経営者は痛みを伴う判断を迫られる

 幸福の科学大川隆法総裁は、『経営入門』で以下のように説かれました。  

「会社の経営においては、さまざまな人間関係や仕事の方針などが絡み合い、葛藤が生まれます。人が集まれば必ずそうなります。仕事についての意見が分かれたり、人間関係に好き嫌いがあったりします。

 事業の成功・不成功の見通しについても、神ならぬ身ではそう簡単に判断できません。判断するということはつらいことです。

 経営者には、こういう決断や判断の場面が必ずでてくるため、全ての人にいい顔をすることはできなくなります。それは絶対にできないのです。もし、全ての人にいい顔をしたならば、社員がさまざまなことをワアワアと言っているだけで、「船頭多くして 船 山に登る」といった状態になり、どこにも進めなくなり、猿山の喧嘩のようになっていきます。経営者は、ボス猿として会社をまとめていかなければならないのです。

 この世的な善悪、あるいは宗教や道徳による善悪の判断とは違うかもしれませんが、経営理念や経営者としての大きなものの考え方に基づいて、企業のなかで、その都度「取るべきもの」と「捨てるべきもの」を必ず決めなければいけなくなります。

 この判断には痛みが伴います。経営者個人にも痛みがありますが、組織のなかにも痛みが出ます。選ばれるほうが少なく、捨てられる側の数のほうが多いので、気をつけないと、マイナスのほうが大きくなる可能性があります。

 ただ、嫌がれたとしても、経営者は判断をしなければいけません。」

「痛みを伴う判断をすべきときに決断ができなければ、基本的には経営者が責任を回避したことになります。そういう人を経営者や経営管理者として戴いている部下は大変です。いつも責任から逃避し、「よきに計らえ」と判断を下の者に投げられたのではたまりません。

 判断には必ず責任が生じるので、責任を取れる人が判断をしてくれなければ困るのです。」(P-255~258)  

 

「経営者がお人好しだと、内部的には適材適所ができません。「この人はこの仕事に向いている」「この人はこの仕事に向いていない」という判断をするのは非常に勇気の要ることなのですが、お人好しだと その判断ができないのです。

 つい、気の毒に思って、「この人は年を取っているから、重役においておかなければいけない」「この人は50歳を超えたから、部長にしてあげなければいけない」などと考えてしまうのですが、実際に仕事のはどうかというところを問い切れないわけです。

 このように、情に流されると、間違った判断をして、倒産の危機を招くことがあります。

 外部との関係でも、お人好しだと騙されることがあります。特に不況の時期には、藁をもすがる気持ちで、うまい話に飛びついてしまい、騙されて失敗することがあります。これがお人好しの経営者です。

 したがって、「責任ある立場にある者にとって、見通しの甘さやお人好しは悪である」ということを知らなければいけません。楽観主義は危険なのです。」(『「理想国家日本の条件」講義』(P-45~46)

 

判断を間違っても判断をしないよりはよい 

 しかし、現実問題として、経営には判断の難しいケースは多い。その場合、先延ばしせずに判断する方法はあるのでしょうか。

「もし間違った判断をしたとしても、判断をしないよりはよいのです。上の人が判断をすれば、下の人は安心してついていくことができます。当然、判断を間違うことはあるでしょうが、それでも判断をしないよりはましです。勿論、判断が間違っていた場合は、責任を取らなければいけません。

 間違った判断をしても、決定者が自分の判断に責任を持つ人であれば、1年後か2年後、あるいは何年か後に、「その判断の結果、どうなったか」という道筋が見えてきます。そして、「間違った判断をした」ということを自覚したときには、舵を切り直すことができるのです。

 ところが、経営者が判断の責任を取らず、「誰が決めたかも分からないし、判断の結果、どうなったのかも分からない」という状態であるならば、舵を切り直すことができません。

 したがって、組織が大きくなればなるほど、経営における決定者、判断者は、思い責任を負わなければいけませんし、組織としては、責任回避をする人を上の立場に上げないように努力しなければなりません。上の人が責任回避をする人であれば、ついていく人は本当に大変です。経営者は、そういうことを自覚しなければいけないのです。」(『経営入門』P-255~260)

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