会社経営と信仰

 ものの豊かさが、精神の豊かさや心のゆとりを生むほうに行かなければならないが、その精神性は、「国を発展させたい」という気持ちとつながっていると思う。

 インスピレーションというのは天上界から来るものであるから、神様を信じなくては、発明なんてできない。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『未来産業のつくり方』で、トヨタグループの創業者である豊田佐吉氏の言葉(霊言)を次のように紹介されています。

「まあ、「ものづくりをしているから唯物論になる」って言うんだったら、ちょっと考えを変えないといけないね。
 いわゆる唯物論の世界っていうのは、ものがない世界なんですよ。旧ソ連もそうだし、毛沢東時代の中国もそうだし、北朝鮮もそうだけど、唯物論の左翼のところは、ものがなくて困るし、並ばなければ買えないね。配給制なので、ソーセージ一本を買うのにも、一時間も並ばなきゃいけない。需要・供給の分からない官僚なんかが生産量を決めてたら、まあ、そうなるよね。
 だから、「ものが豊かになる世界が唯物論の世界だ」というように考えるのは、間違っていると思いますよ。ものの豊かさが、精神の豊かさや心のゆとりを生むほうに行かないかんですね。私はそう思うね。
 トヨタは、ものづくりをしているかもしれないけれども、労組が唯物論のほうに行くんやったら、それは、ちょっと、叱らないかんね。
 私の時代は、まだまだ信仰心がある時代でしたからね。だから、これは、いかんですよ。「メーカーが発展したら信仰心が薄れる」っちゅうのは、いかん。絶対いかんね。
 もうちょっと精神性を高めないといけませんね。その精神性が、やはり、「国を発展させたい」という気持ちとつながってるんじゃないかな? 私はそう思いますけどね。
 そう、トヨタ労組ね。まあ、「地獄に堕ちたくなかったら、幸福実現党を応援しなさい。そうしたら、あなたがたの今までの宿業は消されて、天国に入れる。そして、豊田佐吉の講演会に来れるようになるぞ。地獄に行ったら、私の講演会は聴けんぞ」ということだわな。そういうことを、ちゃんと教えとかないといかんわ。
 やっぱり、神様を信じなきゃ、発明なんてできませんよ! 基本はそこなんですよ。だって、インスピレーションちゅうのは、天上界から来るものですからね。
 そして、未来に発明しなきゃいけないものを、天上界から、いち早く引いてきた企業が、メーカーとしても成功するんですよ。だから、神様のご加護が要るんですよ。
 私だって、経済界・経営界では、神様の一人なんです。今、松下幸之助さんと、どちらが偉いか競争しているところで、企業業績によって、上がったり下がったりするんです。
 トヨタの業績がよくなったら、私のほうが上になり、悪くなったら、向こうが上になるようなところがあって、為替のように、この世と連動するところがあります。だから、赤字が続いたりすると、霊格が下がってくることもちょっとはあるんですけどね。
 まあ、私は、経営界というか経済界では、神様の一人に入ってるから、信仰心を持つことを勧めるな。私は、地獄に行っている唯物論の指導者とは違うから、トヨタもそうであってほしいな。」
(76~80ページ)

 豊田佐吉は、インスピレーションを天上界から数多く受けていた発明家として、在世中にも神様を非常に近く感じていた。

 「やっぱり信仰心が大事だ。これがなかったら、会社の発展はない。」

 大川隆法総裁は、『未来産業のつくり方』で次のように紹介されています。

「しかしだな、自動車だって、みな交通安全のお守りぐらい、ぶら下げとるじゃないか。お祓いもするじゃないか、なあ? そりゃあ、人命にかかわることやから、信仰心を失ったら、事故がたくさん起きるわな。悪霊に入られたら、どこで事故を起こすか分からんもんね。そりゃ、非常に大事なことやけども、「近代的なメーカーが、信仰心とか、宗教や神社のことを言うのは、格好が悪い」という世相があるわけや。
 そりゃ、「会社で、宗教をやってるように見えるのが、格好悪いんだろうなあ」とは思うんだけど、基本的には、何ていうかなあ、うーん・・・。
 わしが、創業者といえるかどうか、自動車の創業者ではないので、創業者といえるかどうか分からんけれども、まあ、「トヨタの祖」であることは間違いない。
 まあ、そういう信仰心に基づく、何ていうかな? 勤勉? 二宮先生のお話にもあったけどなあ、そういう・・・。「資本主義の精神」だよ。君ぃ! やっと出てきた。わしは、この言葉を言いたかったんや。
 要するに、「創業者は、資本主義の精神を持っとる」ということね。そして、資本主義の精神というのが、単に、この世の金儲けだけで終わったら、それはもう、天国も地獄もないんや。それだけではな。その資本主義の精神が、「神様のために、この世を明るくし、よくするために、頑張っとるんじゃ」というようになることが大事なんだな。
 まあ、今、「社是で信仰心を掲げる」っちゅうのは、ものすごく勇気の要ることやろうから、なるべく引っ込めたいやろうなあとは思うけどな。
 いや、もう、「豊田佐吉の霊言」を出すしかないで! それ以外、方法はないわ。「豊田佐吉の霊言」を出して、本の扉か帯のところに、「やっぱり信仰心が大事だ。これがなかったら、会社の発展はない」と、こう豊田佐吉の言葉を入れて、売らないかんやろうね。
 ちょっと、引き締めんといかんかもしらんな。ま、幹部に要求するのは、ちょっと無理はあるかもしらん。今は、どっちか言うたら、「個人個人の問題だ」と考える気があるからね。「そうするのが現代的だ」と思うところがあるからね。
 ただ、私みたいに、インスピレーションっちゅうか、ひらめきをたくさんもらっとった人間は、神様を非常に近く感じておったのよ。うん。そういうところは、あるわなあ。
 世界に出て、世界一の企業になるためには、やっぱり、信仰心が必要や。「無宗教・無神論の企業が世界一になる」ちゅうのは、恥ずかしいことだよ。そんなの世界に通じません。先進国にも後進国にも通じません。ええ。
 やっぱり、信仰心があるのが、世界標準で、今の日本がおかしい。アメリカの企業なんて、利益の一パーセントぐらいだっけ? よく、宗教とか、慈善団体とか、NPOとかに寄付をして、活動を支えてるよな。そのように、しっかり儲けて、儲けた利益の一部を「分福」していく気持ちかなあ。それは持っていないといかんと思うな。」
(98~108ページ)

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