需要の発見と創造

顧客のニーズをつかむ

 運の良い人はニーズがすぐに分かる。そのもとになるものは「ひらめき」。そのためには、常に求め続けている姿勢が大切である。

 さらに、祈ること。祈れば天使が現れて助けようとしてくれる。

 真剣に求め、心に曇りがなく「無私の心」で無心に求めること。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『社長学入門』の あとがき で以下のように説かれました。

「「顧客ニーズをつかむ」ということは、本章で述べた「運」ということとも少し関係するかもしれません。運の良い人はニーズがすぐに分かります。その運のもとになるものは、ひらめきです。同じものを見ても何もひらめかない人もいます。何を感じるかが大切なのです。それは、各人の守護霊や、さらに霊格の高い指導霊たちの力でもあるでしょう。
 そこで、「どうしたら、ひらめくか」ということですが、ひらめきのなかには、「人間の頭のなかに蓄積されているものが発酵して出てくる」という場合も当然あります。したがって、その側面で見るならば、「常に求め続けている」という姿勢が大事です。
 「何かニーズはないか」と常に思っている人にはニーズが見えてきますが、思っていない人には見えてきません。常に求めている人が、あるときにひらめくものなので、求め続けることが大事なのです。
 「ニーズを知りたい」と求め続けて、あらゆる機会にそれを捉えようとする人、すなわち、「テレビを見る」「ラジオを聴く」「街を歩く」「風呂に入る」など、あらゆる機会に、いつも考え続けている人には、ひらめきが来ます。
 さらに、その人の求め続ける姿勢とも関係がありますが、「祈り」というものもあります。
 祈った者には応えが来ますが、祈らない者に応えは来ません。不公平だと思うかもしれませんが、これは事実です。私のように霊的な能力を持つ者には、それがすぐに分かります。祈れば、天使が現れて、助けようとしてくれますが、祈らなければ天使は来ません。彼らも忙しいのです。「助けが必要であるかどうかは自分で判断してください」と思っていて、祈りがない場合にまでお節介はしません。
 したがって、あの世の天使たちに対して祈れば必ず応えが来ますが、祈らなければ応えは来ません。普段はやってこないような霊人に対しても、その名を呼び、祈れば、やってきます。これは現実にあることなのです。
 十年前や二十年前にこの世を去った優秀な経営者のなかには、この世の人に「自分の“衣鉢”を譲りたい」「自分は死んだけれども、この世で事業をしている人に自分のノウハウを譲りたい」と思っている人が数多くいます。そういう霊人は、経営についてずっと考えを練り、ひらめきを求めているこの世の人に、霊感のかたちでアドバイスを下ろしてくれるのです。
 霊界からのアドバイスを受ける方法は、まず、その人が真剣に求めていることです。
 それから、心に曇りがないことです。無私の心で無心に求めていること、つまり、「世のため人のために、やらなければいけない仕事なのだ」と思い、無心に求めていれば、応えが来ますが、我欲を出して、「もう少し贅沢をしたい」「個人的に、いい格好をしたい」などという思いがある場合には、天上界からのアドバイスは来ません。そういう場合には、逆に悪魔のほうからの“アドバイス”が来るかもしれません。
 そういう意味で、企業経営にも宗教的な修行が合体してくるのです。」
(349~356ページ)

 コロンブスの卵のようなアイデアは、後で考えてみると、「なぜもっと早く思いつかなかったのだろう」と思うような、一見して簡単で何でもないようなことが多いのです。

 例えば、USJの「後ろ向きに走らせるジェットコースター」もそうですが、後で考えると実に単純なのです。しかし、思いつく瞬間まで、ずっと誰もそれに気が付かないものなのです。

 粘りに粘って考えていると、コロンブスの卵を生み出すことが出来ることがあるのです。ある問題について、地球上で最も必死に考えている人のところに、アイデアの神様は下りてくる。要は、どれだけ必死に考え続けることが出来るかです。

 ひらめきを得る方法として、「真剣に求めていること」と「心に曇りがないこと」の2つの条件がある。

 経営者が、その事業にどれほどの使命感を感じているかにかかっている。初心を忘れず、商売の原点に立ち戻る姿勢を忘れないことが大切となるのです。

 創業したばかりの個人企業も大企業も、顧客のニーズ把握が出来なくなると、事業は立ち行かなくなります。そのために、経営者は、常に「メシの種」を探し、需要の発見に努め、需要の創造をしていかなくてはなりません。

 また、「お客様のために」ではなく、「お客様の立場」で発想することも大事です。

 学者や作家が求めるようなシーズ(種子)は、着想・アイデアとしてはおもしろくても事業経営に使えない。経営者は、ニーズ(需要)を求める必要がある。

 個人で仕事をしている人と違って、経営者が出すべきアイデアは、市場のニーズ、企業の目的に合っており、しかも必ず利益を生むものであることが必要である。

 したがって、アイデアが豊富というのは大事なことであるが、経営者は、限りなく一点に集中し、収斂していくような思考、一定の目的性に対して集中していくような思考でなければならない。

 大川隆法総裁は、『常勝の法』で以下のように説かれました。

「インスピレーションを受ける体質のなかには、たとえば芸術家的な体質や学者的な体質があります。この場合は、きわめて個人的なひらめき、インスピレーションなのです。個人的に自分が関心のあることについて、インスピレーションが降ってくるのです。
 「学者は、シーズ、種子を求めている」とよく言われます。学者というのは、書く種、論文の種、研究の種を求めて、いつも考えているわけです。あるいは、作家などもそうでしょう。書く種、シーズ、種子を求めています。
 ところが、「経営者は、シーズ、種子ではだめだ」とよく言われます。必要なのはニーズ、需要であって、シーズ、種子ではないのです。「何を求められているか」ということです。経営者は、それに対する答えを出さなければいけないのです。
 したがって、自分の興味本位の、個人的な関心の範囲でのシーズのほうを求めすぎると、着想、アイデアとしてはおもしろくても、残念ながら、事業の経営には使えないことがあります。
 芸術家や小説家、学者など、仕事が個人的な作業である人の場合は、もちろん、アイデアが個人の生活に影響するため、アイデアがおもしろくて、絵が売れたり小説が売れたりすることは大事なことです。ただ、その場合は、経営のレベルが、あくまでも自分と家族が食べていける範囲ぐらいに納まっているため、そうした強い個人的関心の下にシーズを集めて仕事をすることができるのです。
 ところが、事業経営者はそれでは済みません。
 一定の事業目的があり、五十人、百人、三百人、五百人、千人、一万人という大勢の従業員がいて、事業を営んでいます。それぞれの会社に一定の目的があり、一定の企業カルチャーがあります。そして、商品、製品というものを生み出しています。
 そうすると、経営者が出すべきアイデアというのは、個人で仕事をしている人のアイデアとは違ってきます。あくまでも、市場が求めているものに対する答えを出さなければいけないのです。そういう意味で、市場のニーズに合ったものでなければいけないし、企業の目的にも合っていなければいけません。
 さらには、そのアイデアを現実化する過程において、組織を動かす必要があるので、経営者は組織を使えなければいけません。
 そして、そのアイデアは必ず利益を生むものであることが必要です。
 企業においては、利益を生むものでなければ、仕事として継続することはできません。事業目的のなかには、利益を得ることも入っています。その利益は、多くの人たちの生活を支えている、生活のコストでもあり、将来の発展のためのコストでもあります。そのため、利益を生まない仕事というものは、企業体のなかにおいては続かないことになっているのです。
 したがって、アイデアが豊富であるということは非常に大事なことですが、経営者という観点に立てば、それは限りなく一点に集中し、収斂していくような思考、一定の目的性に対して集中していくような思考でなければいけません。
」(171~174ページ)

 売上が伸び悩み、顧客の足も遠のいている現実があるというのなら、自分はシーズ嗜好に分類される人間かもしれないと理解するべきでしょう。

 例えば、町で花屋を営んでいるが、そろそろお盆なので、アレンジを加えた菊を店頭に並べてみた。若い層に受けると思ったのに、まったく動きがない。こうしたケースは、シーズ志向によるものと言えます。こちらの提案がうまくお客様のニーズに合致すればよいのですが、そうでなければ、顧客は商品を買わないだけなのです。

 「お客様のために、こんなに素敵なお花を用意しました」ということではなく、「今、お客様が欲しいものは何か」「困っていることはないか」と、顧客の立場に立って発送することが大事です。経営側がいくらよい物だと思ったところで、売れない物は売れないのです。

 では、売れない物とはどういうものなのでしょうか。

 代表的な物が3つあります。

 一つは、既に時代遅れになってしまった物です。これはどんなに頑張ってみたところで売れません。「一生懸命研究して、高性能の真空管をつくりました」と叫んだところで、今時需要はないでしょう。時代に合わなくなってしまった物が売れることはまずありません。

 二つ目は、既に世間に出回っていて、非常にありふれている物やサービスです。付加価値の低い、誰にでもつくれるような物は、海外を含めて競争相手がたくさんいますから、そのまま何の工夫もなく販売したところで売れることはないでしょう。

 三つめは、インターネット上での安売りに負けていく物です。

 例えば薬局です。ネット上で薬が換えるようになったことで、売上が激減しているところが増えています。最初は、来店して薬剤師から必要な薬の用法や用量を詳しく聞き込んだお客様が、次回以降からは もっと安いインターネット上の店で同じ薬を買うというのです。従来の販売方法だけでやっている薬局にとっては死活問題でしょう。

 同じような例は、家電製品販売にもあります。商品の型番さえ分かれば、日本全国どこからでも一番安い物を購入出来るのですから、量販店は、もはやショールーム化しているとさえ言われております。しかし、これに対抗する企業も出てきました。Yは、ネット上の販売価格の一番安値よりも さらに安値をつけると宣言した上、その商品を宅配、設置するというのです。

これは、一つのチャレンジであり、新しいビジネスモデルを構築しようとしているのだろうと思います。「ネットで購入するより安い」という広告で集客し、薄利多売で回転する。しかも、それを地域の人に宅配することで、販路をつきっていくわけです。

 

マーケティングの役割 = 顧客の創造

 企業の目的である「顧客の創造」の中心的な役割を果たす機能が「マーケティング」である。真のマーケティングは顧客からスタートする。

 マーケティングは、企業の中心的な機能であり、その役割は「顧客の創造」そのものである。「顧客の創造」ということは、成果は企業の外にあるということを意味している。

 したがって、マーケティングは、顧客の観点から見た全事業に関わる活動である。すなわち、企業内のそれぞれの組織において市場(顧客・非顧客)の代弁者の機能を持つことが求められる。

 マーケティングは、販売よりはるかに大きな活動であり、企業のあらゆる組織に関わる活動である。それは、一部門の専門化された活動ではない。

 「われわれは何を売りたいか」ではなく、「顧客に必要なものは何か 顧客の価値は何か 顧客はどのように買うか」 このように問いかけることによって、顧客が求めているものをキャッチしなければならない。これが「ニーズの発見」や「ニーズの創造」に繋がっていく。「顧客を創造」するには、「ニーズの発見」だけではなく、新たにニーズを創り出す「ニーズの創造」が大切です。

 販売は商品を売ることですが、マーケティングは「顧客の創造」につながる活動のすべてである。マーケティングは、企業にとってあまりにも基本的な活動であり、販売よりはるかに大きい活動であり、専門化されるべき活動ではなく、全事業に関わる活動である。

 マーケティングによって絞り込まれた情報に基づいて、企画・開発など商品・サービスに関わる部門は勿論のこと、生産・流通・営業・人事など全組織が夫々、且つ連携して活動しなければならない。そして、それぞれの組織において市場(顧客・非顧客)の代弁者の機能をもつことが求められる。

 消費者運動やクレームなども、単なるクレーム処理として扱うのではなく、マーケティングの視点で捉えなければならない。

 マーケティングに対する関心と責任は、企業の全領域に浸透させることが不可欠である。

 

需要の発見と創造

 ボトルネック解消のほかに、企業の発展に不可欠なのは「需要の発見と創造」である。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『経営入門』で以下のように説かれました。  

「第一段階は「需要の発見」です。「これが必要だ」というものを発見することです。

 第二段階は「需要の創造」です。需要を創り出すことが大切です。人々の需要を喚起する方向に持っていかなければならないのです。」(P-210)

 ソニーは、1979年、ウォークマンを発売する。これは、音楽が好きな時に聴くために、小型のカセット式テープレコーダーを持ち歩いていた井深が、「重くてかなわない」と嘆いていたことをヒントに開発したものである。「録音機能のないものは売れない」という社内の反対の声を盛田が押し切って販売したところ、当時の若者の間で爆発的なブームが起き、世界的な大ヒットとなった。

 それまでになかった「音楽を持ち歩きたい」という需要を創造して成功したのである。

 

需要の発見を事業化していく

 顧客のニーズ把握は、言葉を換えれば「需要の発見」でもあります。

「事業で成功するためには、基本的に需要がなければ駄目なのです。「人々が欲するものを供給すれば喜ばれる。喜ばれれば経済的価値を生む。そして、さらに仕事ができる」、このようにして循環していくわけです。

 ところが、人々が欲しないものを提供した場合には、人々から喜ばれないため、一度きりで終わってしまいます。例えば、お菓子屋の場合、人は一度その店で買って「美味しくない」と思えば、その店で二度と買いません。反対に、美味しければ、またその店で買うでしょう。

 このように、循環と繰り返しがあってこそ、経済活動は成り立つのであり、一度きりで終わったならば、経済活動として成り立ちません。事業には継続ということが必要なのです。

 そのため、常に需要を発見していく態度が大事です。事業の発動期には「需要の発見」が必要です。そして、ある程度事業が大きくなったならば、次に「需要の創造」をしていかなくてはなりません。「今まで需要がなかったところに需要を創り出す。人々が気づかなかったところに新たに需要を創っていく」ということです。

 最初は、求められるものを提供し、次には「こうしたものが必要でしょう」と、人々がまだ気づいていない需要をつくりだし、それを供給していくのです。

 そして、需要の発見と創造の次の電解としては、「この需要を梃子にして、さらに発展的なことはできないか」と、その応用を考えていくことが大事なのです。」(『智慧の経営』P-262~264)

 

今はない需要を新たに創り出す

 顧客ニーズ把握には、一つの落とし穴があります。顧客が把握していないニーズがあるからです。

「新しい商品を出すときには、「需要があるかどうか」ということは非常に大事なことですし、次には、「新しい需要を創り出せるかどうか」ということが大事です。

 欧米のマーケティング理論には、「消費者は非常に賢いので、消費者が欲しがるものを出せば売れる」という考え方がありました。これは、政治理論で言えば、民主主義的な考え方と非常によく似ています。「主権者、投票者は賢いものであり、賢い選択をする」という考え方と、「消費者は賢いものであり、賢い選択をして、よいものを買うのだ」という考え方は同じようなものなのです。

 しかし、これが本当に当たっているかどうかについては、一定の疑問はあります。

 例えば、エジソンが電球を発明するまでには、電球に対する需要は存在しませんでした。彼がそれを発明したことによって、初めて生まれた需要というものがあるわけです。それまでは存在しなかったものが、あるときから存在するようになったわけであり、エジソンが電球を発明する前に、「電球が欲しいか」と人に訊いても、「欲しい」という人はいたはずはないのです。

 このように、生産者の側が「これは必要なものになる」と思ってつくったことによって広がったものがあります。

 マーケット重視の考え方は大事なのですが、まったく新しいものの場合には、マーケットがそもそも存在しないこともあります。「天才的な発明家や起業家がマーケットをつくり出す」ということもありうるので、単に消費者に訊いて回れば需要が発見されるとは限らないのです。

 しかし、一定のニーズが出てきた段階では、「消費者の動向を見ながら新しい商品をつくっていく」ということは、十分にありうることです。

 最初は、新しいものをつくらないと、マーケットそのものが存在しないことが多いのです。しかし、新しいものができた場合には、次に、消費者側、顧客側の嗜好、好みに合わせて、新しいものを供給していかなければならなくなります。その意味で、それを使っている人たちの動向というものは、常に調査する必要があるのです。」(『智慧の経営』P-287~293)

 

顧客ニーズ対応の実践

 顧客ニーズ把握の大切さは、経営者のほとんどが理解しています。しかし、それを経営レベルで実践するのが難しいのです。

「「経営者は、シーズ、種子では駄目だ」とよく言われます。必要なのはニーズ、需要であって、シーズ、種子ではないのです。「何を求められているか」ということです。経営者は、それに対する答えを出さなければいけないのです。

 したがって、自分の興味本位の、個人的な関心の範囲でのシーズのほうを求めすぎると、着想、アイデアとしては面白くても、残念ながら、事業の経営には使えないことがあります。

 芸術家や小説家、学者など、仕事が個人的な作業である人の場合は、もちろんアイデアが個人の生活に影響するため、アイデアが面白くて、絵が売れたり、小説が売れたりすることは大事なことです。ただ、その場合は、経営のレベルが あくまでも自分と家族が食べていける範囲ぐらいに納まっているため、そうした強い個人的関心の下に シーズを集めて仕事をすることが出来るのです。

 ところが、事業経営はそれでは済みません。

 一定の事業目的があり、五十人、百人、五百人、千人、一万人という大勢の従業員がいて、事業を営んでいます。それぞれの会社に一定の目的があり、一定のカルチャーがあります。そして、商品、製品というものを生み出しています。そうすると、経営者が出すべきアイデアというのは、個人で仕事をしている人のアイデアとは違ってきます。あくまでも、市場が求めているものに対する答えを出さなければいけないのです。そういう意味で、市場のニーズに合ったものでなければいけないし、企業の目的にも合っていなければいけません。

 さらには、そのアイデアを現実化する過程において、組織を動かす必要があるので、経営者は組織を使えなければいけません。

 そして、そのアイデアは必ず利益を生むものであることが必要です。

 企業においては、利益を生むものでなければ、仕事として継続することはできません。事業目的のなかには、利益を得ることも入っています。その利益は、多くの人たちの生活を支えている生活のコストでもあり、将来の発展のためのコストでもあります。そのため、利益を生まない仕事というものは、企業全体のなかにおいては続かないことになっているのです。」(『智慧の経営』P-254~257)

 

新しいニーズをつくる

大川隆法 未来への羅針盤  No.241

 天国には信仰があれば入れるかもしれませんが、ビジネスで成功しようとすれば、やはり勉強が要ります。聖書を読んでもできるようになりませんので、うまくいかないのであれば、やや勉強が足りないのではないかと思います。

人が思いつくことは、他の人でも思いつくのです。他の人が思いつかないところまで勉強するには、やはり、かなりの労力をかけないといけません。

基本的に、勉強不足の経営者に共通して言えることは、「自分のアイデアに慢心しやすいタイプ」であると思います。そういう方は、やってもすぐ「成功しない」と言っていることでしょう。

幸福の科学にいると、インスピレーションが降りてきやすくなるので、それを受けて「これはいける。間違いなくヒットだ」と思うこともあるでしょう。けれども、実は勉強が少し足りなくて、何かの本をたまたま一冊読んで思いついた、というレベルだということはあるのではないでしょうか。

全般的に言えるのは、やはり勉強不足であるということです。

 

 

新しいニーズをつくる

経営者の中には、「需要を見つけよう」と考えて勉強してきた人が多いと思います。

ただ、需要を見つけるだけではやはり駄目で、むしろ、新しいニーズをつくり出さなければいけません。今までにないものでも、お客様が必要だと思うものは、つくり出す努力が必要です。結構、固定概念があって、こういうものだと思い込んでいて、皆、同じものを作り続けたり、売り続ける傾向があります。

例えば、私でしたら、皆さんの前で話をする時に手を上げることがあります。その際に、袖の内側が見えるのです。

カフスボタンを買いに行ったときに、「このカフスはいかがですか。外側にものすごくいいものを使っています」と勧められたのですが、私は「手を上げるときにこういうふうに上げるので、いくらいいものを外側に使われても、映像では映らないんですよ」と言ったのです。すると内側にも同じ石を付けてくれて、「どちらからでも映りますよ」と言われました。

これは”プロの根性”です。こんな商品を、普通の人には売れません。袖の内側を見せる人などいませんから。私みたいに手を上げて見せる人だけです。

これを作ってこられたら、買うしかないではないですか。他に買う人がいません。

それは一つの工夫ですけれども、今までにあるものをただ売りつけようとするのではやはり駄目です。新しいものを創造して、その人に必要なものを自分のほうから頑張って提供する努力をしなければいけません。

別に、カフスは外側だけ見えるようにしなければいけない理由などありませんし、そんなことが書いてある経営の教科書を読んだこともありません。同じように、裏側にカフスを付けてはいけない、と書いているものも見たことがありません。ニーズがあるのを発見したら、それはやはり、応えなければいけないでしょう。言われる前に気づく人だっているかもしれません。

このように、普段の勉強をすると同時に、他にはできないサービスを提供することが大事です。

 

 

お客様のアイデアを実現

私は客になることも多いのですが、客がアイデアを言う場合もあります。

あるメーカーが「合格時計」というものを作って売り出したところ、私のところに「ヒットしました」と喜んで報告してきたことがあります。値段は安かったのですが、当時、うちにも受験を控えている子供がいたので、買ったのです。その後、納品に来た時に私が、「合格時計が今、ものすごく売れているのであれば、『難関校合格時計』と、『超難関校合格時計』を作ったほうがいい。限定品にして、値段を上げなさい。ちょっとだけ違いを作れ」と言ったら、社員が「そのアイデア、いただきました」と言っていたので、いずれ発売されるかもしれません。

このように、お客の方からアドバイスが出る場合もあります。そのように、今までこの世にないものを何か出そうという努力は要るだろうと思います。

やはり、勉強してこの世にないものを見つけ出す。必ずしも研究開発費がものすごくかかるものだけではなく、今までにないものを編み出そうと、常に努力していくことが大事です。結果的に、それを使う方の幸福を願う気持ちが、非常に大事だと思います。

 

 

経費削減より投資が大事なことも

それと、今、気をつけなければいけないのは、不況期の会社経営についてです。 不況期に一番簡単に思いつくのは、経費の削減でしょう。リストラも、人員削減から始まって、経費削減全部にかかわってくることが多いですが、それで品質が悪くなるということが本当に多いのです。ものが悪くなると、とたんに客が離れる場合があるので、絶対削ってはいけない重要な部分があります。

例えば、饅頭屋や羊羹屋で、砂糖を安いものに変えたりしたら、それはもう一発で「効果」が出てきます。やはり手を抜いてはいけない部分というのがある。なんとしても持ちこたえてこだわらなければいけないところがあります。

うどんでも、コシがどの程度まで入っているかというのは、うどん通には分かることです。経費削減のためにコシを出す時間を短くしたら、すぐばれてしまいます。

このように、絶対に手を抜いたらいけないものがあり、あるいは経費削減してはならないもの、むしろ、もう一段、大事なところにお金を使わなければいけない場合さえあるのだ、ということを知らなければいけません。

 

 

市場経済は智慧のぶつかり合い

単純に考えてしまうと、「収入を増やして、支出を減らせば黒字化する」となります。残念ですが、財務省も基本的にそういうことを言いたいのです。無駄金を削って、増税をして税収を増やせば財政が黒字化するという、一番簡単な言い方をしています。子供でも分かるようなことを言っているのだろうと思います。

しかし、資本主義、市場経済の世界はそんなに甘くありません。競争はもっと激甚で、やはり知恵と知恵のぶつかり合いで、人がどうしても考えつかないようなところまで考えついた者は勝つということです。

そして、その考えの”隠し味”のところを見抜かれるまでの時間に、タイムラグがあればあるほど儲かることになっていますので、その辺りの努力が要るということです。

経費節減すべきところ、浪費と思われるところは節減しなければいけませんが、絶対に削ってはならず、むしろ積み増さなければいけない部分もあるのだ、ということを知らなければいけないということです。コンサルタントとしては、その辺のところも合わせて言わなければいけません。

だから、作っているものもいろいろあるでしょうけれども、絶対に手を抜いてはいけないものに関しては手を抜いては駄目で、より良質なものを求めなければいけない、ということです。

 

 

お客様の側から自分たちを見る修行

信用というのは簡単に崩れます。信頼をつくるのは難しいし、積み上げるのは大変ですが、崩れる時は一日で崩れるのです。この崩れ方の速さはもう、並大抵のものではありません。

ですから、良心的であり続けるということは、非常に大事なことですし、ものすごく難しいことです。

買ってくださったお客様の、その後の幸福までフォローしていくぐらいの気持ちがないといけません。売りつけた後はもう、客とは会いたくないというタイプの人は駄目です。客の顔を見たらパッと逃げるというのは、心の中にやましい事があるということです。心の中で「そろそろ、欠陥がばれるかな」と思うころには、やはり会いたくないから、「回れ右」して逃げます。そんなことではいけません。

ですから、繰り返し会えるぐらいにならなければいけません。仕事に良心を込めることは大事です。その辺りの努力が要るのではないでしょうか。こうしたアドバイスをコンサルタントの付加価値としていけば、もう一段良くなるのではないかと思います。

私のいろいろな本に何度も書いてありますが、やはり経営者、あるいは企業家というのはどうしても”天動説”になりがちで、自分中心に物事を考えやすいのです。そういう考え方を打ち砕いて、やはり相手の側、お客様の側から見たらどう見えるかということを、繰り返し繰り返し教えることも大事だと思います。それを忘れてしまうのです。

これは、幸福の科学についても同じことが言えます。厳しいことですが、ある意味で、自己を客観視する訓練にもなるので大事なことであると考えています。

私であれば、質疑応答の一番最初にコンサルタントの方を当てたというのは、これは見る目があるわけです。そういう人を当てれば、聞いている人が皆、得します。そういう意味ではいいところを当てたわけです。

そして、私が当てた方は当たるようなものをちゃんと用意していました。「二宮金次郎」と紙に書いて掲げたら当てられるのではないか、と思って持ってきた。このアイデアに敬意を表してお当てした、ということです。

経営と真理 へ

「仏法真理」へ戻る