組織の成長とマネジメント

組織の規模によって異なる

 中小企業は小さな大企業ではない。中小企業、大企業では、異なるマネジメントが必要である。

 マネジメントの試練の一つが成長に伴う変質である。数名で和気あいあいと始めた企業が成長軌道に乗り、新規採用を行って業容を拡大していくが、やがて社内の雰囲気が機械的で冷めたものに変わってしまう。よく聞く話である。

 創業メンバーのコントロールが利く範囲を超えたら、マネジメントチームを組織しなければならないとドラッカーは言う。マネジメントチームが組織に適切な方向づけを与えなければ、烏合の衆に堕するのは時間の問題である。

 

ロスチャイルド家の逸話

 成長とは、常に量的な面と質的な面を持つため、必然的に激しい摩擦熱が起こる。ドラッカーが経営を見るときのポイントは「人」である。人を考えずして組織を考えるのは意味がない。

 『創造する経営者』のなかで、ロスチャイルド家の逸話を挙げている。

 一家の子どもたちは優秀で、それぞれが欧州の主たる拠点を大胆かつ速やかにつくっていく。だが、カルマンという息子は、残念ながら能力が著しく劣っていた。それでも、カルマンは忠実な仕事ぶりで人柄もよい。彼をどう遇するかが組織における重要な判断の分かれ目だった。ドラッカーは言う。

 「ロスチャイルド家のカルマンのような人たち、すなわち、必要な能力は持たないが、忠実な仕事ぶりなどの理由から、面倒を見てやらなければならない人たちがいる。彼らには閑職を与えるべきである。大きな機会を任せるよりも、はるかに安上がりである。閑職に置くならば、コストは給料だけである。もし、大きな機会を任せれば、新しい大きな事業から得られるはずの利益を失うことになるかもしれない」

 

名経営者ウェルチの汚点

 GE(ゼネラル・エレクトリック)のジャック・ウェルチは名経営者として知られるが、一方で汚点も残している。しかも、禍根は深かった。ウェルチは、ある局面において極端なまでのリストラと人的整理を行い、目の覚めるような業績を出したことがある。

 だが、ウェルチにとって計算外だったのは、辞めていった社員たちの評価よりも、残った社員たちの反応だった。利益を高めたのはよかったかもしれない。しかし、大規模なリストラは、「いつか自分の身に降りかかる可能性」として残った社員たちの心に深く刻み込まれた。

 

人の切り捨ては間違い

 人の生産性を最大限に高めるのはマネジメントの役割であり、非生産的な時間を過ごさせるのはマネジメントの無能あるいは怠慢である。とは言え、切り捨てるのは間違いである。少なくとも居場所を確保しなければならない。

 ある局面で能力を発揮した人物が、組織の成長とともに無能どころか障害になることはめずらしくない。それでも、二段ロケットさながら切り離し解雇していくのは、他の人々に及ぼす影響を考えると得策ではない。成果をあげられない者には閑職を与えるべきというのがドラッカーの意見である。

 能力を超えた仕事を継続させることは、本人のためにも組織のためにもならない。そのことを誠心誠意伝える。どうしても辞めてもらう必要があれば、しかるべき花道を用意しなければならない。初期の貢献に対する評価や称讃を誰もがわかる形で伝える必要がある。

 それは、本人との感情的なしこりを残さないためだけではない。組織と人に対する健全な文化をつくっていくためである。

 

人に対して敏感になる

 組織の価値観、風土といったものは、その組織で働く人に映し出される。だからこそ、マネジメントの職位にある者は、人に対して敏感でなくてはならない。

 その一挙手一投足は、本人が考えるよりもはるかに周囲からの関心の対象になっている。エレベーターの中で交わした雑談、冗談のつもりで言った軽口など、すべての言動が観察されている。

 「どのような人を昇進させるか」ほど、組織の中で強烈なメッセージ性を持つものはない。だからこそ、マネジメントチームの編成においては、情実で対処してはならない。いかに初期に貢献があったとしても、現時点で必要な能力を持つ者以外をマネジメントチームに入れるべきではない。

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