経理的思考と財務的思考

経理的側面から見た経営

 幸福の科学大川隆法総裁は、以下のように説かれました。

「経営にはバランスが必要であり、ある部分の調子がよかったとしても、「全体のバランスが崩れたら潰れる」と考えてよいでしょう。
 「生産」と「販売」がよくても、「経理」のほうが駄目だったら、よく売れていても潰れることがあります。これは「黒字倒産」といわれるものです。
 黒字倒産をする場合は、たいてい、「生産」「販売」「経理」のバランスが悪く、社長の目が、技術や生産のところばかりに向いていたり、あるいは、社長が営業・販売系出身で、「とにかく売り上げさえ増えればよい」と考えていたりします。
 したがって、「生産」「販売」「経理」の三角形が釣り合っていることが必要です。三つのうちの一つが突出していても、どれかが弱いと急拡大したときに潰れてしまいますし、不況期に入っても潰れるのです。」
(『未来創造のマネジメント』157~161)

「会社としてのかたちがついてくると、「総務部と経理部」あるいは「総務課と経理課」などに分かれてきて、お金に関係することは、「経理課」がやるようになります。大きな会社の財務部門が担当するような仕事も、「経理課」がやります。
 決算書などをつくる仕事から始まって、銀行から借り入れしたり、返済したり、あるいは給料が払えるかどうかの計算をしたり、いろいろします。お金に関するものは「経理課」がやり、「総務課」とか「総務部」が、それ以外のゼネラルアフェアーズ、いろんな雑用から、その会社の管理部門系統の全体にわたって、いろいろなことをします。
 もう少し大きくなると、今度は「経理部」がさらに、「財務部」と「経理部」とに分かれてくるのです。
 経理のほうは基本的に、会社の一年間のいろいろな動きを、決算期に合わせて、数字できちっと固めていき、「損しているか、得しているか」あるいは「財務の蓄積状態は、赤字なのか黒字なのか」についての書類をつくることを、仕事にしています。毎日きちっと点検して、お金をごまかされていないかどうかをチェックしたりしています。」
(『財務的思考とは何か』)

「例えば、「将来、社長になる身であれば、いろいろなことを身につけておかねばならない」と思い、若いうちから、英語や経理、税法、経済、その他、将来の帝王学として必要なことをコツコツと勉強するなど、現在の自分の仕事にかかわりのないことでも努力し続けることです。
 「直接的な努力」と「間接的な努力」の両方を重ねている人は、会社においても、いずれ人に認められ、成功していくことは、ほぼ確実です。万一、運命の気まぐれによって、会社に残れなくなり、転職して別の所に職場を見いだすことになったとしても、必ずや、そういうタイプの人は道を拓きます。」
(『されど光はここにある』)

「会社の社長のなかで数が多いのは、やはり技術者でしょう。技術者が会社を起こし、社長をやっている場合が多いのです。ところが、そういう人は、資金繰りについて、あまり分かっていません。
 「部下に経理担当者がいるから、それでよいだろう」と思っている人もいますが、経理で経営はできないのです。経理と経営は違います。
 資金繰りについては、追い詰められる前に勉強しなくてはいけないのです。
 難しい学問的な本でなくてよいのです。簡単なハウツーもので、二、三時間もあれば読めるような軽い本も多く出ているので、そういうものを五冊十冊と買って、一カ月ぐらいかけて読めば、多少は分かるようになります。」
(『幸福へのヒント』)

 将来、企業を考えている人にとって「経理」は帝王学として必要な教養であり、また、「経理」の視点を欠くと黒字倒産の怖れもあります。

「会社が大きくなる前に、経営危機が、まず内部で起きるのです。これは、「信用できる人をつくれるかどうか」という問題です。
 最初は親族あたりを使って会社をやるわけですが、奥さんや叔父(伯父)さん、兄弟、親、子供などを使ってやる場合でも、能力の問題はどうしても出てきます。親族であればあるほど、その能力に関する査定がしにくいというか、厳しいことになりますし、いったん与えた権限を取り上げるのも難しいことになります。
 では、身内を信じないで、他人のほうに金庫の鍵を預けたり、通帳や印鑑を渡したりできるかというと、やはり、それなりに怖さがあります。
 ここでは「人物運」もあると思います。「いかに、信用できる人を引き寄せられるか」というところも、運もあるとは思うのですが、やはりその人が発しているオーラに引かれて来るものがあるのです。」
(『「実践経営学」入門』)

「会社には、「攻めの時期」と「守りの時期」が必ずあるので、経営者は、「今、どちらの時期にあるのか」ということを判断しなくてはなりません。
 発展期には営業を強くし、不況など、いろいろな問題が起きてきたときには、法務、総務、人事、財務、経理などを強くして、守りを固める、そのような使い分けが必要です。
 事業には必ず波があるので、会社のトレンドが今どこにあるのかを考え、上げ潮のときには攻めの人を中心にし、逆のときには守りの人を中心に使うことが大切なのです。」
(『人格力』)

「技術系の社長や、営業系の社長も分からない場合が多いのは、「黒字倒産ということだって、現実には起きる」ということです。
 これは本当に、「財務が分かっていない」という、ただ、この一点なのです。
 費用をかけて物が売れなければ、もちろん潰れますが、「売れても潰れることがある」という、ここが実は、財務が分かっているかどうかのところなのです。経理的には潰れなくても、財務的には潰れることがあるのです。ここが、「財務」と「経理」を分けるところです。」
(『財務的思考とは何か』)

「会社の規模が小さいと、財務というよりは経理のほうが強いと思いますが、経理系はすぐに「経費を削れ」と言い出すので、サービスに力を入れたい人だと、カンカンになって怒ったりすることもあるでしょう。
 意見の合わない人たちを束ねつつ、事業をしていかなければいけませんが、人の和をつくっていくのも、それなりに難しいのです。
 上の人に引き立てられ、今いる職場で評価されるという場合、たいてい、その人に「協調力」「協調性」があります。この点は、日本でもアメリカでも同じでしょう。協調性がない人は、離職率が非常に高く、会社を辞める原因の筆頭は「協調性がないこと」です。
 こういうことがあるので、いろいろなところと協調しながらやっていかざるをえなくなってくるのです。」
(『経営と人望力』)

「経営の要諦は、入金と出金のバランスをとることです。倒産寸前になっているのであれば、入金のほうが出金より少ないということです。
 したがって、赤字をなくすためには、入金と出金のバランスをとることが必要です。つまり、収入を増やすか、支出を減らすかのどちらかです。
 収入が増える見込みがなければ、支出を減らすように努力するべきです。支出のなかでは、固定費をできるだけ下げることが大事です。また、「無駄な仕入れをどうやって減らしていくか」「不当な在庫がたくさんあるのではないか」などということも考えてみてください。経営でバランスをとり、倒産しない方法は、これしかありません。
 経営危機に陥っている人は、「プライドだけで仕事をしているのではないか」ということをよく考えることが特に大事です。プライドを捨てて、もう一度、実質的にじっくり考えてみることです。そのときに、新たな智慧が必ずや浮かんでくることでしょう。(『「幸福になれない」症候群』より)

 

財務的思考

 幸福の科学の経営指導は、書物だけや机上の空論ではなく、真剣味と重みを持っている。

 その発展・繁栄の法の一柱を成し、悟りの奥義の番外編の本書は、ドラッカーさえ知らなかった経営の秘儀が十分に説かれている。

 大川隆法総裁は、『財務的思考とは何か』 経営参謀としての財務の実践論』の あとがき で以下のように説かれました。

「宗教の開祖として、宗教的・哲学的悟りを開くと同時に、私自身が国際事業展開や財務マンとして経営のプロフェッショナルであったことが、「幸福の科学」の発展に大きな推進力を与えた。
 他の宗教でも「経営セミナー」や「経営者研修」をやっているが、私自身が実際に経営幹部として育てられていたプロフェッショナルであったため、当会の経営指導は、書物だけ、あるいは机上の空論としてだけのものではなく、一段と真剣味と重みを持っている。
 本書も本来は、実際に起業していく人たち、あるいは、事業経営をやっている人たちへの講義をテキストにしたものである。
 東大の経済学部でも学者では経営・経済の実際が教えられないので、銀行から人を呼んで講義をやってもらっていると聞く。
 銀行やメーカーにも優れた財務マンはいると思うが、総合商社の財務マンが一番優秀だと一般に世間では言われている。
 悟りの奥義の番外編ではあるが、本書が当会の発展・繁栄の法の一柱を成すことは確実である。P・F・ドラッカーさえ知らなかった経営の秘儀が十分に説かれていると思う。」
(156~157ページ)

 

財務を見る眼

 財務は経営に直結しており、最終的にトップの責任です。それゆえ、経営者には弛むことなく、自己を成長させていくことが求められる。

 経営には創造性が必要であり、常に仕事の過程で創造性が消費されているという事実に気づかされます。経営者は失敗を繰り返しながらも、常に創造の種を探すという地道な作業が求められるのです。

 総裁は、以下のように説かれました。

「お金をためることは、それほど難しくありませんが、「お金の使い方」は非常に難しいのです。一定のアイデアによって、ある程度の成功をすると、あとは事業そのものが自動的に回転していくので、お金はたまっていきます。これは、才能がある人であれば可能です。
 「お金をためる才能」と「お金を使う才能」とは、なかなか一致しないことが多いものです。少なくとも、「お金をためる才能」がなければ、社長にはなれませんが、「お金を使う才能」をも兼ね備えている経営者は少ないのです。それゆえ、他人を雇い入れているわけです。外から経理や財務の専門家を入れてお金の番をさせないと、社長が何をするか分からないからです。
 会社が五十人から百人ぐらいの規模になった段階で、そういう、お金の責任者が必要になります。」
(『智慧の経営』)

「「財務と経理は何が違うのか。似たようなものではないか」と思うかもしれません。しかし、経理のほうは、会社の状況を数字で見て、「これは、もう、一週間以内に“御臨終”です」という判断を下すものですが、財務のほうは、「会社が“死なない”ようにするにはどうしたらよいか」ということを考えるものです。
 そのためには、例えば、お金を借りてくるなり、何かを売り払うなり、新商売を始めるなりする必要があります。「もっと定価を上げないと駄目だ」「もっとこういう工夫をすべきだ」などと、一生懸命に智慧を絞り、会社が死なないように、あるいは、会社が健康体になるようにしなければいけません。
 社長は、こうした「財務の目」も持たなければいけません。」
(『未来創造のマネジメント』)

 従業員が100人を超えたら、経理だけでなく、「財務の目」も必要になってきます。

 経理の段階ではまだ経営とは言えず、財務の目を持って初めて経営になると言えます。また、会社が大きく成長して、様々な仕事を他の人に任せていくなかで、完全に人任せになってはいけないのが「財務」と「人事」なのです。

「社長自身が、もともとメーカーの開発者だった人であれば、営業について、あるいは、管理部門についての知識を持った人を集め、その人たちを有機的に使って業務をつくっていかなければいけないのです。
 会社にはいろいろな業務分野がありますが、「財務」の部門と「人事」の部分は、どうしても、最終的にトップの責任が残るところになります。
 「経理も財務も分からないから、経理部長は、お金があったら、適当に工場を建てるなり何なりやってくれ」というような感じで、「よきに計らえ」と丸投げするようであれば、これはもう社長ではありません。これでは駄目なのです。
 したがって、経営者には、どうしても、人間としての成長、能力的な成長が要るのです。」
(『経営とは、実に厳しいもの。』)

「トップに財務的な考えは必要なので、その基礎概念をつかんでおいてほしいとは思います。しかし、会社がある程度の大きさになると、トップ一人では何もかもできないのは当然ですので、財務部門が、そのトップを支える参謀部門として機能しないと、会社がもたなくなってきます。特に、新しく起業して経営者になる方は、技術系で、何らかの技術を開発して会社を起こす人が比較的多く、半分を超えていると思います。
 経営者には技術系の方が多いと考えると、会社が小さいうちは大丈夫のように見えるのですが、大きくなってくると、この財務部門の部分が見えなくなり、ここが、「会社がそれ以上成長するかどうか」の鍵を握ることになります。もう一つは、「倒産するかどうか」の鍵を握るのも、ここになります。
 ある程度の規模になったら、そういったプロフェッショナル、あるいは、その専門的な知識や経験を持っている人を入れないと、「それ以上の成長を目指した場合は潰れる」という状態が来るわけです。」
(『財務的思考とは何か』)

「長い企業の歴史のなかで、会社をつくって十年以内で、そうした資金的な危機が来ないところはほとんどなく、たいていのところは経験します。「この修羅場を越えなければ、経営者としては、やはり本物ではない」と考えてもいいのではないかと思います。
 技術系や営業系の社長の場合は、「お金がどこから出てきて、どこに消えていくのか」、「儲かっているのか、損しているのか」も、よく分からないことがあるということです。
 プロフェッショナル、専門家を入れたとしても、意見を聞いて、意味が分からないようでは、社長として務まりません。言っている意味が分かる程度までは、自分で少しは勉強しなければいけないでしょう。」
(『財務的思考とは何か』)

「「技術に強い社長」「営業に強い社長」「事務系の仕事に強い社長」もいれば、「財務・経理に強い社長」もいますが、実際に強いのは、たいていは一つで、あとは「そこそこ」というレベルしかないのです。ですから、会社が大きくなっていく過程で、力関係も変わってくることがあります。何か急にグーッと発展する部門が出てくると、そこの言い分が通ってくるのです。
 ところが、「今まで成功しているから、いいかな」と思ったら、「二倍、三倍までは行けたけれども、五倍、十倍になったら、ポシャッとなってしまった」というようなことは、やはりあるのです。これは、その人の能力の限界が見えないからです。
 フェイタル(fatal)というか、致命的な失敗をしてはいけないのですが、小さな失敗をして、教訓を学び、「ここのところを、どのように考えるか」ということをやらないといけません。」
(『「実践経営学」入門』)

「会社が大きくなってくると、全体の事務が見えるとか、財務・経理的にお金の流れが見えるとか、人事ができるとか、事務全体をどのように組み立てていけばよいかが分かるとか、組織がつくれるとか、こういうタイプの人の重要性がだんだん増してくるわけです。
 会社が小さいと、新商品開発においても、ちょっとしたアイデアや思いつきだけでヒットすることがありますが、大きな会社になると、大勢の人が研究開発に当たるようになってくるので、個人の力量だけではうまく行かなくなってきます。
 企業が大きくなればなるほど、多くの人々を組み合わせて使うことによって、よい成果を出す方向に力を発揮させなければいけなくなってくるのです。」
(『不況に打ち克つ仕事法』)

「お金のエキスパートからの意見はあるにしても、例えば、「借入金をしてまで工場を建てるか。それとも、工場を建てるよりは、借入金を減らすか」というような大きな判断を、財務部長の判断だけでやってしまっては駄目です。
 最終的に、「やるか、やらないか。進むか、退くか。あるいは、一部修正するか」という判断は、トップに残ります。「人事」と「財務」の部分は、参謀部門として非常に重要であり、有力な企業幹部がいなければいけないセクションではあるものの、「大将としての判断は残りますよ。これを捨てたら終わりであり、ダッチロールに入りますよ」ということは述べておきたいと思います。」
(『経営とは、実に厳しいもの。』)

 経営のトップはお金に関する手堅い考え方を持っておく必要がある。そのためには、経理的思考や財務的思考を身につけることが求められる。

 大川隆法総裁は、経理的思考とは何かで以下のように説かれました。

「財務も経理も、ともに お金が絡みますので、守りが非常に大切な仕事ではあります。ここが失敗すると、会社は基本的に倒産することになります。」(2015.11.11法話)

 経理や財務の基本的な知識が欠落していると、出入金の管理がおろそかになり、資金繰りに詰まって倒産することがある。特に、営業出身や技術者出身の経営者は、お金に関する実務を人任せにする傾向があるため、要注意である。経営者は資金繰りから目を離してはならない。

「経理的な思考というのは、医者の仕事に少し近いかもしれません。医者は、健康診断をすると、「余命三ヵ月です」とか「余命一年です」などと宣告します。お金の面から見ると、会社の余命もある程度わかります。毎日、毎週、毎月、三ヵ月、六ヵ月、一年と資金の計画をつくり、収入と支出がいくらあり、手持ちの残金がいくらあるかを見ていけば、資金がショートするときが来ます。ですから、いつ潰れるか予言できます。」(『経理的思考とは何か』2015.11.11法話)  

 従業員がを超えるぐらいの組織になると、経理部門のほかに財務部門ができてくる。そうなると、単にお金の出入りをチェックして管理するだけでなく、資金調達に関する高度な判断や交渉が求められるほか、資金運用や投資計画といった仕事もでてくる。

「財務部門、経理部門とも、ある意味でのトップの「参謀」であり、「起業参謀」であることは間違いありません。金銭に関しては、私情を抜きにして、要するに血液が回らなくなったら死ぬわけですから、医者と同じで、危ないものは「危ない」、行けるものは「行ける」と言わなければいけません。そうした意見具申をする役割があります。

 

財経を見る眼

 大川隆法総裁著『財務的思考とは何か』の冒頭では、経営トップの性格や行動パターン、行動癖のようなものが、財務のところに影響すると述べられています。社長族の多くは、“うぬぼれ屋”で、何度も言わないと“すぐ忘れる種族”だと指摘。「財務を見る眼」は会社の成長具合、あるいは倒産するかどうかなどの鍵を握る重要な視点です。

「財務の基本は、「入るを量って、出ずるを制す」ということです。入るお金のほうを多くして、出ていくお金をできるだけ抑える。
 小さな会社を起業して、まだ五人、十人、二十人、あるいは五十人ぐらいでやっている方は、これからあと、私が今言ったようなことが関係してきます。こうしたことを、あらかじめ知識として知り、もう少し具体的なことを勉強しながら、会社を大きくしていかなければいけないということです。
(『財務的思考とは何か』より)

「「お金をためる才能」と「お金を使う才能」とは、なかなか一致しないことが多いものです。少なくとも、「お金をためる才能」がなければ、社長にはなれませんが、「お金を使う才能」をも兼ね備えている経営者は少ないのです。それゆえ、他人を雇い入れているわけです。
 会社を護るために、お金の専門家を副社長や専務、財務部長などに迎えて、お金の番をさせ、その人の判子がなければお金を使えないようにしておくのです。
 そういう人がいないと、社長が思いつきでお金を使ってしまうなど、おかしなことをしたりするので危険なのです。「お金を儲ける力」と「お金を使う力」は別のものであり、使うほうが何倍も難しいのです。
(『智慧の経営』より)

「「営業部隊もよし。商品もよし」と言っても、やはり、お金の面で、きちんとした仕事のできる人がいなければ、会社の経営はうまくいきません。特に財務は、基本的に、「お金の出し入れ」と見てよいでしょう。普通は、銀行等の金融機関からお金を借りてくるわけですが、そのお金を返しつつ、さらに利子を払いながら、それ以上の利益を上げることができれば、会社は潰れません。
 それ以外にも、給料等の人件費、製造費、購買費、商品を仕入れる費用など、いろいろな費用がかかります。
 このようなことを考える部門として、会社が小さいうちは「経理」だけでもよいのですが、会社が大きくなると「財務」という機能が必要になってきます。この財務的な機能というのは、人体にたとえると、血液の部分にかかわるものです。つまり、お金という“血液”が上手に循環しているかどうかを見ているわけです。心臓から出た血液が、動脈を通り、静脈を通って再び心臓に帰ってくるように、資金繰りがうまく回っていれば、会社という体は死なないのです。
(『不況に打ち克つ仕事法』より)

「財務とは、前述したように、「お金の流れ、収入と支出の合わせ方」のことです。
「会社が黒字であるかどうか。帳簿の上で黒字であっても、実際の銀行残高、キャッシュの上で、支払いのできる残高が続いているかどうか」ということを見たり、収入が足りなければ、それを増やす方法を考え、支出が多すぎるようであれば、経費の節減を図ったりすることです。そういう財務的な能力が、経営者には当然必要とされます。
 会社が小さければ、経理を奥さん一人だけでやっているレベルもありえましょう。しかし、やがて、「多くの人を使い、仕事を延々と継続していく」というスタイルになったならば、この財務的な能力を、トップ自らがある程度持っていなければいけません。そして、「わが社は、今、どのような経営状態にあるのか。倒産の危機があるのか。どういう時期に危なくなるのか。それは、どうやって乗り切ればよいのか」などということを常に考えなければいけません。
 いずれにせよ、「財務的な面での最終責任者は自分である」ということを忘れないでいただきたいのです。「経理部長に一任すればよい」というようなものではありません。
(『経営と人望力』より)

 

人間学と採算学

 経営者となった場合に、社長が絶対に目を離してはいけないのが「人事」「財務」である。

 総裁は、『不況に打ち勝つ仕事法』で以下のように説かれました。

「「経営とは何か」と言うと、基本的には「人間学」と「採算学」です。はっきり言えば、この二つであり、「人物をどのように見て、どう使うか」ということと、「収支、つまり収入と支出をいかに均衡させ、収入のほうを増やしていくか」ということに尽きるのです。その上で、できるだけ多くの社員を養っていけるように、社業が発展する方向に持っていけばよいわけです。

 経営とは、絞り込んでいけば、「人物学」と「採算学」であり、それは、ある意味での「金銭哲学」「商売哲学」のようなものであると考えてよいでしょう。結論としては、この二つに集中していくものだと思います。」(P-229~230)

 

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