年をとるということ

 年齢が上がることには、ありがたい面があって、優秀な人と競争をしなくても済むようになって、自分より優秀な年下の人を使えるようになる。

 会社や組織を、もっと発展させようと思うならば、若い人のなかから優秀な人がどんどん出てきて、次々と上の立場に上がり、力を発揮できるようにしなければいけない。

 年上となり、後進を導く立場になったときには、自分自身が若くて優秀な人に嫉妬しないようにすることを一つの修行課題とし、若い人が、多少、失敗をしても、それを受け止めて、器の大きさを見せることが大事になってくる。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『未来の法』で以下のように説かれました。

「自分の年齢が上がることには、ありがたい面があります。若いころには難しいのですが、年を取ると、自分より優秀な年下の人を使えるようになるのです。
 自分と同年代であれば、才能が拮抗したり、お互いにライバル関係になったりして、一緒に仕事ができないことがあるのですが、そういう人についても、自分と年が離れてくると、だんだん、部下として使えるようになります。やはり、世の社長族がたいてい年を取っているだけのことはあります。
 確かに、自分が五十代、六十代、七十代になってくると、「この人は、三十歳のころの自分よりも十倍ぐらい仕事ができる」と思うような人でも使えるようになります。
 例えば、現在六十歳の社長が三十年ほど前に会社を起こしたときには、その会社は
おんぼろ会社で、ろくな人材がいなかったとしても、それから三十年ぐらいたって会社が大きくなると、優秀な人がたくさん入ってきます。そして、六十歳ぐらいの年齢になると、たとえ自分より優秀な人が入ってきたとしても、そういう人を使えるようになるのです。
 そのように、「年齢が上がる」というのはありがたいことであり、それには、「優秀な人と競争をしなくても済むようになる」というメリットがあるわけです。
 つまり、「若いころに同年代であれば、この人は自分のライバルになっただろう」と思われるような人であっても、自分が年を取って年齢に差ができると気にならなくなります。その結果、自分より能力の高い年下の人を使えるようになってくるのです。
 ただ、年齢が離れていても嫉妬する人はいるので難しいのですが、自分より若い人に嫉妬をするタイプの人がリーダーであれば、その組織は先細りしていくでしょう。
 「会社や組織を、もっともっと発展させよう」と思うならば、若い人のなかから優秀な人がどんどん出てきて、次々と上の立場に上がり、力を発揮できるようにしなければいけません。
 今、会社や組織でリーダー的な立場にある人には、若いころ、自分が頭角を現し、成功軌道に乗ろうとしたときに、同輩や先輩、上司など、いろいろな人から嫉妬され、潰されそうになった経験があるはずです。
 そういう人が、年上となり、後進の者を導く立場になったときには、今度は、「自分自身が、若くて優秀な人に嫉妬しないようにする」ということを一つの修行課題としなければなりません。若くて能力のある人、覇気のある人、やる気のある人、素質のある人を、潰さずに引き立て、育てていくことです。
 若い人が、多少、失敗をしても、それを受け止めて、「自分が責任を取るから、思い切ってやれ」と言ってあげたり、「若いときの失敗は決定的なものではない」ということを教えたりして、上司が自分の器の大きさを見せることが大事になってきます。」
(74~77ページ)

 けっこうな年齢になってきたので、言い訳をしたい気持ちや、若いころはできたと言いたくなるが、それにブレーキをかけ、今はできるのか、これからできるようになるのかを問うべきである。

 年齢や経験に関係なく、新しく努力し挑戦すると、意外に道は開けることがある。幾つになっても新しい挑戦は可能だから、未知なるものに次々と挑戦し、それを乗り越えていこうとすることが大事である。

 もちろん、どう考えても(成功の)確率が非常に低いものにおいて努力するのは有利ではないが、ある程度、頭と経験があればできるもののうち、自分が一定の興味・関心を惹かれるものについて努力していけば、そうとうなところまで行く。

 大川隆法総裁は、『忍耐の法』で以下のように説かれました。

「今の私は、けっこうな年齢になってきたので、言い訳をしたい気持ちや、「昔はできた」「若いころはできた」と言いたくなる気持ちが出てくることもあるのですが、それを完全に止めることはできなくても、それにブレーキをかけなくてはいけないと思います。
 「昔はできた」ということを、いくら言ったところで、どうにもなりません。やはり、「今はできるのか」「これからできるようになるのか」ということを問うべきです。
 「意外に、年齢や経験に関係なく、新しく努力し、挑戦すると、道は開けることがある」ということを、私は数多く経験しています。
 幾つになっても、「新しい挑戦」は可能です。十代のときと同じように、未知なるものに次々と挑戦し、それを乗り越えていこうとすることが大事なのです。
 もちろん、どう考えても確率的に非常に低いものにおいて努力することは、それほど有利なことではありません。
 しかし、ある程度、頭と経験があればできるもののうち、自分が一定の興味・関心を惹かれるものについて努力していけば、そうとうなところまで行きます。年齢と関係なく、それは起きることなのです。
 私は、幸福の科学を始めて、かなりたったころ、ずいぶん体重が増え、多少、仕事がつらくなってきた面もあったので、昔やっていたテニスを再開したことがあります。ただ、昔やっていたときから、もう十数年から二十年ぐらいたっていたので、腕は完全に落ちていました。
 再開した一年目ぐらいには、あまりうまくできなくて、腕に覚えのある男性秘書と試合をしても、いつも私が負けていました。だいたい一ゲームぐらいは取らせてくれるのですが、「三」対「一」ぐらいの割合で負けるような腕にしかならなかったのです。
 しかし、四年ぐらい続けてみると、私のほうが強くなってきました。
 また、そのときにはプロのコーチを呼んでいたのですが、プロのコーチと球を打ち合って六百回もラリーができたり、百回もスマッシュラリーができたりしたため、「プロになるつもりですか」と言われたぐらいです。
 体力的なことについては大して自信はないのですが、それでも、「中学時代などには、ある程度、できた」というものがあったわけです。ただ、間が空いていたので、腕は落ちていたのですが、それをやり直したところ、一定のところまでは腕が上がりました。そういうこともあるのです。」
(118~121ページ)

 

老人人口の増加

 できれば高齢者が働き続けられる社会を構築しなくてはならないし、そのためには高齢者のできる仕事を増やしていかなくてはならない。

 高齢者が働きにくくなっている理由の一つに、進化している機械類が、高齢者には使いづらいことがある。

 そこで、一つは、高齢者でも使えるような分かりやすい機械をつくっていくこと。もう一つは、年を取ればこそできる仕事もあるので、機械がなくてもできる仕事をつくることである。

 大川隆法総裁は、『未来産業のつくり方』で以下のように説かれました。

「できれば、高齢者が働き続けられる社会を構築しなくてはいけないし、そのためには、高齢者のできる仕事を増やしていくことを考えなくてはいけないと、私は思っています。
 今の六十歳の人は、けっこう元気なので、「六十歳になると定年で辞めてもらう」というのは無理な話です。「六十歳で会社を辞めてもらい、その後は国家が面倒を見る」というのは、絶対に破綻する考えです。そんなことは無理なのです。
 やはり、「働ける人は働く」ということが大事です。どうしても働けない人については、もちろん、面倒を見なくてはいけませんが、まだ働ける高齢者のためには、高齢産業を起こさなくてはいけないのです。
 高齢者が働きにくくなっている理由の一つとして、ある意味で、「メカ、機械のたぐいが非常に進化している」ということがあります。
 実は、年を取っている人は、次々と出てくる新しい機械に対応ができません。若い人には使いやすくても、高齢者には使いづらいのです。そのため、「会社で使えない」というかたちにされやすいわけです。
 しかし、それを、そのままで放置してはいけません。考え方としては、二つあります。
 一つは、「高齢者でも使えるような分かりやすい機械を、次々とつくっていく」ということです。
 その意味で、高齢者が働きやすくなるための機械を発明していく産業がありえます。今は、機械のマーケットにおいては、だいたい、若い人がターゲットになっています。しかし、次には、「高齢者が仕事をしやすくなるための機械」というマーケットが一つあるのです。
 もう一つは、「機械がなくてもできる仕事を、つくらなければいけない」ということです。これができれば、七十五歳ぐらいまでは、平気で現役で働けるような、一定の世界をつくることができます。
 今の政府のように、「税金の負担を重くしないと大変なことになるので、もう増税ですよ」ということを繰り返し言っていたら、まもなく、若い人は国外脱出をし始めるでしょう。
 しかし、高齢者のできる仕事が増えれば、そういう未来を避けることも可能になります。六十歳を超えてもまだまだ働けます。知識と経験の要る職業であれば、高齢者であってもまだまだ働けるのです。
 そういう年齢で定年にするのは一種の差別です。その考え方は、もう体系的廃棄をしなくてはならないと思います。
 年を取ればこそできる仕事もあります。特に、人を教えるような仕事の場合には、価値を生むことが多いでしょう。
 そのような新しい発想で対応していかなくてはならないと考えています。」
(142~148ページ)

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