責任範囲明確化論の落とし穴

 「社員の責任範囲を明確化する」というのも よくある内部管理の議論です。

 責任を負う範囲を明確にすることで、やるべきことが明らかになり、それだけ社員も自分の仕事に責任を持って取り組んでくれることを期待するわけです。また、業績評価もしやすくなります。

 たとえば、3人の部下がいるとして、全員に「わが社の売上を上げろ」と指示すると、みんなが「他の誰かが売るだろう」と考えてしまう可能性がありますが、「お前の責任範囲はA商品、お前はB商品、お前はC商品」とすれば、逃げ場はなくなるので、より成果が出ると考えるわけです。

 一見もっともらしいのですが、実際にはみんな自分の責任分野の製品しか売らなくなります。A商品の担当の人は、B商品について お客様から意見をもらっても、その担当者に伝えないかもしれません。自分の仕事ではないからです。また、お客様からC商品の注文をもらっても、「では明日担当者をよこします」と言って、その場では受けないかもしれません。B商品に大きな引き合いがあって、その担当者が目の回るほどに忙しくなっても、他の2人は「自分の仕事じゃない」と言って手伝わなかったりもします。無責任になるというだけではなく、ほかの人が責任を持っている分野に口を出しては越権行為になるという遠慮も出ます。特に、日本人には余計な口を出されることを嫌がるカルチャーがありますが、責任範囲を明確にすると、そのカルチャーを助長させるのです。

 もう少し大きなレベルになると、製造の人は営業の仕事をしませんし、営業の人は製造に携わりません。互いに「その仕事はほかの部署の仕事だから自分は関係ない」と思ってしまいますし、「人の仕事に手を出すな」という変な縄張り意識も出てきます。

 そこで、一倉先生は、「責任明確化は企業の凶器である」とまで言って、この考え方を批判します。

「私がある会社に勤めていたときに、コンサルタントに頼んで数ヵ月かかって職務分掌規程をつくりあげた。しかし、それは施行第一日の午前中に崩れて、誰もそんなものは無視するようになってしまった。それは検査課で起こった。検査済みの品物を倉庫に運ばなくなってしまった。機能まではちゃんと運んでいたのに である。検査課長は、「検査済みの品物を倉庫まで運べとは書いていない。文句あるか」というわけである。これは、検査課長がバカなのであるが、そんなバカに口実を与えてしまうのが職務分掌規程なのである。」(『社長の販売学』P-104~105)

 現実問題として、仕事というのは明確に区切ることはできないものです。商品をつくる→お客様から注文をいただく→商品をお渡しする→代金をいただく という流れのなかで各担当者が連携していくことで、仕事はスムーズに流れます。

 営業担当者だけが注文を取るわけではありません。機会があれば、総務の人でも経理の人でも受注すべきですし、生産技術に関するアイデアにしても、営業の人が提案しても構わないわけです。そうして衆知を結集してこそ お客様の要求に応えることができます。

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