美の探求によって高付加価値のものをつくる

 ブランド戦略において、他社との差別化を考える上で一つ指摘しておきたいのが、「美の探求」ということです。これから新しい商品やサービスを世に送り出すにあたって外せない観点だからです。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『経営とは、実に厳しいもの』で以下のように説かれました。

「経済のなかにも「美」はあります。次の時代の経営の生き筋のなかには、「美」という観点があるのです。同じようなサービスは どこでもできるし、同じようなものは どこでもつくれるでしょう。しかし、経営者としては、そのなかに「美の探求」を趣味として持っておかないと生き筋が見いだせないと思います。

 例えば、不細工な車や不格好なテレビなど、こんなものは消えていく運命にあるわけです。そして、携帯電話であろうと何であろうと、いかに美しいか、いかに気が利いたものになるか、ということが大事になってくるでしよう。

 今後、実用性だけでは生きていけない時代が来ます。工夫を凝らして、より美しいものをつくっていくことが求められるのです。それは「形体美」でもありましょう。また、「機能美」、機能の美しさというものもあります。あるいは、サービスにも「サービスの美しさ」があると思うのです。

 ちなみに、これが例としてさわしいかどうかは分かりませんが、宅配サービス系で言うと、佐川急便の配達員は、真冬でも半袖で働いています。あの横縞の制服は囚人のようにも見えるので、「ちょっと どうかな」と思うのですが、夏でも冬でも半袖で走っているわけです。おそらく、忙しそうに半袖で走っていることで、商売が賑わっているように見せているのでしょう。

 私は、「走る人も大変だな」と思いながら見ているのですが、あれも一つの美なのだろうと思うのです。つまり、「飛脚は忙しくしなきゃいけない」という感じの美学なのでしょう。

 あるいは、宝飾店の場合、いろいろなところの店員の手つきを見ると、やはり、ティファニーなどは格式があります。例えば、箱にリボンをかけるときの女子社員の指先の美しさは、ほかとは違うわけです。あれは社員訓練のおかげでしょうから、指導している人の腕がよいのだと思います。リボンをかけるときの見事な手の動きを、客はジーッと見ているのですが、これが本当に美しいのです。

 もちろん、こうしたことは値段に関係ありません。しかし、高級感をつくるのには役に立ちます。「包んだら終わりでしょ」と言えばそれまでかもしれませんが、やはり、「宅配便の荷物と同じではない」というところはあるのです。

 いずれにせよ、「次の時代のコンセプトとして、「美」というものをどこかにおいておかないといけない。機能性、実用性だけでは高付加価値のものはつくれない」ということです。」(P-284~287)

 経営者における美の探求とは、単にアートやデザインの勉強をすればよいというものではありません。腕利きのデザイナーを起用して、商品や製品のデザインを頼めばよいというわけでもありません。勿論、そうした努力も必要なのですが、もう少し本質的な部分において美を追及していく必要があります。「真・善・美」を探求していくなかに、人間としての成長、経営者としての成長があるのです。

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