレールをつくる努力をしていった経営者の企業のみが急成長し、大きくなっていきます。
これは矛盾する力なので、両立させるのは大変ですが、その重要性を知っていなければできないことです。」(『経営入門』P-249~250)