経営者であれば失敗を見ないことは許されない

   未来への羅針盤 No.302

失敗したことのない人は危機に気付かない

 能力が高くても、経営者は少し、別な部分が要るのです。

 大勢の人を使わなければいけないので、この人情の機微が分からなければいけないのです。いろいろな人がどう思っているか、男女の違いがあるし、年齢も、八十、九十の人もいる場合もあるし、二十歳ぐらいの方もいるかと思うけれども、いろいろな年代の人がいるので、この言葉を聞いたらそういう人たちがどう思うか、ということを、やはりエコーみたいに聞かなければいけません。

 その人情の機微が分かるのに、苦労していなければ、無理なところはあるのです。ですから、そういう話を知っていることが大事なことであるわけで、一点の曇りもない、完全なサラブレッドとか、失敗なんか一度もないというような人ほど怖いものはなくて、そういう人には任せないほうがいいと、昔から言われています。「戦争も任しちゃいけないけど、経営も任しちゃいけない」「失敗したことがない人に経営を任せちゃ駄目だ」と言われているので、危ないのです。その危機、そこに今潜んでいる危機に気が付かないことが多いからです。

 失敗したことがある人は、用心を必ずするのです。昔で言えば、やかんに触って火傷したことがあるような人だったら、次からはものすごく用心します。そういうふうなことがありますので、やはり痛い目に遭っていないと分からないことはあるので、用心はしたほうがいいし、他人の気持ちが分かるということも財産の一つだということです。そういうことは知っておいていただきたいと思います。

 

経営者であれば失敗を見ないことは許されない

 だから、プライドがあって反省できないで、霊障のまま取れないでいる方というのは、そういう感じだと思うのです。

 非常にプライドがあって今まで成功してきたという方もあれば、「完全主義者」もいると思うのです。私も知っていますけれども、「完全主義者」という人は、必ずしも完全な経歴を持っているわけではないのに、性格的にそうなっている人がいるのです。

 潔癖な感じの人がいて、「自分が失敗するわけがない」みたいな感じの自惚れ天狗になる人はいることはいて、よく失敗しているのですが、それが見えないらしい。「見えない」か、「見ないようにしている」かどちらかです。

 光明思想の中にもそういうところはあって、「失敗を見なければ、要するに成功しかないのだ」みたいな考え方があるわけです。

 「闇を見なければ光、闇を見ないで光だけを見ておればいいのだ」というのが、光明思想の根本です。「罪は”包み”なのだ」という教えです。いくら明るいランプがあったって、風呂敷をかけたら、光が見えなくなる。けれども、風呂敷を取れば光が出てくる。罪というのは”包み”のことなのだというようなことを、谷口雅春先生などおっしゃっていますけれども。

 そういう面で、励まされることもあります。だから、「ああ、そうか。本来闇はないんだ。これは自分の光を包んでいるだけなんだ。風呂敷を一枚取ったら、また光が出るのだ」と思うことで気持ちが楽になって、浮上できることもあります。実際に、そういうふうに思うことで、多少、抵抗力になって元気になれる場合もあるので、そういう場合は方便の教えとして、私は使ってもいいとは思います。

 しかし、経営などというように、人を使って事業をやるようになってきたら、そんなに簡単ではありません。

 「社長、今期はもう、何十億の赤字です」と言われても、「ああ、そんなのはもう、一時期の迷いにしかすぎないんだ。来年はもう、発展するしかないのだ」と、能天気な方もいます。そうなる場合もあるかもしれませんし、来年景気がよくなる場合もあるかもしれないけれども、「社長、そうは言ったって、これ、七十億の赤字が出ていますよ。これ、普通は倒産する可能性がありますよ」となります。

 例えば、「炭水化物を避けて、肉だけ食べて、体を鍛えよう」などとライザップのようなところが流行って、チェーン店をたくさんつくってやっていますけれども、十九年の三月期に百五十数億円の黒字が出る予定だったのに、この前、七十億円の赤字に下方修正していました(説法当時)。百五十何億の黒字と、七十億の赤字はかなり違いますよね。七十億の赤字になりますと、一般には、チェーン店をつくっていたら店じまいが始まる可能性は高いでしょう。そうではなくて、「いやあ、こんなものは一時期の迷いだ。また、うちは流行るに違いない」とあまり甘く考えるなら、それは厳しいでしょう。競争がありますから、よそだってまねはできるのだということです。都市部のお店などがしょっちゅう潰れるのを見たら、「ライバルは手強いぞ」ということは本当によく分かります。

 

経験を増やし歴史や他人の人生に学ぶこと

 少し話が拡散しましたが、もとはやはり、経験値が足りないことが全てであろうと思います。経験することも大事ですし、経験で補えない場合は歴史に学んだり、他の人の人生がどうだったかで学んだりしたらいいでしょう。

 こういう点で、小説とか映画、ドラマなどでも、役に立つものはあるのではないかと思います。そういった、人間性をもう少し深めよう、という気持ちを持つことが大事かと思います。

参考

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