マクロ経済スライド制の検討

 マクロ経済スライドとは、賃金や物価の改定率を調整し年金の給付水準を引き下げて、年金制度が将来にわたって維持できるように調整する仕組みです。

 2004年の改正で、保険料(率)に上限を設定したが、それに伴い給付水準を削減しなければならなかった。

 厚生労働省の試算では、被保険者数や平均余命の変動率を基準指標として、一定期間毎年 -0.9% ずつ引き下げが見込まれている(但し、従前額保障方式が採られ、前年度の名目年金額を下回ることはない)。これらのスライド調整(控除)は、老齢基礎年金も対象となっており、また、年金額や所得額にかかわらず一律に適用される。その意味では、同じ一定割合の控除率であっても、低所得層への影響が大きい調整方法である。さらに、この調整は給付水準調整期間を設けてその期間中になされるが、少なくとも20年程度は調整され、将来の給付水準(所得代替率)を引き下げるので、後世代の被保険者に対して年金制度への不安感を増幅する恐れがある。総額賃金の減少は、雇用労働者・被保険者数の減少だけでなく、正規の雇用の従業員を派遣労働者、パートタイムやアルバイト労働者など、非正規雇用労働者に切り替えることによっても起こりうる。その理由は何であれ、賃金総額または被保険者数の減少は給付水準を引き下げる効果があるので、正規雇用労働者数を減らして短時間労働者など非正規雇用労働者への切り替えがさらに加速される恐れがある。非正規雇用労働者の増加は、企業の側からみると人件費削減を図るためであるが、労働者の側にも若者のフリーター志向や家事・育児の理由から長時間労働や残業を回避するなどの要因に基づいているといわれる。しかし、労働者の側の要請は、共働き世帯への家庭・仕事両立支援策が不十分のため、非正規雇用を選択するという側面を見落としてはならない。

 非正規雇用労働者の賃金(時間給)は低く、賞与や退職金もなく、被用者社会保険の適用対象から外されると、今後の社会保障あるいは社会保険制度は成り立たなくなる。非正規雇用労働者の賃金は、親の資産(住居)や配偶者の収入を前提に衣食費と若干の雑費に足る程度の金額であり、事業主負担のない国民健康保険や国民年金の保険料を支払うことすら困難な水準である。また、将来の生活設計もできず、結婚や出産、子育ての目途も立てられない。

 以上のように、マクロ経済スライド制の導入は、年金給付の費用負担の増加の責任を主に受給者と将来の受給者である被保険者に負わせるものである。しかし、それでは生活保障は基盤を浸食され、セーフティネットは成り立たない。被保険者を超えた垂直的な所得再分配機能は社会の安定化の基本原理であり、社会経済が豊かになっても、社会扶助や相互扶助の制度化は重要であり、被保険者、事業主、国が支え合うことが必要である。  

 

社会保障費用の負担のあり方と賃金

 マクロ経済スライドでの基準指標の取り方に問題がある。確かに、その方法としては2つ、基準指標に踏み込むと3つの方法があげられる。

 すなわち、1−a)マクロの経済成長率 (GDP 国内総生産 や 国民所得の伸び率)や、1−b)社会全体の賃金総額の伸び率を年金改定率(スライド率)に反映する方法と、あるいは 2)1人当たりの手取り賃金の上昇率等を反映させている現行の年金改定率に対して、労働力人口や被保険者数の変動率を併せて反映させる方法があげられる。

 これら2つないし3つの方法は内容的にかなり異なるのであるが、にもかかわらず、試算ではその理由を明らかにしないで 2)の方法を採用する。というのは、社会経済全体(マクロ)の負担能力を意味するものとして、国内総生産や国民所得は最も広義であるが、概念を狭めて社会全体の賃金総額をとれば、それは労働分配率が異なればその変動率も異なるし、被用者年金の報酬総額にさらに限定すると、それは報酬や賞与の上下限など制度的側面や被保険者数によっても大きく異なり、また、被保険者数は就業構造の変動のほか雇用形態のあり方などによっても異なるにもかかわらず、2)の方法はそれらを全く考慮する余地を与えないからである。リストラなど被保険者の責によらぬ理由で、被保険者数が減らされ、賃金が切り下げられた場合に、その影響を被保険者や受給者にのみ被らせ、年金の給付水準を減額することは公正であるといえるでしょうか? 賃金総額や被保険者数の減少の責任をなぜ被保険者や加入者のみが負わなければならないのか、その根拠をまず示す必要がある。給付超過債務費用の担い方は、事業主負担の増加もあり、租税負担の投入もあるからである。マクロ経済スライドが公正であるためには、賃金が公正な内容と水準で支払われていることが前提条件である。賃金の公正さとは、生命と労働力の再生産が可能な水準で支払われるということであり、それは子育てとともに退職後の生活が維持されることを含んでいる。退職後の生活費用の支払い方には2通りあって、1つは自らの老後費用を現役時代に事前に支給され、それを貯蓄したり資産運用して、老後に取り崩すか、もう1つは、子の賃金に親の扶養費として支給され、それを原資に私的または社会的に扶養する方法である。いずれにしても、上記の費用が現役労働者の賃金に含まれ支払われなければならない。非正規雇用者の賃金は自身の生計維持費分のみで、社会保険料、福利厚生費、賞与、退職金も含まれていない。生産性の向上、経済成長の成果は適正な労働分配率、配当率などを見直し、現役労働者や退職者にも配分する必要がある。それは同時に、消費需要を安定的に維持し、拡大し、経済の活性化につながる。

 

給付水準の引き下げとマクロ経済スライド  

 従来の再計算時における厚生年金の新規裁定年金の給付水準の改定は、被保険者1人当たり平均の賃金(諸控除後の手取り賃金)の上昇率を指標としてきた(基礎年金は国民生活の動向を踏まえて政策改定)。しかし、今後は平均賃金が上昇しても、少子化などにより被保険者数が減少すると、賃金総額が減少する場合もあり、保険料率を引き上げないかぎり年金保険料総額は減少する。そのような場合には、保険料率を一定に保つ(上限を設定する)ならば、全被保険者の賃金総額の上昇率に応じて給付水準を改定しないと財源は不足する。この全被保険者の賃金総額は国内総生産 GDP や国民所得に規定され、また、労働力人口や雇用者数にも規定されるが、それらは一国全体のマクロ経済成長率に規定されるので、『マクロ経済スライド』と呼ばれるわけである。実際には、被保険者数の変動率と受給期間(平均余命)の伸び率を反映させ、それらをスライド調整率として 2025年度までは年平均 109(0.6 +O.3)%程度を見込んでいるので、その分給付水準は引き下げられる。

 

給付水準(所得代替率)の世帯類型別の相違  

 改正前の厚生年金の標準的な給付水準はモデル世帯を設定して表示された。ここでいうモデル世帯とは、夫は40年間フルタイムで働き、妻は全期間に専業主婦(被用者期間なし)で、標準報酬月額が36万円の場合である。この場合は、夫婦の基礎年金と夫の報酬比例年金で構成され、2004年度の水準は月額23.3万円(老齢基礎年金 6.6万円 × 2 + 報酬比例部分 10.1万円)で所得代替率は59.3%である。このモデル世帯の新規裁定年金について,マクロ経済スライドを適用すると、2023年度に年金財政は均衡し、所得代替率は50.2%を下限とし、その後も(2025年度に 23.7万円/50.2%)維持できると試算された。しかし、世帯類型が異なれば、現在および将来の給付水準と所得代替率はモデル年金と異なる。夫婦とも40年間フルタイム(妻の月収 は22.4万円)で働いた場合は、2004年度の夫婦の年金は29.6万円/46.4%であるものが、2025年度に 30.1万円/39.3% になって、所得代替率は4割を切る。また、単身男性の場合は、2004年度の 16.7万円/42.5%が2025年度に 17.0万円/36.0% と、さらに所得代替率は下がり、単身女性の場合は、2004年度の 12.9万円/52.7%が2025年度 に13.1万円 /44.7%と、男性よりも所得代替率は高くなっている。このような世帯類型ごとの所得代替率の格差は、収入や所得に関係のない 基礎年金を組み込んでいることから当然に生じることである。しかし、問題になるのは、1つとして、このような格差の存在が明確に提示されなかったことである。

 2つには、上記に示した純専業主婦世帯を実際には少数例であるにもかかわらず、モデル世帯としたことである。

 3つには、モデル年金の給付水準の将来の下限を50%を下回らないとした(理論的な)根拠が示されなかったことである。

 したがって、今後に必要な検討課題は、新しいモデル世帯の条件設定であり、各世帯類型ごとに年金額と所得代替率の両面にわたって、その高さなり水準が適正であるかどうかを検討することである。

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