管理者に欠かせないコミュニケーション能力

部下との信頼関係づくりから

 社長には、管理職と一般社員のコミュニケーションがうまくいっていないことを悩んでいる方がたくさんいます。社長自らが、たびたび管理職である上司と一般社員の間に入って仲裁をしているような会社もあります。よほど話がこじれた場合は、このようなことも仕方ないかもしれませんが、通常は上司と部下が良好な関係を維持していく責任は上司自身にあるのは明らかです。

1 上司は部下をどの程度理解しているか

 管理職が部下達をどの程度理解しているかを把握するには、

  • 「君の部門のA君は最近非常にがんばっているけど。どんなコツがあるのかな」
  • 「ついては社長賞を贈りたいのだが、A君が欲しがりそうなものは分かるかな」

という2つの質問をしてみることです。

 おそらく、①の質問については、多くの上司が(たとえピント外れだとしても)何らかの答えをもっていることでしょう。

 しかしながら、②について的確に答えられる上司はそう多くはないはずです。仕事面だけではなく、A君の趣味や最近の関心事などについても理解していなければ答えられない質問だからです。答えられない上司には、「そんな個人的なことは分からなくて当然」とばかりに、「A君の個人的な好みは分かりませんし、関心もありません」などと開き直る人もいるかもしれません。 

 上司は、部下と日常的に接するなかで、部下の仕事以外の部分も理解するチャンスをたくさんもっているはずです。そのチャンスを生かして部下のことを深く知ろうとするかどうかは、ひとえに上司の心がけにかかっています。上司が部下の個人的なことをほとんど知らないという場合、その逆もしかりで、部下も上司の個人的なことをほとんど知りません。そして、このような状態で上司と部下の信頼関係が十分にできているということはまずありません。もちろん、個人的なことをすべて理解し合う必要はありませんが、ある程度の個人の情報は信頼関係を築くための潤滑油として不可欠です。

 最近の若手社員は、昔に比べて仕事とプライベートを分けているといわれますが、信頼できる上司には、自分のことをもっと知って欲しいという気持ちは変わりありません。

 

2 部下との信頼関係づくりは まず「聞く」ことから

 部下が上司から指示を受ける場面を考えてみても、信頼関係なしに「上司の命令だから仕方ない」と割り切る場合と、信頼関係ができていて、「この人のいうことなら大丈夫」と前向きに取り組む場合では、その後の仕事ぶりに大きな差が出るのは当然のことです。

 しかし、信頼関係を作るのには通常長い時間がかかるのも事実です。ところが、何年も上司と部下でありながら、部下からの信頼ゼロという上司がいる一方で、着任してからわずか数ヵ月で「部下のハートをわしづかみ」という上司も存在するのです。いったい両者の違いはどこからくるのでしょうか。

 信頼関係を作るのがうまい上司の最大の特徴は、「部下の話をよく聞く」ということです。部下が「最近、仕事がうまくいかないんです」と真剣に相談してきたときに、上司然として、「自分でなんとかしろ」とか、「今 忙しい」などと返してしまうようなことは決してしません。できるだけ時間を作って話を聞くようにしますし、どうしても時間がないときには、「君の話を聞いてあげたいのだけれど、今はどうしても時間がない。明後日には必ず時間を作るから」という具合に、話を聞きたいという姿勢、それでも今は無理だという状況説明、そして、聞いてあげる予定も伝えます。

 どちらもすぐに話を聞いてもらえないのは同じですが、部下に与える印象は まったく違います。

 

3 ときには部下と対等のスタンスで

 部下との日頃のコミュニケーションでは、できるだけ部下と対等なスタンスを取ることが大切です。もちろん、上司と部下ですから、厳然たる上下関係はあります。だからこそ、なかなか本音をいえない部下に対して、自分のほうから降りていって、できるだけ同じ目線で話すことが必要なのです。これは、決して「部下の機嫌を取って人気を集める」というような卑屈な行為ではありません。それこそが上司の器量というものです。たとえば、部下が元気のない様子なので、上司がその理由を聞いて、「こうすれば大丈夫。元気を出せよ」と激励したとします。このとき、上司があくまで上からの立場で激励していたとしたら、部下に残る印象は「元気を出せよ」という命令だけです。これでは「元気よくみせていないとまた叱られる」という新たなプレッシャーにしかなりません。一方、部下と同じ目線で、「自分も昔こんな壁にぶちあたったことがあるよ、俺のときはな・・・」という接し方をしたとしたら、結論としては「こうすれば大丈夫。元気を出せよ」、と同じことをいったとしても、部下は親身な対応に感謝し、「こうすれば大丈夫」というアドバイスを素直に受け入れます。親身な対応をしてくれた時点で、すでに元気を取り戻していることもあります。上司のなかには、上司としての威厳が損なわれるとして、このようなやり方を嫌う人もいます。しかし、上司としての威厳とは、上下関係を際立たせることではありません。上司の威厳とは、上下関係ではなく、信頼関係をベースに作り上げていくことなのです。

 

4 「すごい」だけでは信頼されない

 部下が上司に信頼をおくいちばんの理由は、「あの人はすごい」と思うことではありません。

 それもひとつの理由ではありますが、いくら上司のことを「すごい」と思っても、それだけでは部下にとってはあくまで他人事です。部下は「上司が自分のことを気にかけてくれている」と感じることで、はじめて上司に信頼をおくようになります。これは、「上司が自分を評価してくれている」という話とは違います。上司は、全員の部下に人事考課上の高い評価を与えることはできません。しかし、少なくとも全員を「気にかけている」姿勢を示すことはできます。これが非常に大事なのです。たとえば、1日1回、一人ひとりの部下に、「最近調子はどうだ?」などというちょっとした声がけをするだけでも、与える印象は全然違います。その時点で上司が決定的に部下から嫌われていれば、逆に「ウザい」と感じられるかもしれませんが、それでも続けていれば効果は出てくるものです。「上司は自分に何か働きかけている」と思わせるだけでも前進です。また、部下と小さな約束をして、確実にそれを実行することも効果的です。たとえば部下と「来週の月曜日は一緒にランチを食べる」という約束をして、それを実行します。

当日になって、いきなり「今日ランチ一緒にどう?」と誘ったのでは、たまたま誘う相手がその部下しかいなかっただけと思われる可能性があります。これでは効果は期待できません。何日か前から約束をすることによって、部下は「特別感」をもつのです。そして、実際にランチに行くことで、部下は「ちゃんと覚えていてくれた」と感謝するでしょう。また、当日までの間に一度くらいは「何を話そうかな」と考えるでしょうから、本当の悩みなども聞けるかもしれません。約束することは、何でも構いません。ランチのような単純な約束でもよいし、「目標を達成したら朝礼で表彰するよ」といった、条件付き約束もアリです。部下にとっては、約束の内容そのものよりも、「上司と約束している」ということ、そして、「約束を実行してくれたこと」自体が、上司への信頼感につながるのです。もちろん、その上司が仕事面でも「すごい」と尊敬できるような人であれば、部下の信頼感は一層高まることになります。

 

その気にさせるほめ方、叱り方

1 「ほめる」、「叱る」の本来の目的は同じ

 ほめる、叱るという行為は正反対のように理解されがちですが、どちらも、その本来の目的は「部下を正しい方向に導く」ことです。部下が正しい方向に向かっていれば、「それでいいよ」とほめてやり、間違った方向に進んでいれば、「そっちじやないよ」と間違いに気付かせてあげるだけのことなのです。このように考えると、部下のミスを指摘するだけの行為は「叱っている」のではなく、たんに「非難している」に過ぎないことがわかるはずです。部下の性格や成長度合いなどによっても必要なミスの指摘の仕方は変わってきます。

しかし、どのような言葉をかけるにせよ、それが部下を正しい方向に導くことにつながらなければ、「叱っている」ことにはならないのです。

 

2 「ほめる」、「叱る」の対象は人ではなく行為

 もう一つ、原則として理解しておきたいのは、ほめるにせよ、叱るにせよ、その対象は部下そのものではなく、仕事の結果や取り組みのプロセスなど「部下の行為」であるということです。部下ががんばって目標を達成したら、部下のすべてがすごいのではなく、目標を達成したことがすごい、逆に目標を達成できなかったら、部下のすべてがダメなのではなく、目標達成できないことがダメということになります。特に叱る場合は、この点に十分に配慮する必要があります。人格そのものを否定するような叱り方は許されるはずもありません。

 

3 「ほめる」ときにも注意が必要

 叱るときだけではなく、ほめるときにも注意が必要な場合があります。

 たとえば、部下が大きな業績をあげた場合、普通、上司はこれをほめます。これ自体は何ら問題ないのですが、そのウラには「数字を追いかけるあまり、まったく後輩の面倒をみていない」、といったマイナス面が隠れていることもあります。そして、そのことにほかの部下は気付いていることも多いものです。上司がそれを知らずに「今後もがんばれ」と手放しでほめたのでは、その部下だけでなく、ほかの部下も「後輩の面倒はみなくていいんだ」と勘違いしてしまうかもしれません。したがって、上司は特に部下が「大手柄」ともいえる成果をあげた場合には、隠れているマイナス面がないかも調べる必要があります。随分とうがった見方のようにも思えますが、「ほめる」「叱る」の本来の目的が「部下を正しい方向に導く」ことにある以上、これは当然です。大きな業績自体はほめてあげますが、後輩の面倒については、逆に指導しなければなりません。そして、そのようなマイナス面がなく、本当の「大手柄」をあげた場合には、ほかの部下の模範として、みんなの前で盛大にほめてあげることです。

 

4 「叱る」ときには部下に考えさせる

 叱る場合は、特に「どの点を叱っているのか」をはっきりさせることが必要です。部下は叱られて萎縮していますから、「自分自身が否定された」という誤解を招きやすいのです。そして、上司は「次回からはこうしろ」と直接的な指示をするのではなく、「どうしたら改善できると思う?」という具合に、部下自身が改善策に気付くような指導をしてあげることが大切です。上司からいわれるよりも、自分で気付いた改善策のほうがやる気がわくからです。そして、部下のプライドも考えて叱るときは、できるだけ個室などの目立たない場所で 1対1で叱るようにしましょう。ただし、全員の前で叱ったほうがよいケースがあります。それは特別な事情がないのに、遅刻などのようにルールを破った場合です。規律の維持のためにあえて全員の前で叱るのです。もちろんこの場合でも部下自身を否定するのではなく、遅刻した事実を叱ることに変わりはありません。

 

他部門にも関心をもたせる

1 ほかの部門と協力しあって成果を出すのは当然

 上司のなかには、自部門の業績や部下の状況については十分な注意を払うが、ほかの部門の状況はよく分かっていない、あるいは関心がない人もいる。「自部門の目標達成のためには、ほかに関わっている余裕などない」というわけです。当然ながら、そんな上司がコントロールできるのは自分の部下だけです。一方、上司のなかには、常にほかの部門にも関心をもち、最新の状況を把握するように努めている人もいます。「隣の部門で問題になっていることは何か」「ほかの部門で成功している営業手法は何か」などさまざまな情報を集めます。そうすることによって、自部門だけではなくて、周囲の力も借りて成果を創出できるようになるからです。

自部門で何か大きな問題が発生した場合、ほかの部門で過去に同じような問題が起こっていたとすれば、問題解決のヒントが得られるかもしれません。また、難攻不落の営業先に他部門と共同して挑むことも可能でしょう。いうまでもなく、上司が任されている部門は会社全体のなかの一部です。自部門だけで仕事を完結させるわけではありません。ほかの部門と協力しあって成果を出していくことは当然の選択肢なのです。しかし、あくまで相手の協力あってのものですから、他部門からの救援要請にも可能な限り対応し、日頃から信頼関係を作っておくことが大切です。

 

2 上司は経営幹部としての役割もある

 ほとんどの中小企業の場合、上司は任されている自部門の長であるだけではなく、社長と共に会社を引っ張っていく経営幹部としての役割も担っています。そんな上司にとって、「自部門の目標は達成したから後は知らない」という無関心は許されるはずもありません。自部門の目標達成は当然として、日頃から他部門の達成状況もチェックし、危ないと思ったら、「経営幹部」の立場から必要な施策を社長に進言したり、自らフォローに回ることが必要です。上司は、自分の部下だけではなく、非常時にはほかの部門も上手にコントロールできるように、日頃から準備をしておく必要があるのです。このような動きが当たり前にできるようになるためには、社長が日頃から部長、課長の管理職に経営幹部として果たすべき役割を説いておくと同時に、「必要に応じて他部門に口を出すことは我が社では当たり前である」という雰囲気作りを行っておくことが必要です。

 

3 擬似マネジメントが上司を成長させる

 上司がほかの部門へも関心をもつべき理由はもう一つあります。それは、上司自身の成長、能力向上のためです。

 上司はその役職に応じて視野を広げていく必要があります。この場合の視野とは、全体を見渡して、「総合的な状況を把握する能力」「もっとも重要な問題点を発見する抽出能力」などを指します。たとえば、課長が課長として自分の課や部下にだけ関心をもっているだけでは、決して部長としての視野を手に入れることはできません。自分の課だけではなく、ほかの課で何が起きているかに興味をもつことで視野は広がっていきます。また、視野を広げるためには、自分の上司に関心をもつことも有効です。自分が課長であれば、上司である部長が今どんな問題意識をもっているのか、また、そのような意識をもつようになった理由は何かについても、自分なりに考えてみることが必要です。

 これを続けることによって、次第に自分が「課」ではなく、その上の「部」を擬似的にマネジメントしているような感覚になります。やがては社長の右腕として会社全体を統括する感覚も身に付いてくるでしょう。

 

こんな上司は今すぐ指導が必要

1 社長の言葉を自分の言葉に「意訳」できない

 たとえば、社長から部長に「君の部は売上目標2倍」といった一見無茶な命令が出たときに、「社長がこういっているから」と、社長の言葉をそのまま部下に伝える(直訳)ことしかできない部長は、あきらかに上司として失格です。これでは部下は理不尽に思うだけです。さらに、部下の機嫌を取るように、「まったくうちの社長はいつも無茶ばかりいうから。みんな、ごめんね」などとやるのは最悪です。これは意訳ではなく言い訳です。そんな発言を繰り返す上司に対しては、「この人はまったく頼りにならない」と部下は早々に見切りをつけるでしょう。

 このとき、部長が上司としてやるべきことは、なぜそのような目標が設定されたのかをきちんと聞き、自分なりに咀嚼して、部下に目標を達成することの重要さを伝えることです。つまり、社長の言葉がもっとも効果的に部下に伝わるように意訳してあげるのです。その際には、「そうしないと全社で赤字が出るから」といった、部下からみると距離感のある理由ではなく、「それをすることで部下自身にどのようなメリットがあるか」といった、部下の不満をモチベーションに変えるような意訳能力が必要になります。逆に、部下から会社全体に対する不満があがった場合、自分自身もその通りだと感じたとしても、それを「部下からこんな不満があがっています」と伝えるのではなく、「このような問題が発生しており、それが部下の士気の低下を招いているようです。私としてはこのような解決策を考えているのですが・・・」といった具合に、自分の言葉に置き換えて社長に具申する必要があります。この翻訳力が不足していると、「上からは締め付けられて、下からは突き上げられる」という中間管理職の悲哀にどっぷりと浸かることになります。逆に、優れた上司は、意訳によって上と下に挟まれるのではなく、それぞれに好影響を与えることができるのです。

 

2 部下とまともに喧嘩する

 上司のなかには、部下と意見が対立した場合に、自分の正当性を主張するあまり、部下とガチンコとも思える勝負を挑んでしまう人がいます。部下の反対意見に対して、まずは論理的に応じますが、形勢不利とみるや、上司としての立場を利用してでも完膚無きまでに部下を叩き潰そうとします。いうまでもないことですが、部下と勝負しても何もよいことはありません。部下を叩きのめしている上司をみて、ほかの部下が「やっぱりあの上司はすごい」と思うことなどあり得ません。「あの人は何と了見の狭い子どものような人なんだ」と評判を落とすのがオチです。たとえば、自分が正しく、部下が間違っていることが明らかな場合、部下が成長する大きなチャンスです。まずは「なぜ君はそう思うの?」という具合に、部下自身に間違っている点を考えさせることで、部下自らに間違いに気付かせることができます。逆に、部下と意見を交わしているうちに、自分の意見が間違っているとわかった場合には、素直にそれを認めます。この際に、メンツを気にして、「情報が不足していたから」「考える時間がなかったから」などと変な言い訳をするのは逆効果です。「そうか、そういう考え方もあったのか」と部下をほめてあげることです。上司と部下に十分な信頼関係ができていれば、一度や二度、間違いを認めたくらいで メンツが潰れることはありません。

 

3 上司仲間に部下の悪口をいう

 ここでいう悪口とは、いわゆる「愚痴」のことです。

 愚痴ではなく、相談(部下の欠点を修正する方法について知恵を借りる)することはまったく問題ありません。上司が軽々しく部下の悪口をいってはいけない理由は、それを聞いているほかの上司の「評価」につながるからです。部下が上司の悪口をいい合って留飲を下げたとしても、基本的に話はそれでおしまいです。そんなに罪深いものではありません。ところが、上司同士の飲み会で「まったくうちの部下のAは消極的だ」という話が出たとしたら話は別です。酒の席のことで「話半分」として聞いても、マイナスの印象は確実に残ります。これは、人事異動などで今後その部下の上司になる可能性がある人達に向かって、部下のダメ振りを刷り込んでいるのと同じことです。飲み会ごとに同じ部下の悪口をいっているようだったら刷り込みはどんどん進みます。さらに、「Aは消極的だ」という発言がまったくのいいがかりだったとしたら、これはもうとんでもない悲劇です。

経営と真理 へ

「仏法真理」へ戻る