志があれば人はそれに近づいていく

   未来への羅針盤 No.298

 基本は、何でも元手が要るのです。その元手は、お金だけではありません。お金だけではなくて、技術も元手だし、技術のもとになるのはやはり情報だろうし、情報を得るには、やはりその前に基本的な勉強が要ると思います。

 成功するか失敗するかということは、新事業に関しては非常に大きな分かれ目だと思うけれども、できたらやはり、「好きなこと」をやるように勧めてください。「好きなこと」をやって成功するのがいちばんですので、好きでないことをやって成功することは少ないですから、やはり好きな道を選ばせると。好きな道を選んで取り組んで、それで食べていけて、そして幸福感を得られたら、一応成功です。

 だから、まず問うべきことは、「あなたは、本当にそれが好きかどうか?」ということです。何かしようとしたときに「本当に好きかい?」「一生の仕事として、これを考えられるかい?」と問うて、「好きでないのならやめておけよ。好きなら可能性がある」ということです。

 好きなものには勝てません。好きなことに、どうして情熱を燃やせるのか、他の人にはさっぱり分からないものです。何でそんなことに情熱が燃えるのか分からない。やはり、好きだからできるのです。「好きだ」ということも才能なのです。

 まず、大事なことは「何が好きか」「好きかどうか」です。それが動機ですよね。

 それからやはり、その進むべき方向に対する、何か元手が要ります。経済的な元手も要りますけれども、勉強というか、知的な蓄積が何かなければ無理ですから、やりたいことがあるならば、それに関する勉強を、やはりきちっとするように指導する必要はあります。

 だから、「好きなことをやって、そして、ちゃんと何か元手をつくっておく」ということ。「元手をつくって、好きなことをやる」ということです。

 

経営の専門的問題も知らない者は敗れる

 失敗の可能性もありますから、リスクは当然あります。ただ、やり続ければ道が必ず開けてくることは多いので、まず「志」がない人間は駄目です。

 やはり、人間のレベルは志で規定されるのです。どれだけの志を持っているかが、その人の全てです。そして、志のない人間は、もうどうにもなりません。まずは志です。志があれば、その人は、少なくともそれに近づいていきます。

 幸田露伴は、「百思って、十行けばいいほうだ」と言っています。「十思えば、五ぐらいしか行かないものだ」「百思って十ぐらいだ」と言っていますが、あれだけ成功したと思われるような人でも、そんなものらしいのです。「百思って十ぐらいしか行かない。十思ったら、五しか行かない」そうですから、志のほうが小さければ、それを超えるのはなかなか難しい。そういうことは、知っておいていただきたいです。

 あと、経営指導云々となりますと、これもやはり、専門技術的な面で、技術的な問題はかなりあります。ただ、経営の勉強をしなければ駄目です。これも専門知識なのです。経営も専門知識で、ほとんどの会社に起きることは一緒です。同じことが起きるので、知らない者は敗れます。戦い方を知らない者は必ず敗れる。

 だから、もうすでに似たようなことが一回起きている。事業としては新しい事業であっても、経営という面を取れば同じようなパターンを必ず辿りますので、やはり勉強する必要はあります。

 たとえば、経営者の体験談や人生談がたくさん出ています。それから、マネジメント系の本もたくさん出ていますので、勉強しなければいけません。

 

脱皮を続ける痛みに耐えよ

 脱皮し続けないかぎり、新企業というのは大きくなっていきません。その都度その都度、ヘビみたいに皮を脱いでいかなければいけない。「脱皮しないヘビは死ぬ」と言われていますが、その通りでしょう。皮を脱がなければ、ヘビは大きくなれないのです。

 企業も同じでして、その段階、段階で、脱皮しなければいけない。ヘビが皮を脱ぐように、企業も、皮を脱ぐとき、大きくなるときには痛みを伴うのです。

 それが嫌だったら、もう大きくなるのをやめなければいけないのです。大きくなるときには必ず痛い。どこかに痛みを伴う。いろいろな面で、今までの考え方を捨てなければいけないこともあります。

 また、自分自身にもう一段の負荷がかかったり、家族や、あるいは、仕事仲間や一緒に始めた人たちなど、いろいろな人にプレッシャーがかかって人間関係が壊れたり、パートナーが離れたりと、たくさんします。いろいろなことが起きてきます。それでも続けるかどうかは、志の問題なのです。

 だから、その志以上には行かないということです。そして、幸田露伴が「百、思って十」と言っているのです。そうとう能力があった人でもそういうことを言っているので、普通の人だったらなかなかそうもいかなくて、本当に「百、思って五か三」かもしれないですから、「それでもやるかどうか」です。そういうことを伝えていただければいいと思います。

参考

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