ギルガメシュ叙事詩

 ギルガメシュというのは、シュメール初期王朝時代のウルク第1王朝の伝説的な王のことです。

 ギルガメシュ叙事詩とは、ギルガメシュという王が、永遠の命を求めて各地を冒険する物語です。この物語については、シュメール時代の遺物から徐々に解読が進んできた。世界最古とも呼べるこの物語は、友情あり愛情あり、バトルや政略もある、一大ロマンとして近代でも知られている。主人公はウルク第一王朝の第五代目の王であるギルガメシュである。彼はライバルであり盟友であるエンキドゥとともに世界を冒険する。森の魔物であるフンババをはじめ、多くの神々や人物が登場する、波乱万丈な物語となっている。   あらすじ

 この叙事詩「ギルガメッシュ」は、紀元前3千年頃にメソポタミアで書かれた粘土板とされる。おそらく世界最古のもので、旧約聖書が書かれる2千年以上も前に存在していたことになる。その後、この叙事詩は何世紀もの間に中近東の至る所で書き写されていった。そのあらましは、形を少しずつ変え異なってはいるが、一様に大洪水の伝説の形で記されている。したがって、古代オリエントの文献にいろいろある大洪水にまつわる伝説は、すべてこの話を起源にしているとみてよい。

 「人は、いつか死ぬ。当分の間、自分の番ではないとは言うものの・・・」と考え込んでしまった、無敵の英雄・ギルガメシュ。悩んだあげく、「不死の人」という評判の賢人ウトナピシュティムを訪ね、教えを乞うことにした。遠路はるばる訪れた英雄に賢人は「大洪水」の思い出を語る。  

 神々の一人、天空の神 エンリルが、増え過ぎた人間たちの騒ぎ立てる音でついに不眠症になってしまったところから原因が始まる。苛立ちを覚えたエンリルは、様々な天変地異をもたらして人間たちに反省を促そうとしたが、人間は少しも改める様子がなく、彼らの騒ぎ立てる騒音は、ますますひどくなる一方であった。とうとう頭に来たエンリルは、大洪水を起こして、劇的にすべてを始末してしまおうと考えた。計画は成功しそうに見えたが、寸前のところで出産の女神イシュタルは絶望のあまり泣き出し、知恵の神エアは好意を持った一部の人間に箱舟のつくり方を教えて、様々な動物とともに大洪水から救ったのであった。

 神々が大洪水を起こすことを企むが、エア神は、大洪水がやってくる機密を葦屋に向かって壁に向かって漏洩した。ことの次第を悟った ウトナピシュティムは、船をつくって家族・親族や動物などを乗り込ませた。嵐がやってきて、大洪水が起こり、あまりの凄まじさに神々さえも恐れおののいた。七日目にようやく大洪水が引いた。船はニムシュの山に漂着する。最初はハト、次にはツバメを放つが戻ってきた。最後にカラスを放つが、戻ってこなかった。ウトナピシュティムは神々に犠牲をささげた。犠牲の匂いによって、エンリル神は大洪水を逃れた人間がいたことを知って立腹するも、エア神のとりなしが功を奏した。エンリル神は、ウトナピシュティムとその妻を神々の如くし、はるか遠くの河口に住むよう命じた。

 こうして、人間は繁殖と知恵の神の計らいで、辛くも滅ぼされそうになったところを救われたのである。

 旧約聖書でおなじみの「ノアの箱船」のストーリーとほぼ同じです。粘土板に刻み込まれたシュメール神話は、旧約聖書よりもはるかに古い。こちらがオリジナル・ストーリーなのが明らかで、欧米人の聖書観に大きな変更を迫ることになったのです。

遺伝子の仕組みを理解していた?

 ギルガメッシュ叙事詩の中に、遺伝子の仕組みを理解していたと思われる記述がある。ギルガメッシュ本人が「私は半神半人で、血の2/3が神」という表現がある。神と人間のハーフなら、1/2が神になるというのは現代人の一般的な見解である。ところが、遺伝子研究が進んだ最近になって、ギルガメッシュ叙事詩に書かれている方が正しいと思われる解釈が出てきた。ミトコンドリアDNAという母親からそのまま受け継がれるDNAが発見された。普通のDNAは母親と父親のDNAを半分ずつ持つが、このミトコンドリアDNAは、父親のDNAが交じり合うことはなく、母親のDNAがそっくりそのまま受け継がれる。つまり、子供は母親のDNAを2、父親のDNAを1の割合で持っているのです。ギルガメッシュは女神と人間のハーフなので、「血の2/3が神」というのが正しい表現ということになる。

 参考

大洪水の伝承

 聖書を日常生活の糧として、「創世記」に記された大洪水とノアの箱舟の物語が常識となっている西欧の人たちにとって、アッシリア版の「大洪水」物語の発見がセンセーショナルな出来事であったのは当然である。聖書の世界がそれほど常識化していないわれわれにとってさえ、このような劇的なストーリーと同じものが、一度は忘れられた文字で書かれた遠古の書板から現われ出た、ということは驚くべきことと思われ、古代研究の意義を再認識させる。

 『旧約聖書』では、「大洪水」とノアの箱舟の話は「創世記」6-5~9-17までに述べられている。大洪水の考古学的証拠としては、シュルッパク(現在のファラ)、ウルク(現在のワルカ)、およびニネヴェなどで、洪水によってできたと考えられる沖積世地層が発見されている。しかし、時期的には一致していない。これらの事実から推定されることは、メソポタミア全体にわたるほどではなく局地的であったであろうが、ある時期にかなり大きな洪水があったことは確かで、その記憶が長く伝承に残されたのと思われる。

食料不足・木材不足による滅亡説

 メソポタミア文明は、パンを焼くにも、レンガを焼くにも火が使われ、その源として木を消費しました。また、古代文明の象徴とも言える巨大な神殿や宮殿を建てるためには大量の木材を必要とし、交易船や戦闘用の船も木材で作られました。この時代の気候は非常に乾燥していたため、降水量が減少し、土壌中の塩類が次々と濃度をましていきました。シュメール人はそれを知ってか知らずか、木材調達のために下流から中流、上流へと次々に森林を伐採していきます。その結果、森林伐採によって歯止めがなくなった土壌が下流に流出し始めました。乾燥によって塩分が高くなった土壌が流出し、塩害が進み、灌漑用水路がふさがれるなど、農作物の収穫に大きく影響を及ぼし始めたのです。文明の発展は人口増加と比例するので、ここで食糧不足が起こり始めます。それに加えて、生活の源とも言える木材資源も不足して、どうにもならない状態になってしまった。こうして メソポタミア文明は滅んだと言われています。

セム族による侵略で滅亡説

 シュメールは4000年前にセム族によって乗っ取られる。4380年前にシュメール都市国家にセム族が侵入。セム族がアッカド建国。4200年前にはシュメールが再び奪い返すが、4000年前にはセム族がバビロニア建国。メソポタミアのシュメール人は絶滅し、それ以降メソポタミア地方はセム族に支配されることになる。生き残ったシュメール人が、彼らの植民地であるインダスへ流れていった。シュメールとインダスが頻繁に交流していたことから考えても、インダス文明があった現在のパキスタンは人口の90%がイスラム教徒になっていることから考えても、メソポタミア~インダスは行き来が頻繁な地域であった。このシュメール人とインド原住民の原モンゴロイドの混血がドラヴィダ人だと考えられる。その後、ドラヴィダ人はインダス文明を放棄して拡散していった。

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