実証精神・合理精神

知識がなければ素人判断になる

 経営成功学では、宗教性・神秘性が大切だと考えますが、同時に「合理性・科学性」についても重視します。特に、信仰を持つ経営者の場合、「神様任せ型」「運任せ型」の経営スタイルに陥りやすいため、意識して「実証精神」と「合理精神」を持つように努力する必要があります。

 「実証精神・合理精神」とは、直観だけに頼った経営判断への戒めです。特に大きな組織では、経営トップの判断の正当性を合理的に説明する必要も出てきます。客観的な材料を集めて、その正当性を実証する努力が必要になるのです。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『智慧の経営』で以下のように説かれました。  

「21世紀は、農耕社会や工業社会に代わって、情報社会が到来しています。

 今後は知識が仕事をする時代が来ます。

知識は非常に大切な元手であり、重要な情報、役に立つ情報は一つでも多く知っておかなければなりません。有害な情報をたくさん持っていても駄目ですが、仕事に役立つ情報や知識は貪欲に集めていく必要があります。

 事業経営を例にとると、「ある問題の判断に迷い、一か八かの決断をしたところ、やはり失敗してしまった。ところが、以前、途中まで読んだ経営書の、自分が読まなかった部分に、その問題の解決方法が書いてあった」などということが現実にあります。

 経営判断においては、知識がないとなかなか分からない部分があり、知っていれば失敗しないで済むのに、知らなければ素人判断をして失敗することがあるのです。

 しかし、自分が失敗するようなことは、既に他の人が経験済みであることも多く、それをあらかじめ学んでおけば、失敗せずに済みます。これは非常に大事なことです。」(P-206~208)

 苦難困難は訪れてくるものですが、そもそも情報を知識として知っていれば失敗せずに済むことがたくさんあるということです。

 絶体絶命のピンチに陥っても、奇跡的に乗り切ることが出来たり、天上界からのインスピレーションで起死回生のアイデアを思いついたりすることはあります。しかし、そういうことは日常的に起きるわけではなく、いつも的確だとは限りません。創業者の場合は、鋭い勘を強みとする人も多いのですが、それだけに頼っていると、経営判断の打率は安定しません。そこで大切になるのが「実証精神」と「合理精神」です。

 例えば、経営判断をするには、情報や知識は貪欲に集めていく必要があります。裏付けが要るわけです。

 経営判断においては、知識がないと なかなか分からない部分があり、知っていれば失敗しないで済むのに、知らなければ素人判断をすることがあるのです。

 ただ、知っていればよいというわけではなく、「成果に結びつく」知識でなければなりません。また、諌言してくれる側近や厳しい意見を言ってくれる外部コンサルタントなどを通して、判断やアイデアを検証する姿勢が必要になります。

 主観だけでなく、客観的な目で物事を見ることも大切になります。これも光明思想の落とし穴です。

 また、ライバルの成功についての研究と失敗した同業者の徹底研究は怠ってはなりません。

 会社が大きくなるのも失敗するのも、合理的な理由が存在するものです。常にそれを探求する姿勢が経営で成功する確率を高めていくことになります。

 

情報収集のポイント

「事業経営者、企業家は、「あすの」と言ってもよいですし、「来年の」、あるいは「十年後の」と言ってもよいですが、「次の時代の事業の種になるものは何なのか」ということを探し求めなければいけません。それを発見し、育てていくことが非常に大事です。
 未来というのは突然に来るものではなく、現在のなかに必ずそのはしりがあるものです。現在、自分が見ている世の中、人々が言っていること、考えていること、新聞や雑誌やテレビ等で流れている情報、こうしたもののなかに、実は未来のひらめきやヒントがすでにあるのです。
 個人の責任として、どのようなアンテナを立てて情報を収集するかということです。一年三百六十五日、常にアンテナを張って情報収集に励んでいる人は、漫然と待っている人に比べて、大きな違いがあります。」
(『常勝の法』)

 ただ、情報は氾濫しており、集め始めるとキリがないので、闇雲に集めればよいわけではありません。情報収集には いくつかの条件で縛る必要があります。

 一つは「成果」です。

「情報を集めるのはよいのですがそれを成果に結びつけなくては駄目です。集めた情報を企業の仕事につなげることが大事なのです。

 例えば、採用ミスで高学歴ばかりを採用したため、調査部の人員ばかりが増えてしまい、「大勢で新聞などを読んでいるだけです。頭のよい人たちであり、高給を取っていますが、仕事はしていません」というようなこともあります。

 そして、トップの情報戦略においても、やはり、「成果に結びつける」ということを常に考えておかなくてはなりません。時間を浪費していて成果が出てこないものは やめなくてはいけないのです。」(『智慧の経営』P-211~212)

 もう一つは、「材料判断」として有用かどうかということです。

「判断の材料を集める際の基準は、「決定的な判断をするための材料となるもの」ということです。判断の核心となるものを取り出さなくてはなりません。

 例えば、「この事業を続けていくべきか」「新規事業をやるか、やらないか」「不採算部門を閉めるべきか」ということなどを判断するとき、そのためのキー(鍵)になる部分、核になる材料は必ずあります。その部分を発見することです。

 判断に迷うときには、ほとんどの場合、枝葉のところで視野がくらまされているので、枝葉を取り除き、幹のところだけを押さえることが大切です。」(『智慧の経営』P-214~215)

 

情報収集を習慣化せよ

 情報収集について、アンテナの張り方を上手にしておくと、「他の人には見えない部分」が見えてくることもあります。

 また、時々は街に出て、景気動向を自分の目で確かめることが大切です。

 情報は努力して取らなければならないものなのです。そのためには、かなりの情報処理技術を持っていなければなりません。できれば、「方針や方向が異なる複数筋の情報」を比べてみる癖をつけたほうがよいでしょう。(参考 『智慧の経営』P-42 218~221)

 

実績で証明する態度

 幸福の科学の経営思想では、「実証」を重視します。

「「幸福の科学的仕事法とは どういうものなのか」を研究・探求することは非常に大事だと思います。

 そして、それは、私が過去実際に使った、経験済み、実証済みのやり方です。つまり、本章で述べることは、私自身が用いたことであり、その結果についても実証が終わっています。各人によって、それぞれ向き・不向きはあるでしょうが、間違った使い方さえしなければ、誰がどのように使ったとしても、おそらく一定の成果は出るだろうと考えているのです。」(『不況に打ち勝つ仕事法』P-143)

 この考え方は、二宮尊徳のスタイルに通じます。

「二宮尊徳は、日本的資本主義の精神を伝道するにあたって、「自分の才能を働かせ、まず自分で成功してみせ、その成功のノウハウを人々に教えていく」というスタイルを採りました。彼は、農村の復興であれ、藩の財政の再建であれ、「百年、二百年とその成功が続いていくシステムをつくる」ということに智慧を注いでいたのです。」(『希望の法』P-184)

 

検証する姿勢

 現実の経営では、実証済みのものだけで判断できるわけではありません。成功する確率を計算できることは稀であり、最終的には、やってみないと分からないケースもあります。

 また、同じ判断であっても、やり方によって判断は異なります。顧客の購買行動は、事前の予測も計画も不可能ですし、時と状況によって めまぐるしく変わるからです。したがって、実際には仮説に基づいた経営判断をせざるを得ません。その場合、当然ながら、思い付きの仮説ではなく、十分な根拠を示すことのできる仮説を立てていくことが大事になります。

 「目に見える証拠」に基づく経営を志向するエビデンス・マネジメントという手法があります。元々は、「その時点における最善のエビデンスを、誠実かつ明示的、そして適切に用いて、個々の患者に施す医療上の意思決定を下す」という医学界の考え方です。それをスタンフォード大学経営大学院教授 ジェフリー・フェッファーらが一般企業に活用しました。「最新・最善のエビデンスを意思決定の拠り所にする」という考え方です。これは、「時代遅れの知識」「個人的な経験」「自分の狭い専門」「誇大宣伝」「イデオロギー」「安易な物真似」を根拠に判断する危険性を指摘するものでもあります。

 フェッファーは、「エビデンス・マネジメントを最も上手に実践出来るのは、知ったかぶりを装う経営者ではなく、自らの無知を深く理解している経営者」と言います。

 とはいえ、「定量的データでなければエビデンスにあらず」と考えてはいけないと指摘し、「教えられるもの全てが重要なわけではなく、重要なもの全てが教えられるわけでもない」と言っていますが、まさにこの点はエビデンス・マネジメントの落とし穴と言えます。

 さらに、実際に行った結果の検証・判定といった姿勢も大事です。

「松下幸之助は、「お金は使うほうが三倍難しい」と言っていました。なぜなら、お金の使い方については効果の測定が必要だからです。

 お金を使った結果、その効果があったのか否か。無駄だったのか、生き金だったのか。有効な投資になったのか、単なる浪費であったのか。こういう成果の判定が必要なのです。

 そのためには智慧が要ります。松下幸之助は「三倍難しい」と言いましたが、お金の使い方は非常に難しく、かなりの智慧が要ります。使ったお金が、本当に投資として有効かどうかを考えなければなりません。

 したがって、複数の目で さまざまな角度から見ることが必要であり、単に衝動的に「使いたい」というだけでは済まないのです。

 そういうことを考えた上でお金を使っても、それで終わりではなく、「使った結果、どうなったか」という成果の判定をしなければ、経営の勉強にはなりません。

 そして、失敗した場合には、それ以降はお金を使えなくなります。

 現在、事業経営をしているみなさんには、ある程度、お金を儲ける才能があったのだと思いますが、「お金の使い方は、さらに難しいのだ」ということを知ってください。

 お金の使い方を教えてくれる学問は世の中にはありません。これは、自分で体得する以外に方法はないのです。運のよい人は、優れた同業者や先輩経営者などの話を聴いて参考にしたり、ものの本で勉強したりすることもあるでしようが、実際のところは やはりわからないのです。

 お金の使い方というものは、自分で体得しなければ なかなか分かるものではありません。」(『智慧の経営』P-234~236)

 また、現実の経営で問題になるのは、経営トップのアイデアや判断は、たとえそれが いい加減な思い付きであっても、無批判に実施されてしまうことがあるという点です。

 その意味で、経営者は、諌言してくれる側近や部下を努力して持つ必要があります。

「帝王学を身につけるためには、諌言をしてくれる人、要するに、耳に痛いことを言ってくれる人が傍に側にいなければいけないのです。

 そういう人を持つためには、あまり早く出来上がってしまわないこと、すなわち、我が固まった状態にならないことが大事です。

 もちろん、最終的には、トップが自分で責任を取り、決断しなければならないのですが、「他の人の意見を聴かない」という態度は、基本的には間違いです。トップは、「いろいろな意見をいったん斟酌した上で物事を考える」という癖を持ったほうがよいのです。

 社長に諌言できる人がいる会社は なかなか潰れにくいものですが、ワンマン経営が長くなると、諌言してくれる人はいなくなっていきます。そして、それが次の倒産の危機につながることがあるのです。」(『智慧の経営』P-227~228)

 中小企業の経営者にとって、潤沢な人材を求めるということはとても難しい問題です。
また、平均的な社員の能力を、短期間で しかも即戦力並みに鍛えて伸ばすということも不可能に近いと言えるでしょう。そうであるならば、トップ自身がその能力を2倍、3倍に伸ばしていかなければなりません。トップには、仕事能力はもちろん、人を統率するリーダーシップ、立派な人格など社員から信頼される資質が必要です。

 大川隆法総裁は、以下のように説かれました。

「人の上に立つと、周りの人からの諫言というか、「あなたのここが悪いよ」といったことを聞く度量が必要になります。それをまったく聞けなくなってくると、耳に入らなくなってくるので、危険度は増していきます。
 「自我から真の自己への発展」を続けていかなければいけないわけですが、そのなかに器自体を大きくする修行が入っていないと、上から叱られても、下から突き上げられても、なかなかそれを聞けるようにはなりません。それは傷つきたくないからでしょうが、こうした「小さなセルフ(自我)」というのは、基本的にはリーダーの器ではないように思います。」
(『大人になるということ』)

「「社長の周りには、イエスマンばかりが集まってくる」というのは、中小企業の常です。要するに、社長の機嫌を損ねたら、自分のクビが危ないため、社長の周りには、「お上手」を言って、社長をほめる人ばかり集まってくるのが普通なのです。イエスマンたちは、社長に対して意見を言ってはくれません。
 つまり、自ら「これをやりたい」と言ったら、自分に責任が生じるため、イエスマンたちは、社長から命令が出るのをじっと待っているわけです。しかし、帝王学を身につけるためには、やはり、諫言をしてくれる人、要するに、耳に痛いことを言って諫めてくれる人が側にいなければいけないのです。
 最終的には、トップが自分で責任を取り、決断しなければならないのですが、「ほかの人の意見を聞かない」という態度は、基本的には間違いです。トップは、「いろいろな意見をいったん斟酌した上で、物事を考える」という癖を持ったほうがよいのです。」
(『経営戦略の転換点』)

 

「「耳に痛いことを言う」ということですが、今で言えば、ライバル会社と戦っている社長が、「今なら、うちのほうに力があるから叩いてやるか」と言っているときに、「叩いても勝てませんよ」と言う幹部がいたらどうなるかということです。「あそこの商品は、よく売れていて、人気があります。うちの商品は、人気がなくて売れません。戦いを挑んだところで、返品の山です。その後、在庫の山になって財政が圧迫され、倒産になるだけです。それより、今は耐え忍び、製品をよくするために、頑張って研究・開発をしなければいけない時期です」というようなことを、営業をし、広告をかけて戦いたがっている社長に進言するのは、猫の首に鈴をつけるネズミと同じで、実に怖いことでしょう。
 諫言とは、実に難しいことなのです。この文化を取り入れるのは、そう簡単ではありません。それが、なかなかできないために、今、コンサルタント業というものがあって、外部から言う場合もあるわけです。」
(『危機突破の社長学』)

「初期の事始めというか、初心のときには、「自分はまだまだ何も成していない」「自分は、単なる一兵卒だ」「クーデターが成功してのし上がってきただけで、まだまだ大したことはない」と思っていた人も、大きくなり力を持つようになってから、謙虚さを忘れて傲慢になってくると、諫言を聞けなくなります。
 「最終的に自分の判断を変えない」というのは大事なことでもありますし、「ブレない」のも非常に大事なことですし、意見を言う人を遠ざけたくなるのは、やはり人間の情としては普通のことでしょう。それでも、自然の人情に反して、「言っていることに公性がある」「公の立場から見て、それは大事なことだ」と思ったら、自分の耳に痛いことであっても、それを受け容れる度量をつくるように心がけることも、「帝王学」の重要な部分なのです。名宰相や名君になった人には、こうした意見を受け容れる度量を持った人が多かったと思います。」
(『帝王学の築き方』)

若手経営者が諫言を受け止める器をつくるには

「人間として“練れて”こないといけないのです。「大将たる者、くだらないことで怒ってはいけない」ということは心得るべきです。

松下幸之助の著書を読むと、よく「人の意見の聞き方」について言っています。そのため、私も若いころはいろんな人の意見を聞くようにしていたのですが、自分に経験がないことで違う意見をたくさん言われると、どれを採ったらよいか分からず、困ったことがあります。

しかし、一定の年齢になると、他人の意見を聞いても、「参考になる」ところは取り入れ、「違う」と思ったら聞かないで済ませるなど取捨選択ができるようになってきて、人の意見を聞いても特に困らなくなってきたのです。ですから、ある程度、実力が要るのでしょう。判断する材料というか、基準が自分のなかにできてこないと、本当は人の意見を聞いても、そのまま聞けないのだと思います。

ところが、若い経営者だと、自分の考えを押しつけ、人にやらせたいと思っているので、反発されたり、反論されたり、言い返されたり、別の考えを言われたりすると、腹が立ってすぐに喧嘩になったり、相手をクビにしたくなったりして、「使えない人」ばかりが増えてくる傾向があるのです。

だから、人間として“練れて”こないといけないのです。「大将たる者、くだらないことで怒ってはいけない」ということは心得るべきです。

自分を自己調整できるようになってくると、人を受け入れる器ができてくるようになります。

そうしたことを、参考にしてくだされば幸いです。」(2017.5.26 法話「人を活かす経営法」質疑応答より)

 

合理的な根拠に基づき、論理的に詰めた上で判断する

 経営判断をする際に、結局は仮説に基づかなくてはならないとしても、合理的な根拠を示す努力は必要です。

「例えば、実業界には、学歴がなくても成功している人がいます。なかには、小学校中退で成功した人もいます。そういう人は、それでもよいのです。学歴がなくて成功しても かまわないのです。しかし、「学歴がないから成功したのだ」というように強引にもっていくと、少し問題があります。

 もし、そのような考え方をするならば、学問自体の効果を否定することになり、「勉強などしなくてもよいのだ」ということになってきます。そうすると、やはり大きな活動は難しくなるだろうと思います。

 そういう人の場合は、直感型経営というかたちになるので、その人の直観が働く間はよいのですが、組織が大きくなると、だんだん直観が働かなくなり、それぞれの部門で判断するという段になって、合理的な根拠に基づいて判断しないと、結局大きな仕事は出来なくなるのです。あちこちで、各人が思い付きのままに いろいろなことをすると、混乱が起きます。こういう問題が出てくるのです。」(『大悟の法』P-175~176)

 判断制度を高めるためには、複数の考え方を比較検討するという姿勢も必要になります。トップダウンによる即断即決も大切ですが、大きな判断の場合は、十分な情報を集め、複数の選択肢を比較検討し、熟慮を重ねて合理的に判断する必要があります。

「大きな意思決定をするときには、単なる思い付きや勘に頼っては駄目なのです。やはり、一つひとつの案件について、じっくりと考えを詰めていかなければいけません。将棋において、何十手、何百手と読むのと同じように、「こういう手を打ったら、どうなるか」ということを、論理的に詰めていく必要があるのです。

 「資金的にどうなるか。人材的にどうなるか。時間的にどうなるか」、あるいは「トップの持っている能力から見て、どうなるか」ということについて、幾つかの手を緻密に読んでいくのです。

 そして、考えられるだけ考え、しばらく思案した上で、危険が大き過ぎるし、失敗することも多いと思います。」(『未来創造のマネジメント』P157~161)

 

客観的に見て判断をする

 「客観的なものの見方」というのも大切な合理精神です。光明思想は、ややもすると、自社商品や自分自身の能力、社員の能力について、盲目的に信じてしまう牽引になりかねません。経営判断は、客観的な事実は変わらないという前提で行うべきものです。

「例えば、人々が、「よい店から よい品を買いたい」と思っているときに、「自分の店だけが最高だ」と言っても、それが客観的なものかどうかが問われます。客観的に見てそうであるならば、そのように言ってもよいでしようが、他の店も、やはり最高のものを求めて努力しているのです。

 したがって、自分の力を客観的に見て、「どこまでが正当な発展であって、どこからが我欲になるか」という境界を見極めることが大切です。良いものであったとしても、能力の限界を超えたときには、それは私利私欲と変わらなくなります。これを知らなくてはなりません。

 そのように、個人においても、組織を率いる者においても、常に主観と客観の両方の目をもって見ていく必要があるのです。

 コップの中の水を、「半分しかない」と思えば心が暗くなり、「半分もある」と思えば心が明るくなることは事実です。しかし、大勢の人が水を飲みたいということになれば、話は全然違ってきます。自分一人なら、コップに水が半分もあれば十分かもしれませんが、大勢の人が水を飲みたいという状況であれば、そこに計算が必要です。

 一人で一リットルも水を飲みたいと言う人はいないでしょうから、一人当たりコップ一杯の水があれば十分でしょう。そこで、人数がどれだけいるかを見れば、必要な水の量が分かります。それを調えることができるかどうかは、上に立つ者としての見識です。この見識を持たずして、甘い見通しで押し通してはならないのです。

 国家のレベルでは、指導者はそれ相応の能力を必要とされますが、会社などの小さなレベルでもそれは同じでする。」(『智慧の経営』P-237~239)

 

ライバルの成功と失敗を徹底的に研究する

 成功や失敗には、目に見えない「運」の働きがあることは確かです。それは、多くの優れた経営者が指摘しているとおりです。しかし、だからといって、それは成功と失敗に合理的な理由が存在しないという意味ではありません。大抵の場合、目に見えない因果律の部分も含めて、多くの会社が成功すべくして成功しており、失敗すべくして失敗しています。その要因を把握することで、自社の成功する確率を高める努力は必要です。

「どの業界においても、仕事上の敵やライバルが出てきます。実は、これは非常に大事なことであり、有難いことなのです。

 敵やライバルの存在が、自分の会社の発展に最も役立つものであり、この研究こそが発展の件動力になるのです。

 同業者の中に、自分の企業よりも大きいところがあれば、そこはなぜ大きくなったのかを徹底的に研究しなければいけません。何が要因で大きくなったのかを研究し、「自分のところで使えるものがあれば徹底して使う」という考え方が必要です。

 トップの能力が同じぐらいであれば、相手が成功したのと同じやり方をすると、相手と同じところまでは行けるはずなので、それを研究し尽くすのです。ライバルの成功についての研究は絶対に怠ってはなりません。

 また、同業者のなかには、失敗したところが必ずあるはずなので、「その会社は なぜ失敗したのか」について徹底的に研究することです。失敗の研究を通して、やるべきことが はっきりと分かってくるのです。

 そして、両社の中間になりますが、「この企業はここまで発展したが、あとは発展していない。それはなぜか。この企業のボトルネックは何か」ということを研究することも必要です。

その企業の社長には、何がネックになっているか分からないのに、よそから見ると岡目八目で分かることがあります。その意味で、「なぜ、この企業はここからあとが発展しないのか」を研究することが大事なのです。」(『経営入門』P241~243)

 

同業者から学び尽くす

 失敗を防ぐために情報が大事でありますが、当然成功するためには情報は必要となります。

 一点目は、同業者の中に、自分の企業よりも大きいところがあれば、そこはなぜ大きくなったのかを徹底的に研究しなければいけません。

二点目は、同業者のなかには、失敗したところが必ずあるはずなので、「その会社は なぜ失敗したのか」について徹底的に研究することです。

 同業他社の中に、鳴かず飛ばずで経営に失敗している会社があったら、それを研究してみると言うことです。経営に失敗している会社を第三者の視点で見ると、やはりそれ相応の原因が見当たるものです。そして、そういうところを研究して、もし自社にも同じような傾向があるのならば、その改革に取り組むのです。反面教師にし、真似しないようにするということが 2点目に大切なことです。

 三点目は、両社の中間になりますが、「この企業はここまで発展したが、あとは発展していない。それはなぜか。この企業のボトルネックは何か」ということを研究することも必要です。

 3点目は少し高度ですが、同業他社のボトルネックを見抜くことができれば、それを自社の発展に生かすことができるということです。他者に対して、もし「売り上げが1割以上増えない原因は、組織ができていないからではないか」などと、当たりを付けることが出来たならば、それを自社の問題に当てはめて改善を重ねれば、さらに発展できるということです。

 経営で成功するには、大きな理想を掲げて、思いの力で事業を推進していくことが大事ですが、きちんと正しい情報を集め、他社の成功や失敗から学び、現実を見据えて経営判断していくことが大事です。

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