知識創造の「SECIモデル」

 「走り高跳び」を例にとり、SECIモデルによる形式知化プロセスが開設されています。

陸上競技の走り高跳びの技術は、細かい技法の集合体で、選手はひとつずつのコツを他の選手に説明することはできません。「走り高跳びができる」ということ自体が暗黙知なのです。これを「走り高跳びマニュアル」に仕立てるのがSECIモデルによる形式知化であり、組織的に(陸上部内で)マニュアルを見ながら試行錯誤していくうちに、次はもっと効果的な新しい走り高跳びの方法が生み出され、それが広まっていくことになります。

I:内面化(Internalization
・個人:形式知→暗黙知
・マニュアルで走り高跳び法を学習し、自分のものとして体得する

S:共同化(Socialization
・個人+個人:暗黙知
・同期の仲間に練習や雑談を通じて、跳び方が伝授される

E:表出化(Externalization
・個人→組織:暗黙知→形式知
・新しい走り高跳びの方法を陸上部内で共有するためにマニュアルを作成する

C:連結化(Combination
・組織+組織:形式知+形式知
・陸上部内の短距離走グループのマニュアルと組み合わせて強化する

SECIモデルは、特段どのステップから始めるべきというものではありません。そして新しいイノベーションが必ずどこのステップで生まれるかも、最初から想定されるものでもありません。「I:内面化」における選手個人の鍛錬の中で、「S:共同化」におけるチーム内での選手同士の切磋琢磨の中で、「E:表出化」におけるマニュアル化(文書化)の生みの苦しみの中で、「C:連結化」における、異質なもの同士の結合時の摩擦の中で。

走り高跳びの技術の進化の歴史が取り上げられています。はさみ跳びからベリーロールへ。ベリーロールから背面飛びへ。1968年にディック・フォスベリーが背面飛びを生み出しましたが、彼は当時主流のベリーロールが苦手で、はさみ跳びの変形を研究し続けていました。コーチにも見放され、周囲からの嘲笑に耐えながら、一人でイノベーション「背面飛び」の完成まで何年間も修練を積んだのです。それが完成されたのが、メキシコオリンピックでの金メダル(2m24cmの世界新記録)でした。

 

 

「SECIモデル」の構成要素

 

I:内面化(Internalization
・形式知から暗黙知へ
 内面化とは、形式知を暗黙知へ体化(身体化)するプロセス。行動による学習と密接に関連したプロセスで、形式化されたナレッジが、新たな個人へと内面化されることで、その個人と所属する組織の知的資産となる

S:共同化(Socialization
・暗黙知から暗黙知へ
 共同化とは、経験を共有することによって、メンタルモデル(認知的=精神的暗黙知)や技能(技術的=身体的暗黙知)などの暗黙知を創造するプロセス。暗黙知を共有する鍵は“共体験”。経験をなんらかの形で共有しないがきり、他人の思考プロセスに入り込むことは困難である

E:表出化(Externalization
・暗黙知から形式知へ
 表出化とは、暗黙知を明確なコンセプト(概念)に表すプロセス。暗黙知がメタファー、アナロジー、コンセプト、仮説、モデルなどの形をとりながら次第に形式知として明示的になっていくプロセス。表出化は、対話(ダイアローグ)・共同思考によって引き起こされ、そこでは帰納法や演繹法といった論理思考を活用することも形式化の有力な方法論となり得る

C:連結化(Combination
・形式知から形式知へ
 連結化とは、形式知同士を組み合わせてひとつの知識体系を作り出すプロセス。この知識変換モードは、異なった形式知を組み合わせて新たな形式知を作り出す。データベースとネットワークを用いて情報を体系的な知識へと変換する

組織として、知識の創造・共有・活用・蓄積を活発化させるために、個々のナレッジを共有したり、共同でナレッジを創造したりするための結節点が必要であり、この結節点を「場」と呼ぶ

【創発場】Originating Ba
・共同化に対応
経験、思い、信念、考え方などの暗黙知を共有する場

【対話場】Dialoguing Ba
・表出化に対応
各自が対話(ダイアローグ)を通じて暗黙知を言語化・概念化して形式知に変換するための場

【システム場】Systemizing Ba
・結合化に対応
形式知を相互に移転・共有・編集・構築し、新たな体系の形式知へと統合する場

【実践場】Exercising Ba
・内面化に対応
形式知を個々人の暗黙知へと身体化するための場

 

 

どうしてSECIモデルは広まったのか

それまで、イノベーションを個人技に頼ってきた欧米企業が、バブル絶頂期を迎えた日本企業の技術革新の脅威にどう対抗すべきかを真剣に考えている時期に、丁度 SECIモデルが『知識創造の経営』(1990)、竹内弘高氏との共同論文がハーバード・ビジネス・レビューに発表(1991)、『The Knowledge-Creating Company(知識創業企業)』(1995)が次々の世に送り出されることで世界的に広く知られるようになりました。

そこには、野中郁次郎のアメリカ流の戦略・組織論を否定し、まったく新しい「自己組織化」という概念が受け入れられたからです。

・戦略や戦術の詳細を定めてからそれを「組織化(役割分担と人の調達)」するのでは、イノベーションは生まれない
・知識よりも、戦略に対する重要性の理解や思いを持っている適切な人を集め、戦略の方針さえ定めれば、詳細の部分はチームが決めて行っていく

この考え方が、「チームでの知識創造」「連続した漸進的なイノベーション」の仕組みを説明したものなので、広く受け入れられ、「暗黙知が重要視され、勤続年数が長い日本企業向き」との批判を浴びながらも、多くの実践がなされていったのはなるほどと思います。

時には、欧米企業(特に米国企業)は、したたかに日本企業やアジア企業との競争において、相手側の勝因を分析したり、自社へ積極的に取り入れたりします。企業間競争において大変貪欲な感じがします。逆に、日本企業は、競争戦略において、内発的な偶然や、社内での特定個人の際立った業績に依拠する姿勢が強いように見受けられます。もしくは、欧米企業での経営戦略理論をそのまま直輸入して失敗するか。

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