『厚生年金保険制度回顧録』

 戦前より厚生省年金課長であった花澤武夫氏が、昭和61年に厚生省の外郭団体が主催した座談会で話した内容が、「厚生年金保険制度回顧録」にまとめられています。

 花澤氏自身が厚生年金の創設期に絡めて、「基金や財団をつくれば厚生省の連中がOBになった時の勤め口に困らない」と回顧したかと思えば、「年金を払うのは先のことだから、今のうち、どんどん使ってしまっても構わない」と、保険料流用の勧めとも取れる発言をしている。

 「いよいよこの法律ができるということになった時、これは労働者年金保険法ですね。すぐに考えたのは、この膨大な資金の運用ですね。これをどうするか。これをいちばん考えましたね。この資金があれば一流の銀行だってかなわない。今でもそうでしょう。何十兆円もあるから、一流の銀行だってかなわない。これを厚生年金保険基金とか財団とかいうものを作って、その理事長というのは、日銀の総裁ぐらいの力がある。そうすると、厚生省の連中がOBになった時の勤め口に困らない。何千人だって大丈夫だと。金融業界を牛耳るくらいの力があるから、これは必ず厚生大臣が握るようにしなくてはいけない。この資金を握ること、それから、その次に、年金を支給するには20年もかかるのだから、その間、何もしないで待っているという馬鹿馬鹿しいことを言っていたら間に合わない。そのためには、すぐに団体を作って、政府のやる福祉施設を肩替りする。社会局の庶務課の端っこのほうでやらしておいたのでは話にならない。大営団みたいなものを作って、政府の保険については全部委託を受ける。そして、年金保険の掛金を直接持ってきて運営すれば、年金を払うのは先のことだから、今のうち、どんどん使ってしまっても構わない。使ってしまったら先行困るのではないかという声もあったけれども、そんなことは問題ではない。二十年先まで大事に持っていても貨幣価値が下がってしまう。だからどんどん運用して活用したほうがいい。何しろ集まる金が雪ダルマみたいにどんどん大きくなって、将来みんなに支払う時に金が払えなくなったら賦課式にしてしまえばいいのだから、それまでの間にせっせと使ってしまえ。

 厚生労働省官僚は、国家・国民の福利を図るべきなのだが、まずは前例に習うことを旨とし、財界・財務省の意向の実現と自らの利益だけを追求する存在に成り下がってしまったようで、その淵源は昔からあった。

 年金が保険方式で運用されていたのは周知の事ですが、厚生団の理念は根本的に違うようです。保険として年金に支払いに当てられるはずの払い込まれた掛け金は、年金の支払いのために確保しておくのではなく、厚生省の天下り先の養成に使うと明記されています。  参考引用

  使われる先は具体的には
  ・政府のやる福祉施設を肩替りする
  ・政府の保険については全部委託を受ける
  ・年金保険の掛金を直接持ってきて運営

天下り先を作りその報酬も積立金から「横領」

 厚生団の年金資金の運用目的は、厚生省OBの天下り先の養成に使われるためにあるとの宣言です。そのために厚生年金は存在しているとの理念が明瞭に示されています。それでも、保険として預かっている掛け金を使い込んだら、支払いのときに困るんじゃ無いかと素人なら心配するのですが、そんな心配はご無用のようです。

 使ってしまったら先行困るのではないかという声もあったけれども、そんなことは問題ではない。資金は莫大でここにも書かれている通り何十兆円もあるから、一流の銀行だってかなわない。何と言っても無税でじゃんじゃん年金の掛け金は払い込まれますし、それを年金として支払う事を念頭におかずに使い込めるのですから、文字通りの宝の山です。なんと言っても厚生省の同僚や先輩、さらに後輩のために、大事な、大事な天下り先の養成ですから、渾身の知恵を使って仕事に励んだはずです。資金は無尽蔵に近い感覚だったのではないでしょうか。

 いくら使い込んでも、支払い時点で資金不足になっても、「足りなくなった、年金の危機だ」と弁明し、年金を保険方式から賦課方式に切り替えれば何の問題も生じないという理屈です。確かにそうで、統計学的な理論付けは御用学者がいくらでもしてくれますし、その理論に基づいて煙に巻けば誰一人責任は問われないという訳です。よって、雪ダルマ式に集まってくる掛け金は、それまでの間にせっせと使ってしまえと。

 厚生団及び後身の厚生年金事業振興団が「せっせと使って」くれたおかげで、年金は保険方式から賦課方式に切り替わった。つまり、「せっせと使う」余地が小さくなったかと考えます。

 戦時下ゆえ、貨幣価値には下落の危険があるため、現金保管では制度自体が危なくなることを熟知していた花澤氏が、とにかく、収益性あるモノに換えて運用しておく必要を表現したまでだったのです。

 花澤氏の年金制度立上げへの理念は、当時の庶民が庶民たるゆえんを見究めた姿勢がみてとれ、むしろ崇高ささえ感じられるほどです。旧憲法下での議会制度ゆえ、当時の貴族院には庶民の暮らしぶりへの理解が得られず難渋したことや、戦中ゆえ「産業戦士」なる冠を被せられた労働者の状況をつぶさに視察したり、特級官僚の天下りも新制度を納得させる材料にしたりといったエピソードの数々は、花澤氏の実直さを十分に証明しています。

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