高度経済成長期のインフレに対して、給付改善を繰り返した

 1973年あたりの時期になると、高度経済成長を支えた現役世代が定年年齢(当時は 55歳が一般的)近くにさしかかり、引退後の年金の給付水準の保障が労働者の重大な関心事となり、まず給付水準の引き上げを提示することが必要であった。

 1973年には 5万円年金・6割年金を標榜して、給付水準を経済指標(男子被保険者の平均標準報酬月額の6割)にリンクして決定する方向性を明確にした。これは、給付水準を現役被保険者の生活水準の一定割合(6割)をもって保障することを意味し、確定給付型年金を制度化・システム化するものであり、そこから生じる財源の不足は後世代の被保険者に転嫁することを意味する。それにもかかわらず、保険料率は 1.2~1.0%(男女)引き上げられたにすぎず、平準保険料率をなお大幅に下回っていた。

 この場合、過去債務は大きくは3つの原因に基づくものである。一つは、制度が成熟化する以前において、新規裁定年金受給者(加入20年以上)の平均像をモデル年金(または標準的な年金)と想定して、フルペンション(40年程度加入)相当の給付水準を保障したことに基づくものである。それは、制度的あるいは給付体系的な要因に基づくものである。

 もう一つは、インフレによる後発債務の発生であり、過去の標準報酬の再評価を行ったように、いわゆる不確実性に基づくものである。予定利子率以上にインフレが進み、積立金の実質価値が下落しても、実質的な給付水準を維持し、あるいは引き上げれば、原資は予定よりも早く枯渇する。

 3つ目には、保険料(率)の引き上げが十分でなかったことである。段階的保険料方式であれば、当初は受給者も少なく、保険料(率)を低くすることはできるが、いずれはより急速な引き上げがなければ収支のバランスはとれない。そうしなかった理由は、選挙対策、政治的な理由、二重負担など種々考えられるが、実際の保険料(率)と平準保険料(率)との乖離は拡大する一方であり、特に女性の場合に格差は顕著であった。なお、さらに平均余命の伸長による給付期間の長期化が考えられるが、これが過去債務というよりは後発債務になる。この点は国民年金についても同様であり、高度経済成長期初期に設計された制度(完全積立方式)が発足後まもなく インフレの嵐に巻き込まれながら、国民平等化の流れの中で給付水準の引き上げを余儀なくされ、しかし、政治的あるいは政策的な理由も加わって、必要な保険料を徴収できず、むしろ積立金不足は国民年金において深刻な問題点であった。

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