「シーズ」と「ニーズ」

学者や作家が求めるようなシーズ(種子)は、着想・アイデアとしてはおもしろくても事業経営に使えない。経営者は、ニーズ(需要)を求める必要がある。

個人で仕事をしている人と違って、経営者が出すべきアイデアは、市場のニーズ、企業の目的に合っており、しかも必ず利益を生むものであることが必要である。

したがって、アイデアが豊富というのは大事なことであるが、経営者は、限りなく一点に集中し、収斂していくような思考、一定の目的性に対して集中していくような思考でなければならない。

 

幸福の科学大川隆法総裁は、『常勝の法』でこう教えておられます。

「インスピレーションを受ける体質のなかには、たとえば芸術家的な体質や学者的な体質があります。この場合は、きわめて個人的なひらめき、インスピレーションなのです。個人的に自分が関心のあることについて、インスピレーションが降ってくるのです。
 「学者は、シーズ、種子を求めている」とよく言われます。学者というのは、書く種、論文の種、研究の種を求めて、いつも考えているわけです。あるいは、作家などもそうでしょう。書く種、シーズ、種子を求めています。
 ところが、「経営者は、シーズ、種子ではだめだ」とよく言われます。必要なのはニーズ、需要であって、シーズ、種子ではないのです。「何を求められているか」ということです。経営者は、それに対する答えを出さなければいけないのです。
 したがって、自分の興味本位の、個人的な関心の範囲でのシーズのほうを求めすぎると、着想、アイデアとしてはおもしろくても、残念ながら、事業の経営には使えないことがあります。
 芸術家や小説家、学者など、仕事が個人的な作業である人の場合は、もちろん、アイデアが個人の生活に影響するため、アイデアがおもしろくて、絵が売れたり小説が売れたりすることは大事なことです。ただ、その場合は、経営のレベルが、あくまでも自分と家族が食べていける範囲ぐらいに納まっているため、そうした強い個人的関心の下にシーズを集めて仕事をすることができるのです。
 ところが、事業経営者はそれでは済みません。
 一定の事業目的があり、五十人、百人、三百人、五百人、千人、一万人という大勢の従業員がいて、事業を営んでいます。それぞれの会社に一定の目的があり、一定の企業カルチャーがあります。そして、商品、製品というものを生み出しています。
 そうすると、経営者が出すべきアイデアというのは、個人で仕事をしている人のアイデアとは違ってきます。あくまでも、市場が求めているものに対する答えを出さなければいけないのです。そういう意味で、市場のニーズに合ったものでなければいけないし、企業の目的にも合っていなければいけません。
 さらには、そのアイデアを現実化する過程において、組織を動かす必要があるので、経営者は組織を使えなければいけません。
 そして、そのアイデアは必ず利益を生むものであることが必要です。
 企業においては、利益を生むものでなければ、仕事として継続することはできません。事業目的のなかには、利益を得ることも入っています。その利益は、多くの人たちの生活を支えている、生活のコストでもあり、将来の発展のためのコストでもあります。そのため、利益を生まない仕事というものは、企業体のなかにおいては続かないことになっているのです。
 したがって、アイデアが豊富であるということは非常に大事なことですが、経営者という観点に立てば、それは限りなく一点に集中し、収斂していくような思考、一定の目的性に対して集中していくような思考でなければいけません。」
(171~174ページ)

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