200 縄文人は原始人ではない

 青森県・三内丸山遺跡を含む「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、約1万5000年前から1万年ほど続いた「縄文時代」の生活や精神文化を今に伝えるものとして評価されました。

 なかでも有名なのは、山内丸山遺跡(約5900年前~4200年前とされる)です。東京ドーム7~9個分もの広大な地域に、500以上もの住居が計画的に配置された「都市」と言ってもよいほどの集落跡です。

 柱が並んだ有名な大型掘立構造物は、4階建てビルに匹敵する巨大建造物だったと推測されます。そこからうかがえる建設技術もハイレベルで、当時の人々が「尺」を使いこなしていたことなどもうかがえます。

 同遺跡からは、新潟県産や長野県産の鉱物も確認され、そこから「海運」やそれを支える「天文学の知識」があったのではないかとも推測されています。

 縄文人は文明レベルの低い「原始人」であるかのようなイメージが定着していますが、こうした見方への見直しが必要となってくるでしょう。

 幸福の科学大川隆法総裁の霊査によれば、考古学で「旧石器時代」に分類される約3万年前、日本には技術的にも精神的にもかなり高度な文明が生まれたことが分かっています。

 さらに、それ以降も、同じ系譜を引き高度な文化水準を持つ王朝が各地で栄枯盛衰を繰り返してきたとのこと。

 考古学的に「縄文時代」に分類され、エジプト文明の最盛期に重なる時期(5000~3000年前頃か)に、少なくとも稲作技術、機械技術、全国的な物流網が先行して広がっており、現代人が知らない金属も扱うような文明が存在していたことが分かっています。

 しかし、日本は木の文化であり、土壌の酸性度も高いこともあってか、そうした文明の痕跡がほとんど残っていません。発掘された一部の土器や貝塚などから、学校の教科書で見るような「原始人的」なイメージがつくり出されたのです。

参考

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