事業を定義する

 組織において共通のものの見方、理解、方向づけ、それに対する努力を実現するには、企業全体として「我々の事業は何か」を定義する必要があります。

 事業の定義とは自らが考えているものではない可能性があります。その企業の事業は顧客によって定義されるからです。顧客を創造すること、顧客を満足させることが企業の使命であり目的であるので、「我々の事業は何か」との問いには、市場と顧客の観点から考えなければなりません。

 したがって、「顧客は誰でどこにいるのか」という問いを先にしなければならないのです。

 次に問わなければならないのは「顧客は何を買うか」です。

 自社が売っていると思っているものと顧客が買っていると思っているものは異なる可能性があります。

 したがって、「我々の事業は何か」という定義は、顧客の視点から考えて定義しなければ大きく間違うことになってしまいます。

 そして、この問いは常に問い続けなければなりません。一度行った定義づけが時代の流れによって陳腐化するからです。

 「我々の事業は何か」と同時に、「我々の事業は将来何になるか」ということも一緒に考えるべきです。

 時代によってその企業が行うべきことは変化していきます。したがって、今現在の事業の定義と共に将来の事業に対しても考えておくべきなのです。

 また、「我々の事業は何であるべきか」という問いも必要です。

 現在の事業を全く別のものに変えることによって、新しい機会を開拓し創造することができるかもしれません。この問いを発しなければ、重要な機会を逃すことになります。

 これと同時に、「我々の事業のうち何を捨てるか」も考えなければなりません。

 成果をあげなくなったり、目的や使命に沿わなくなった過去のものを計画的に、体系的に廃棄していかなければ新しいことは行えません。いくら機会を捉えられても、過去の仕事に追われていては新しいことは行えません。より良い明日を創るためには、必要のなくなった昨日を捨てなければならないのです。

 事業の定義があって初めて目標を設定し、戦略を発展させ、資源を集中し、成果をあげるべく活動を開始することができるのです。

 事業が明確に定義できれば、組織全体の意思疎通もはかりやすくなり、皆が共通の方向に向かって無駄なく努力することができるようになります。したがって、全ての企業が自らの事業を一から定義する必要があるのです。

 使命が決まったら、次に行うことは、「対象とするお客様を決めること」です。

 たとえ、これはすごいと思える商品を開発しても、素晴らしいと信じ切れるサービスを創り出したとしても、その商品やサービスをいいと思って、使ってくれるお客様がいなければ、その商品、サービスは、単なる自己満足になってしまいます。そこに費やした時間、労力は意味のないものになってしまいます。

 対象となるお客様は、わが社が心から喜んでもらいたいと思える方です。本当に役立ちたいと思えるお客様を対象にしなければ、使命に対する情熱もいつの間にか薄れてしまいます。それでは、事業の方向性を見失い、社会に変化に振り回されて事業は右往左往してしまいます。この対象とするお客様を徹底的に考え、それを明らかにしないまま仕事を進めてしまえば、お客様と関係のないところで仕事を行ってしまうことになります。これが、頑張っているのに喜んでもらう人が増えていないという構図です。

 何から何まですべての決定権を持っているのはお客様です。決定権とは、物事において自分で決められるその範囲のことです。お客様は間違いなく、買うか買わないかすべてにおいて決定権を持っています。お客様に認めてもらわなければ事業は成り立ちません。事業を一から十まで決めるのはお客様です。事業を決めるのはお客様なのです。どのような人を事業の対象とするかで、何から何までやるべきことが決まってしまいます。ゆえに、対象とするお客様をはっきりさせればさせるほど、事業の成功確率が高まります。対象とするお客様をはっきりさせれば何をやるべきで、何をやるべきでないのか、何をどのように行うべきかが、それらがいやがおうにもが浮き彫りになるからです。ここでいう成功は、もちろん「売上」のことではありません。事業の成功とは「喜ぶ人が増えること」です。

 お客様は日々刻々と変化していきます。ゆえに、事業は常にお客様を中心に考え、お客様を中心に進めていくようにしなければなりません。誰のための事業なのか? お客様のための事業だからです。ここで心の持ち方や心掛けをお伝えしているのではありません。ここでお伝えしているのは、お客様を中心に進められる事業の運営を確立することは、具体的な仕事であるということです。組織は、進もうとする方向とは違う方向に進んで行ってしまう弱点を持っています。誰もが、その方向に進めようとは思っていないにも関わらず、組織は意図しない方向へ進んでしまうことがあるのです。組織とはそのようなものだと思って、事業の運営を確立していかなければなりません。ゆえに、会社の外に目を向けざるを得ない工夫、お客様に関心を注がざるを得ない取り組み、商品やサービスを提供する側の目線から離れたところから、お客様のための事業を確立していきましょう。

 対象とするお客様が決まったら、次に行うことは、「お客様が望んでいるものを知ること」です。

 対象とするお客様から選んでいただいて、はじめて事業は事業として成り立ちます。対象とするお客様から選ばれるためにどうすればよいのでしょうか。まずは、お客様が望んでいること知り尽くすということです。お客様を知り尽して、はじめて自分たちは何をどのように仕事を進めていけばいいのかがわかり、何をどのようすれば喜んでいただけるのかがわかるからです。こうして、自分たちが対象とするお客様から選んでいただけるようになります。

 「顧客と市場を知っているのは、ただ一人顧客本人である。したがって、顧客に聞き、顧客を見、顧客の行動を理解して、はじめて顧客とは誰であり、何を行い、いかに買い、いかに使い、何を期待し、何に価値を見いだしているかを知ることができる。」

 お客様が求めているものを、勝手に憶測せずに、お客様に聞き、お客様を見て、お客様の行動を理解する取り組みを欠かさず続けていってください。

 一方、その事業に携わり、その仕事に精通すればするほど見えなくなるものがあります。それは、「お客様が望んでいること」です。お客様が求めているものは、つい品質だろう、と考えてしまいます。気が付くと、売り手の勝手に陥ってしまいがちです。お客様が手に入れているものは、商品やサービスそのものではなく、商品やサービスを通して得られる「欲求の充足」です。商品やサービスはお客様のニーズを満たすための橋渡しに過ぎません。商品やサービスが価値となって現れるのは、お客様のところです。商品やサービスを価値あるものに変えてくれるのは、唯一、お客様だけです。お客様の求めているものが明確になるまで、商品開発をスタートさせない、お客様が求めていないような商品やサービスを作らないことです。

 喜んでもらう人を増やすためには、現在のお客様だけでなく、お客様になっていないお客様についても考えていく必要があります。現在のお客様よりも、お客様になっていない人の方が圧倒的に数が多いからです。事業に影響を及ぼすような大きな変化は、お客様になっていないお客様から生まれるのです。お客様になっていないお客様は、それだけ市場に対する影響力が強いのです。しっかりとお客様になっていないお客様へ関心を注がなければならないのです。

 顧客のニーズはあまりに複雑であって、顧客本人しかそれを知らない。顧客自身もうすうす感じているのみで、明確に言語化できない場合もある。

 それでも、ドラッカーは、あえて「顧客はみな合理的である」ことを前提にせよという。

 そこでいう「合理的」とは、客観的な合理性ではなく、「それぞれの内部的世界においては辻褄が合っている」という意味である。そうした観点においては、いかに不合理に見える顧客の行動も、首尾一貫した内的合理性を持つといえる。

 お客様が望んでいるものを十分に理解できたら、次に行うことは「成果を決めること」です。

 真面目にやっていればそれでいい。そんな仕事は一つとしてこの世にありません。ありとあらゆる仕事が、なんらかの成果をあげるためにあります。どんな成果をあげるためにどんな仕事をすべきか、といったことが明確でないまま漫然と仕事をしていては、たまたまうまくいくことはあっても、成果をあげ続けることはできません。「仕事を終えた」ではなく、「仕事を終えたその先」に、何が起こったか。つまり、仕事の結果、組織の外で起こる変化を見ていかなければ、どれくらいお客様のお役にたっているかがわからなくなってしまいます。どれくらいお客様のお役にたっているかがわからなければ、喜んでもらう人を増やしていくことができなくなってしまいます。成果は、自分たちの行動を使命の実現に向けさせてくれるものでなければなりません。喜んでもらう人を増やすために、あげるべき成果の内容を明らかにしてまいりましょう。

 売上だけを成果としてしまうと、社員は「売上げのためだけに仕事をしている」ことになってしまいます。私たちはつい組織内部の事情や都合に関心が引っ張られてしまいます。ややもすれば、成果の内容も自分たちの事情や都合にしてしまいがちです。その典型的な成果の例が売上です。どんな事業もお客様のために存在しています。ゆえに、お客様のためになって初めて成果と言えるのです。映画であれば面白かったと思ってもらうことであり、本であれば役に立ったと思ってもらうことであり、飲食店であれば美味しかったと思ってもらうことです。成果とは、使命に対する貢献度合いであり、お客様に起こる良い変化の内容です。

 「何をもって成果とするか」 それが決まったならば、その成果をモニターしていきましょう。多くの会社が自分たちの事業を見直そうと思う時は、売上が落ち始めてからです。大事なことは、自分たちが事業を通して関わることによって、「お客様の何が良くなったか」、「お客様がどのように良くなったか」、「お客様はどれだけ良くなったか」といったことをモニターしていくことです。そうすれば、打つべき時に、打つべき手立てが打たれ、漠然と事業を進めてしまうようなことにはなりません。成果をモニターしていくということはどういうこと? と思われたかもしれません。モニターとは呼んで字のごとく、レーダーでその状態を監視することです。必要な情報を正確に知るということです。たとえば、飛行機がある目的地に向かって飛行するためには様々な情報が必要です。飛行機が安全な飛行をするには、天候、気温、気象、気圧、高度、緯度、経度、方位、走行距離、走行速度、振動、燃料、電力、油圧、室温、湿度、日出、日没、風向、風速、風力、磁気といった情報が必要です。同じように、会社が事業を通じて喜んでもらう人を増やしていくために、様々な情報が必要です。必要な情報は、会社によって、事業によって、業種業態によって違います。使命に向けて事業が適切に進んでいるかどうかを見極めるために、あなたの会社はどんな情報が必要でしょうか。

 部下の意識づけに悩まない上司はいません。それは、部下の意識に問題があるのではなく、何を成果としているか、その成果の内容に問題があるのです。何を成果とし、何をモニターしていくか、その内容が働く人の関心事と行動を決定付けてしまうからです。たとえば、上司に「今月はいくら売上をあげたのか?」と聞かれ続ければ、頭の中は当然、売上だけになります。部下は、会社の使命を記憶として留めているだけで、会社の使命は自分の仕事にとって完全に関係のないものになってしまいます。一方、上司から「今月は、どんなことをしてどれくらいお客様に喜んでもらえたか?」と聞かれ続けられれば、部下の頭の中は「お客様に喜んでもらうこと」でいっぱいになります。会社の使命は日々の仕事として実行され、使命は部下の行動に定着している状態になります。あげるべき成果を明らかにし、その成果をモニターしていくことで、どんな仕事をどのように進めていけばいいのかを決めてください。

 

「心」は「脳の機能」ではない

 脳と心は別だと言わざるを得ません。もし、心が脳の機能なら、自分の能力不足を脳細胞や遺伝子のせいにできてしまいます。しかし、経営者はそんな言い訳を排して、どんどん能力を上げていかなければいけません。成功を目指すなら、唯脳論は捨てていただきたい。

 信仰心ある経営者や成功者が増えると、霊的世界の探究が加速し、新しい産業や科学技術のフロンティアが拓かれるという「善の循環」が始まるのではないでしょうか。

 また、市場においては、お客様を幸せにし、人格を向上させるビジネスが主流となり、人を堕落させるような産業は淘汰されるようになるでしょう。人々の魂が輝かねば経済繁栄とは言えません。そうした価値観を地上に実現していくことが「真理経営者」の使命だと思います。

経営計画

 あげるべき成果が決まったら、次に行うことは、「計画を立てること」です。

 これまで決めてきたことが、社員一人ひとりの日常の仕事になっていなければ、決めたことは実行されることのない善き意図で終わってしまいます。決めたことを日々の仕事に落とし込み、確実に成果をあげるために計画を立てていきましょう。

 計画は、社員一人ひとりの行動を強制するものではありません。計画は、社員一人ひとりのエネルギーを総動員するためのものです。したがって、社員一人ひとりが、使命の実現のために打ち立てた旗印に向かって、主体的にどんな仕事をしていけばよいのかを考えることができるものでなければなりません。

 主体的とは、何をやるべきか決まっていなくても、自ら何をやるべきかを自ら考えることができ、自ら行動を起こせる状態のことです。計画を立てるということは、「事業を底上げするための目標を立てる」ということです。目標とは、わが社が目指すべき旗印です。

 計画は、現実に合わせて柔軟に対応することが求められる。そのうえ、過去も現在も未来も縛らないものでなければならない。

 計画とは、行くべき場所と行き方についての見解の一つにすぎない。いかに優れた計画も、意思決定やリーダーシップの代替物ではありえない。

 計画の初めに行うべきことが、「ミッション」を確認し、目標を設定することである。とくに、非営利組織の場合、組織の存続を確定する一義的な尺度がないために、ときにミッションの高邁さに陶酔する傾向がある。だからこそ、企業以上の熱意をもって、「目的は何か、何のためか」を問い続ける必要がある。

 途中で行動の前提が変わってしまったり、成果があがらなかったり、あるいは意外なところからチャンスが現れたりすることもある。そんな不測の事態が日常だからこそ、計画に意味がある。計画の最大の利点は「修正できること」である。

 どうやって目標を立てていけばよいのでしょうか。目標設定のポイントは、社員一人ひとりの目標達成が部門の目標達成につながっていて、それぞれの部門目標の達成が、会社全体の目標達成につながっているようにすることです。

 会社全体の目標と各部門の目標、各部門の目標と一人ひとりの目標の内容が、それぞれつながっていないと、個人間でそれぞれの都合が衝突したり、部門間に争いが起こってしまいます。

 こうなってしまうと、たとえ目標を達成できる力があったとしても、目標は達成されずじまいとなってしまいます。ほんの少しで目標達成できないという状態が何年も続いている会社は、組織内部で個人間の衝突や部門間の争いが頻繁に起こっています。

 経営者はもちろんのこと、部門の責任者は、組織内部の問題解決に労力が引っ張られています。そのような会社に共通していることは、議論すべきことを避けて、決定すべきことを常に先延ばしにする傾向があります。

 立てた目標が達成されないのは、目標達成する力がないのではなく、目標を達成する運営に至っていないためです。立てた目標を着実に達成している会社は、面倒な議論を避けることなく正面から議論を戦わせています。

 そして、決定すべきことは先延ばしにせずに勇気ある決定を行っています。目標を達成しているのは、目標を達成する運営に至っているからです。

 机上で勝ちがイメージできないのに、実戦で思うように事が運ぶはずがない。「計画なくして経営なし」である。

 計画性のない投資は失敗します。成功するためには、慎重に計画し、リスク管理を徹底し、勝算を立ててから投資すべきです。

 孫子の兵法によると、当たって砕けたら死ぬ、負けたら死ぬ、という命がけの判断にある。経営者は社員の命を預かっていると考えてみてはどうか。管理職は部下の命を預かっていると考えてみよう。勝てるかどうかも分からない戦いに社員や部下を追いやるだろうか。戦場に投入する前に、勝てるかどうかを吟味し、慎重に命令を下すのではないか。きちんとストーリーを描き、計画を立てて、シミュレーションしてみるのではないか。  

 そもそも、計画やストーリーは、その通りに行くことだけのために作るものではない。少しでも計画からズレたら、すぐそれに気付き、早めに修正を行えるようにするために計画がある。ズレるから計画するのであって、計画通りに事が進むなら、なんでも思い通りになるということだから、計画など不要である。

 机上の空論段階、すなわち計画策定段階で「勝ち」がイメージできないのに、実戦で勝つことはないし、社員が納得、得心して取り組めませんから、組織を動かすこともできません。まずは、勝つための戦略ストーリー、その展開計画を明確にしていきます。

 

計画を立てる時期

 目標を立てて計画をつくることは大仕事です。会社全体の計画は、新しい期を迎える3ヵ月前から取り組むことをお勧めします。

 経営の仕事は、「事業全体を見渡して、喜んでもらう人を増やすための意思決定をすること」です。

 事業は、顧客を創造することができなければならない。したがって、マーケティングについて目標が必要である。事業は、イノベーションすることができなければならない。さもなければ、誰かに陳腐化させられる。

 したがって、イノベーションについての目標が必要である。あらゆる事業が経済学でいう3つの生産要素、「人」「金」「物」に依存している。したがって、それらのものの獲得と利用についての目標が必要である。事業が発展を続けるには、生産性を向上させていかなければならない。したがって、生産性の目標が必要である。

 さらには、事業が社会の中に存在する以上、社会的責任を果たさなければならない。社会的責任についての目標が必要である。そして最後に利益が必要である。

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