部下が生き生きと働けるためには

 管理者が果たすべき役割のなかで最も基本となるのは、あなたの部下たちが積極性をもって生き生きと働くための雰囲気作りです。

 管理者は日々最前線で部下とともに戦っています。

 その部下たちが生き生きした集団である場合と、管理者自身も含めた「やらされ集団」である場合とでは、仕事の成果や部下たちの成長に大きな差が出ることは間違いありません。

 社長が朝礼などで「仕事は積極性が大切だ」と何度も繰り返しても、直接の指揮官である管理者がそれを実践していなければ、末端の社員たちにはなかなか浸透しない。

 管理者には、自分自身が積極性をもって生き生きと働くとともに、部下たちも同じように働けるような環境作りが求められるのです。

 そのためには社長は管理者にどのような指導をすればよいのでしょうか。

 

リーダーとしての自覚を促す

 管理者とはその言葉だけからは、「成果を生み出すために部下たちを管理する」、つまり、マネージャーとしての役割が強調されがちだが、彼らは部下たちを強力に牽引するリーダーでもあります。

 トップであるあなたは このことを改めて管理者たちに認識させる必要がある。

 では、リーダーに必要な条件とは何でしょうか。

 それは、自分自身のめざすべき姿、つまり、ビジョンをもつことです。

 ほとんどの社長は、自分自身のめざすべき姿、会社のめざすべき姿といったビジョンをもっています。

 それがあるからこそ、仕事に前向きに取り組めるし、困難に直面しても簡単にくじけてしまうことがないのです。

 しかし、残念ながら、多くの管理者は自分自身のビジョンをもっていません。

 自分の部門に課せられた目標は意識していますが、それが自分のビジョン実現とどのようにつながっているか ということは考えていないのです。

 

管理者にとってのビジョン

 管理者は、自分のビジョンを2つの方向性から考えることができます。

 まず、最初は会社全体で掲げているビジョンからのアプローチです。

 会社のビジョン実現のために、自分自身や自分が任された部門はどのような役割を果たすべき必要があるかを考えます。

 あくまでビジョンであるから、「会社全体の売り上げ計画○億円のうち、自部門で△億円は稼ぐ」といった数値目標ではありません。

 たとえば、「会社全体の生産性をあげるために営業手法を革新し続ける」というのがビジョンです。

 もうひとつは、自分自身や自部門に軸をおいたアプローチです。

 「自分たちは将来どのような集団になりたいのだろうか、それが実現したらどんなに楽しいだろうか」という具合に考えていきます。

 たとえば、「営業手法を事新し続ける」ことは会社に対して大きく貢献しますが、同時に、自分たちも「高度の営業手法を駆使して成果を出す超一流のプロフェッショナル集団」になれる、というメリットにもつながります。

 もちろん、集団としてだけではなく、一人ひとりの営業マンの能力が飛躍的に高まることも期待できるでしょう。

 このように、会社全体と自部門の双方からのアプローチによって、管理者自身のビジョンを考えさせることで、管理者自身の積極性を引き出すことができるでしょう。

 

部下にビジョンを浸透させる

 管理者は、ビジョンができたら、それを部下たちに浸透させなければなりません。

 そのビジョンがもつ意味、会社全体への貢献度、部下たち自身にどのようなメリットがあるかなどを、できるだけ具体的に伝えることが必要です。

 「高度の営業手法を駆使して成果を出す超一流のプロフェッショナル集団」となれば、会社での部下たちの評価は一気に高まるでしょう。

 さらに、重要な仕事を任されたり、昇進する者も出てくるはずです。

 また、個人の営業スキルも飛躍的に向上し、この先のビジネスマン人生で大きくプラスに影響することは間違いありません。

 このように、部下たちに管理者のビジョンを繰り返し伝えることによって、部下のやる気を喚起し、生き生きと働く集団に変えていくことができるのです。

 

管理者のビジョン作成・実現を支援する

 また、社長自身も個々の管理者のビジョン作成を支援する必要があります。

 そのビジョンが会社全体のビジョンに反していないか、管理者やその部下たちにとって本当に魅力ある内容になっているかなどを指導します。

 会社のビジョンと同様に、個々の管理者のビジョンも簡単に変更すべきではないので、時間をかけてじっくりと行うべきでしょう。
 そして、いったんビジョンができあがれば、社長はそれを実現するための支援も行う必要があります。

 個々の管理者のビジョンを常に意識して、彼らがその実現に向けて正しい道を歩んでいるかなども定期的に確認する必要があります。

 社員が積極的に生き生きと働くためには、彼らを日常的に指導している管理者たちに自分のビジョンを作らせて、部下たちもそれに共鳴して働く環境を整えることが大切なのです。

 

困難な目標を「何とかして」達成する

1 目標を簡単にあきらめてしまう管理者

 管理者の役割のひとつに、「困難に直面してもあらゆる手段を講じて目標を達成すること」があげられます。

 彼ら管理者は、会社から部下という大きな経営資源を自由に使えるだけの権限を与えられている。そして、自部門の目標を達成するという責任を負っているのです。

 しかし、管理者のなかには、大きな問題に直面しその解決が非常に困難であることがわかると、「これは不測の事態だから仕方ない」と簡単に目標を諦めてしまう管理者がいます。

 これは、「問題を解決するのは自分自身に課せられた重大な使命である」という、いわゆる「当事者意識」が低いからです。

 部門全体の目標達成の当事者である管理者には、本来であれば「不測の事態」などという逃げ道はない。

2 管理者の当事者意識が会社経営の生命線

 会社のなかで当事者意識がもっとも高いのは、いうまでもなく社長です。

 とくに、オーナー社長の場合は、会社が倒産すれば自分自身が何もかも失ってしまう。

 まさに正真正銘の当事者です。

 ギリギリの状況に追い込まれても、決して諦めずに、何とかそれを乗り切ったという経験をもつ社長は多いと思います。

 しかし、残念ながら、この社長並みの当事者意識の高さを他の社員に求めることは、現実的には非常に難しいことです。

 彼らは、たとえ目標が達成できずに、大きな損失が出たとしても、自分自身が致命的なダメージを受けることは まずないことをわかっているからです。

 これは管理職クラスの社員でも同じことです。

 しかし、だからといって、それを放置すべきではありません。

 社員の当事者意識、とりわけ管理者の当事者意識をどれだけ高められるかということは、会社経営にとっての生命線ともいえるくらいに重要な課題だからである。

3 権限と責任を繰り返し説明する

 管理者の当事者意識を高めるためには、管理者に与えている権限と責任を改めて認識させることが基本になります。

 管理職には部下という経営資源が与えられています。

 また、必要に応じて予算という会社のお金を使う権限も認められている。

 管理者自身だけの力では、これだけの資源を用意することはできません。 

 自部門の目標達成という責任と引き換えに、会社からこれらの資源を使う力を与えられているに過ぎないこと、つまり、管理者という安定したポストが保証されたうえで目標達成の責任を負っているのではなく、目標を達成するための手段として一時的に管理者の権限を与えられているに過ぎない、ということを認識させることが大切なのです。

 そして、ポストに見合うだけの成果を出すことについては、その管理者が完全な当事者であることを理解させるのです。

4 部下に向かって目標達成を宣言する

 管理者に、「何があっても最終的には自分自身の力で目標を達成する」と部下に向かって宣言させるのも、当事者意識を高めるのに効果的です。

 多くの管理者は、「部門目標達成のために懸命に努力はするが、どうしてもダメだった場合は仕方ない」と心のどこかで思っています。

 これではその管理者は部門目標を達成すべき当事者とはいえません。

 「どんな不測の事態が起こっても、自分自身の責任で絶対に目標を達成する」と決意しないかぎり当事者とはいえません。

 そして、その決意自体が難しいので、あえて部下に宣言することによって、管理者に自分自身を追い込ませます。

 そこまで宣言して、それを実現できないということになれば、その管理者は部下に顔向けできないはずです。

 何とかして そのような無様な事態は避けたいという思いが当事者意識を高めるのです。

5 管理者の「言い訳」を理論的に指摘する

 また、日頃から「言い訳をしない」習慣を身に付けさせることも大切です。

 当事者意識の低い人は、問題解決を簡単に諦めてしまうばかりか、問題が解決できない責任を自分以外に押しつけようとします。

 「会社が悪い」「部下が悪い」「顧客が悪い」、自分以外は何でもありです。

 管理者に「言い訳をしない」と宣言させた後で、管理者がこのような言い訳めいた発言をしたときには、社長自身がそれを指摘することが大切です。

 ただし、ここでの目的は、あくまで管理者の姿勢を矯正することなので、頭ごなしに叱るのではなく、なぜそれが言い訳に過ぎないのかを論理的にわからせることが大切です。

6 管理者自身の数値目標は持たせない

 会社によっては、管理職に部門の目標だけではなく、管理者自身としての数値目標を与えている場合もあると思います。

 この場合、管理者には自分の業績も確保しながら、部下の目標も達成させ、最終的には部門全体の目標を達成させることが求められているのです。

 しかし、基本的に、管理者自身には数値目標をもたせないほうがよいでしょう。

 それには2つの理由があります。

 一つの理由は、「部門全体の目標を達成する」という管理者本来の当事者意識が薄れる可能性があるということです。

 管理者が自分自身の目標をもつと、自分の目標達成のための当事者意識ももたなければならなくなる。

 自分の目標達成ばかりに気を取られて、部下への指導がおろそかになることも考えられます。

 とくに、「管理者自身の目標は達成、部下の目標は未達、その結果部門目標は未達」という結果に終わったときには、自分の責任を部下に押しつけてしまいがちです。

 もう一つの理由は、管理者自身の目標達成というのは、多くの場合、どうにでもできるということです。

 仮に、管理者の目標が部下たちの2倍といった高い水準で設定されたとする。一見達成するのは困難なように思えるが、具体的な営業先を割り振るのは管理者自身です。

 受注見込みが高い有望顧客ばかりを自分の営業先に割り振れば、難なく目標達成できてしまうのです。そして、管理者は自分の目標達成のめどを立ててから、本格的に部下の指導を開始します。これはどう考えてもいびつで非効率なやり方です。

 このように、管理者自身に目標をもたせることは、部門全体の目標達成のためにはプラスにはなりません。

 彼らには「部門全体の目標を達成させるための当事者」としての役割に集中してもらうほうがよいのです。

 

部下の成長を促進する

1 自社に必要な人材を明らかにする

 管理者の重要な役割のひとつに「部下の育成」があげられるのは疑う余地がありません。

 そして、ほとんどの管理者はそのことを理解しているはずです。

 ただ、具体的に部下をどのように育てたいかという話になると、その答えを明確にもっている管理者はあまりいません。

 「積極的である」「責任感が強い」、といった世間一般でよくいわれる優秀な社員の特徴をあげる人がほとんどです。

 しかし、一般論ではなく、あくまで「自部門(自社)で働く社員」の人材育成を考えるときには、「自部門(自社)でどのような役割を果たしてもらうか」という視点が欠かせません。

 そして、その際には、現時点の社内の状況だけからの判断だけではなく、「自部門(自社)は将来的にこうなっていきたいが、そのためにはこんな人材が必要になる。部下にはいつまでにこんな能力を身に付けて欲しい」、といった長期的な視点も必要になります。

 人材育成とは、一般論的な「仕事ができる社員」をインスタントに育てることではなく、自部門(自社)の未来を担ってくれる人材をじっくりと育てることです。

 管理者は、自部門の将来像を設計したり、全社的な人材ニーズを社長にヒアリングするなどして、自部門(自社)に必要な人材像を明らかにする必要があるのです。

2 部下に自分の将来像を描かせる

 自部門や会社の都合ではなく、部下自身に自分の将来像、めざすべき姿を描かせることも大切です。

 「専門分野でのプロフェッショナルになりたい」「幹部として経営にかかわりたい」など、いろいろな将来像が出てくるでしょう。

 それらの部下自身の描く将来像と自部門や会社として必要な人材像を擦り合わせることで、その部下がめざすべき方向性が明らかになります。

 それによって、管理者もその部下をどのように育てていくべきかの方針を得ることができるのです。

 このように、めざすべき人材像を管理者、部下の双方が出来るだけ具体的に共有することが大切なのです。

3 基本は部下の成長を「支援する」というスタンス

 めざすべき人材像が共有できたら、いよいよ部下の育成にとりかかるわけですが、部下たちをグングン成長させる管理者は、すべての部下を手塩にかけて育てているかというと、多くの場合 そうではありません。

 彼らが行っているのは、むしろ「部下が自分で成長するための環境整備」の支援です。

 本来であれば、すべての部下にマンツーマンで指導してもよいのですが、そんなことは通常は時間的に不可能です。

 また、仮に可能であったとしても、管理者が一方的に育てようとするよりも、部下たちが自主的に育つように仕向けるほうが、その成長スピードが速いことは明らかです。そのため、部下たちを育てることが上手な管理者は、部下が自分の力で成長するための仕組みを整えます。

 ここでいう仕組みとは、部下が自分の正しい努力の方向性を見極め、実際にそれを日々実践していくためのすべての仕組みを指します。

 部下のめざすべき姿を明らかにするというのも そのひとつであるし、部下の成長の進捗を確認するための定期的な面談を設けるなども有効な仕組みといえます。

 つまりは、部下たちに成長は自分の力で勝ち取るものという意識を植え付け、そのための支援は万全に行うというスタンスを取ることが重要なのです。

 もちろん、このようなスタンスであっても、部下が十分に育たない場合の最終的な責任は管理者にあること、つまりは「部下を育てることについての当事者」は管理者であるという意識をもち、万全のフォローをすることが大切です。

4 部下を自分の「駒」として扱わない

 部下の能力を育成していくことは、部門を束ねる管理者の戦力全体を強化することでもあります。

 当然、有能な部下が増えれば増えるほど戦力はアップします。

 しかし、そのことしか考えない管理者のもとでは部下は育ちません。

この考え方の度が過ぎた管理者は、部下を部下自身のためではなく、自分の駒」として育てようと考えます。

 そんな人が部下を育てる動機は、「コイツにもう少し仕事ができるようになってもらわないと困る」、つまりは自分が使える駒を強くすることだけです。

 そして、実際に部下が育つと、部下の成長ではなく「駒が揃ってきたこと」を喜びます。

 ほめる対象は、部下ではなく、駒を充実させた自分自身です。

 また、思い通りに部下が育たないときには、「何でおまえはこんな簡単なことができないんだ。まったく使えないヤツだ」というレッテルを貼り、その成長を見切ってしまう。いうまでもなく、部下は管理者の駒として成長したいわけではありません。このような態度を取る管理者の下では、部下は自分の成長を素直に喜べないため、その成長スピードは確実に落ちます。

 管理者には、自分の都合とは関係なく、部下の成長そのものを真筆に望む姿勢が求められます。そしてそのような姿勢を貫いたほうが、結果として大きな戦力を手に入れることができるのはいうまでもないことでしょう。

 さらにいえば両者の違いは、結局は一人の人間として部下に愛情を注げるかどうかということです。

 管理者と部下という関係が、人間対人間というベースで成り立っているかぎり、そこには信頼関係が不可欠です。

 そして、信頼関係を作るための愛情を注げるのは、立場上、部下ではなく、管理者だけなのです。 

5 管理者自身も自分の成長を宣言する

 部下を自分の駒としか思わない人のもうひとつの特徴として、「部下には育って欲しい、でも自分は抜かせない」という防衛本能をもっていることがあげられます。

 その管理者にとって、部下はあくまで自分の駒ですから、駒が主人である自分を抜くなど許されるはずがないのです。

 抜かれないために管理者自身も成長しようと努力していれば よいのですが、そのような人は、自分の主人としてのポジションを「絶対安定的」なものと考えているので、必要な努力をしないことがほとんどです。

 結果として、その管理者が任されている組織は、いわゆる「出る杭は打たれる」組織になってしまいます。

 そして、そのような組織が大勢を占めるようになると、会社全体も一定のレベルで成長がとまってしまいます。

 管理者が部下の成長を素直に喜び、また、管理者自身もそれ以上に成長することで、その組織は活性化していきます。

 そのような健全な成長のサイクルを築くためには、管理者自身にも自分の成長する方向性とそのためにどのような努力をするか、ということを宣言させることが有効です。

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