経済発展をもたらす「感動」の力

   未来への羅針盤 ワールド・ティーチャー・メッセージ No.230

 事業経営で気をつけるべき点に、目標管理についての考え方があります。

 現状維持をすることが、目標管理ではありません。たとえばユニクロのような大企業でも、「店舗をいくつ出す」となったら、「売上高はこれだけ増やす」などの目標をつくって、「利益はこれだけ出す」などと打ち出しています。

 実際に、社長がそれぞれの店舗で営業しているわけではないのですが、たとえば100店舗出したら、売り上げはいくら増やして、利益をいくら増やす、と考えて、一店舗あたりで割ると、このぐらい売る必要がある、という数字が出てきます。

 それを達成すべく、新しい店舗を営業しますが、現状維持を目指して過去の成果と比較して100%になるようにだけやっていたら、これは目標管理としては低すぎます。目標管理をしても発展しない、というかたちになります。

 実際に発展のための目標があって、それを達成するようにやっていくのであれば、目標管理としては良いのです。けれども、現状維持のための目標管理にしてしまってはいけません。それだと、市役所や町役場、村役場などと変わらなくなります。

 

「必要なものをつくる」だけでは足りない

 会社で働いていたり、事業を起こしている方がこれから先、生き残っていくため、そして、事業をさらに大きくしていくために、必要な考え方があると思います。

 物がない時代や、経済発展が十分ではない時代には、「必要なものをつくれば売れた」わけです。つまり、皆が必要とするものを見つけて、それをつくって売ればよかったのです。けれども、これからの時代は、そうはいきません。

 日本経済でいえば、過去20年間、GDPがだいたい500兆円で止まっているのです。20年間伸びないというのは、けっこう珍しいことです。

 日銀はゼロ金利をやっています。銀行金利はゼロではないけれども、低いです。とっても低い。長らく金利は低いのですが、投資意欲がなく、新規の事業が伸びていきません。まことに不思議な状態が20年続いていて、これは何かが抜けていると思うのです。

 それは、「必要なものを満たす」という、従来の工業や商業の活動によってでは、経営発展、あるいは、経済の発展が見込めないということです。

 日本では、必要なものは一通り、もう満たされているのです。これからのものは、その上を行かなければいけません。

 その上を行くものは何か、と言いますと、「必要なものをつくって供給する」という考えではなくて、「人々に感動を与えるものを供給する」ということなのです。感動を与える商品、感動を与えるサービスを供給することで、マーケットが大きくなっていくわけです。

 

日本経済に足りない「感動」

 幸福の科学の支部を例に挙げると、支部ができることによって、周りに住んでいる方々や、支部を訪れる方々に感動を与えることが大事です。

 もちろん、本を読んでいただいたり、ビデオを見ていただくことによって感動を与えることもできるでしょうけれども、人と話をして感動を与えることもできます。それから、もちろん、研修などで感動を与えることもできます。いずれにしても、やはり感動を与えていただきたいのです。それも、霊的な覚醒につながる感動を与えていただきたいと思っています。そうすれば、支部は、はじけたように、大きくなるでしょう。

 ですから、今の日本経済に足りないのは「感動」だと思うのです。感動を起こそう、ということを大事にしていただければ発展します。自分の仕事も発展し、会社の仕事も発展します。

 繰り返しますが、キーワードは「感動」です。今必要な物はだいたい満たされています。それ以上のものが要るのだ、ということです。支部でも、幸福の科学に出会って、その人にどんな感動を与えられるかということを、みんなで考えていただきたいのです。それが大事だと思います。

 また、政党の立候補者がいらっしゃれば、その人が出てくることで、どういう感動を周りに与えることができるかを、皆で考えていただきたいと思います。その人の持ち味や発想、打ち出し方などで、いかなる感動を人に与えることができるかを考えていただきたい。そういうものは、必ず、人々が必要とするものになってくるわけです。

 

新鮮な感動を与える「気配り」や「努力」

 たとえば、私も皆様に感動を与えるために、今日の服装は緑で統一してきています。分かりますでしょうか。靴まで緑で統一しているのです。緑でまとめるというのは、今日がどしゃぶりの雨だったら、全然、面白くないコーディネートですが、晴れると読んで緑を用意しているのです。感動を与えるためには、ちょっとした気配りや努力は要るのです。

 この上着の外側は緑ですが、実は裏側も緑です。本来は見せないところではありますけれども、女性のためにチラッと見せますが、こういうふうに、隠されたところに感動がなければいけないわけです。

 これで人は、「また東京正心館に来てみようかな」「博多からでも出てこようかな」と、こう思うわけです。「この次は緑ではないだろう。何だろう」と考えさせられれば、これも一つの感動につながります。

 ささやかな例で申し上げましたけれども、とにかく、いろいろな宗教があり、活動や人を呼び込むものはいろいろあります。人々に「感動」、あるいは「喜び」を与えるものは何か、ということを考え続けることが大事です。そうした新鮮さを与えれば、やはり、多くの人々の目に止まってくると思うのです。

 それをキーワードにして、考えていただければ幸いです。

参考

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