自分が休むために人を使うのは経営ではない

 自ら陣頭に立とうとせず、部下の活躍に期待して業績を上げようとする。経営者として怠慢このうえない態度である。こんなことで業績が上げられるはずがない。業績が上がらないと、これを部下のせいにする。やれ自覚が足りないとか、熱心さが足りない、責任感がうすいなどと部下を批判し、こんなことでは いつまでたっても楽はできないとこぼす。どうしてもうまくいかないと、今度は組織をいじりだす。いくら組織を変えたとしても、事態の好転など望むべくもない。

 業績の上がらない原因は、部下の働きや組織にあるのではなくて、社長が経営していないところにあるからです。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『経営入門』で以下のように説かれました。

「人を使う場合には、個人で仕事をする場合以上の成果をあげなければ駄目なのです。自分が一人でする場合よりも成果が増えないならば、それは「自分が休むためにだけに人を使っている」ということであり、結局怠けていることになります。人手を使う以上は、個人でする場合よりも、もう一段の成果があがらなければ駄目なのです。この点は押さえていただきたいと思います。

 自分が休むために人を入れて、人件費を使っているだけならば、それは単なる消費であり、散財には経営として成り立ちません。

 そういう観点から見ると、家庭で子守を雇うだけでは経営とは言えません。それは、収入の一部を割いて楽をしているだけなので、経営とは違います。

 しかし、会社の社長が、経営資源としての自分の時間を有効に生かすために、秘書を入れて、電話をさせたり、書類を作らせたりなど、いろいろな雑用をさせることは経営であると言えます。「自分の持ち時間を増やし、時間を有効に使って効果的な仕事をする」という目的のために他人の時間を使っているので、これは経営と言えるレベルになるわけです。」(P-232~233)

 経営者であれば、会社の方向を定め、経営計画を立て、成果の達成を指導して、日々に責任のある意思決定をしなければならない。それを放棄して、部下に重要な仕事を丸投げし、その成果の測定だけをしても うまくいかないことが多い。

 経営者の貴重な時間を重要な仕事に振り向けるために、相対的に重要でない仕事を部下に下ろしていくという考え方が重要である。でなければ、部下を使う場合の人件費は、投資ではなく、消費(経費)になってしまうわけです。

 同じ人件費であっても、それが経営者の時間を増やすものに使われたり、明日の経営者を育てるために使われたりするのであれば、投資となるが、単に経営者が楽をするために使われるのであれば、消費にすぎない。この違いを見抜くことは極めて重要である。

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