世の中に必要な会社、会社に必要な自分か
人生の羅針盤 第138回
経営者は「自分の会社はほんとうに必要か」と考えつづけよ
「『必要なもの以外は残らない』という法則に忠実に生きる」ということを挙げておきます。
「結局、『必要なもの以外は残らない』という法則に忠実に生きることです」と述べています。
たとえば、ある会社の社長が、「経営が苦しいので助けてほしい」という思いで質問してきたとしましょう。
「うちの会社は、いま、経営が苦しいのです。どうしたらよいのでしょうか。ライバル社もたくさんあります。国の方針はこうなりました。どうしたらよいのでしょうか」
これに対する答えは厳しいものになります。
「『必要なもの以外は残らない』と、自分に問うたことはあるか。甘えてはいないか。補助金のようなもので生きていこうとしていないか」ということです。
結局、必要なもの以外は残らないのです。
自分の会社が潰れていくということは、同業他社のほうがよい仕事をしているということです。あるいは、自分の会社が古くなったということです。
経営者たるものは、「必要なもの以外は残らない」と思っておいたほうがよいのです。これは厳しい言葉です。
このことを認めるのは、とてもつらいことです。つらいことではありますが、大勢の人が商品を選択していくなかで、必要でないものは淘汰されていきます。「自分の会社が潰れるということは、世の中にとって必要ではない」ということを意味しています。
したがって、「潰れたくないならば、必要な存在になりなさい」ということです。
それは、言葉を換えれば、「お役に立っている」ということでもあります。「世の中のお役に立つような企業になりなさい」──この一言を、常々、禅の公案のように考えることです。
毎朝、出社したら、「自分の会社は、ほんとうに世の中にとって必要か、それとも必要ではないか。ライバルはたくさんあり、どんどん進化している。自分の会社は、ほんとうに必要か」ということを考えてみてください。
「うちの会社は必要なのか。この製品、商品はほんとうに必要なのか。みんなにとって、これは必要な商品なのか。人に勧めるに足りるのか。買わせつづけることはできるのか」
もし、売り上げが下がり、利益が減り、経営が苦しくなっているならば、お客が逃げているということであり、「必要ではない」と言われているということです。
このようなことを常に考えることは、禅の公案に取り組むようなものです。これに対して答えなければなりません。この公案一つに答えきることができれば、経営者としては生き延びることができるでしょう。
「会社にとって必要な人間か」を自分に問いかける
社員の立場でも、まったく同じような問いかけをすることが可能です。「あなたは会社にとって必要とされる人間か」ということです。
これも厳しい問いではありますが、会社のなかにいる人間であるならば、幹部やエリートから、一般従業員、平社員であっても、同じことがいえます。
このときに、「自分はこれだけの実績をあげてきた。これだけ貢献した」というふうに、自分の過去の功績を自慢することはできるでしょう。
ただ、ここで問うべきことは、「いま、あなたは会社にとって必要なのか。会社を辞めたら、会社のほうが困るような人間か。それとも、辞めても困らないような人間か」ということです。
「うちの会社はほんとうに必要な会社なのか」「うちの商品はほんとうに必要な商品なのか」ということを、常に考えるとともに、「私はほんとうに会社にとって必要なのか。部長として必要か。課長として必要か。課員として必要か。新入社員として必要か」と、自分自身に問う必要があります。
それを問うことなく、不平不満や処遇、競争、嫉妬というようなことばかり考えている人間は、ある意味では、みんなが円滑に仕事することを邪魔しているのかもしれません。
どうか、自分に対し、そのような問いかけをしていただきたいと思います。