ラムディア大陸滅亡の理由

 ミュートラム文明がひきつがれたのは、いまから8万6千年前、インド洋上に登場したラムディア大陸だった。

 そこでは、4万4千年前、ゼウスが大聖エレマリアという名で、2万9千年前に、マヌが大師マルガリットという名で活躍した。

「ラムディア種にも、幾つかの種類がありました。大きく分けると、赤色人種、白色人種、それから、現在の黄色人種とも黒色人種とも言えない、中間の褐色人種という、三つの人種が住んでおりました。このうちの赤色人種が、やや優勢であったかと思います。
 大きく言って、この三つですが、もちろん、そのほかにも、多少、変化形はありました。というのも、ラムディアの時代には、宇宙から来ているものが割に多く、まだ人間種に完全に変化・変態し切れていないものもいたのです。人間のかたちをしたものもいれば、そうでないものも幾つか散見されました。
 そして、最も有力であったと思われるのが、赤色人種です。現在は、ほぼ見当たらない人種ですので、「滅びた」と見てよいと思います。
 この赤色人種は、身長が非常に高く、二メートル三十センチぐらいが普通で、大きいものは三メートル近かったと思います。巨人族のもとですね。巨人伝説はどこにでもありますけれども、非常に大きな人種です。
 当時は、今の人類種がすでにいましたので、それとの交配により、人間と似た外見のものもいましたが、赤色人種のなかには、「手が二本、足が二本」ではないものもおりました。
 また、今は、男性・女性という、二つの性別に分かれておりますけれども、当時は、男性・女性・両性という、三つの性別があったのです。つまり、男性族と女性族と両性族があって、両性族は、手が四本、足が四本ありました。
 要するに、両性族は、男女が合体したかたちになっていたのです。まことに不思議なことなのですが、両性族は、「普段は、八本の手足を持っていて、交配するときにのみ体が分離する。そして、交配が終わったら、また元に戻る」というスタイルで、生殖を繰り返す種族でした。これもやがて分離されて、男性・女性に完全に分かれていくようになりました。
 また、これ以外の白色人種のなかには、現在の欧米の白人に極めてよく似た方々が宇宙から来ていました。今、「ノルディック」とも言われておりますが、北欧系の白人に似た種類のものもいて、身長百八十センチ前後のものが多かったと思います。
 彼らは、今の人間とほとんど同じスタイルをとっておりましたが、もともと、同じ所から分かれているため、遺伝子的には同じなのです。同じ所、つまり、金星から他の幾つかの星に分かれていった同じ人類であり、それらの星の一部から、地球に来ていたのです。
 それから、先ほど言った褐色人種は、のちに黒色人種と黄色人種にもっとはっきりと分離していくのですが、ラムディアの時代には、まだ褐色人種でした。
 ラムディアは、インド洋に浮かぶ大きな大陸でしたが、今のアフリカ大陸に当たる部分には、すでに黒色人種がいました。ラムディアには、これとは少し違う褐色人種がいて、のちほど、黄色人種と黒色人種に分かれていきます。
 隣のアフリカ大陸では、黒色人種が中心ではありましたが、黒色人種以外では、青白い色をした種類の人間も多少おりました。それから、白色人種も、一部、北のほうにはいたと思われます。」
(『神々が語る レムリアの真実』218~221ページ)

 このラムディア文明も2万7千年前に姿を消したが、その文明は ムー大陸に引き継がれていった。

 幸福の科学大川隆法総裁は、著書『太陽の法』の中で以下のように説かれました。

「ミュートラムの首府・ラミュートは、このとき、全滅してしまったのです。しかし、一部の人々は、船にのって逃れました。ですから、ミュートラム文明の一部は、やがてつぎの大陸へとひきつがれていきます。このころには、インド洋上には、まだ大きな大陸はなく、ちょうど、日本列島の二倍ぐらいの大きさの陸地があったにすぎません。ミュートラムから逃れてきた数千人の人々は、ここで、着実に子孫をふやしていったのです。ところが、いまから8万6千年前、この陸地は、突然、浮上をはじめ、みるみるうちにインド洋上に、大陸ができあがってきます。それから約一年ののちには、巨大大陸ラムディアがその全姿を見せました。これは、かつてないはどの巨大大陸の浮上でした。東西三千五百キロ、南北四千七百キロのヒシ形の大陸です。この大陸には、やがて草木がおいしげり、肥沃な土地となっていきます。そして、いまから四万四千年前、この地に、その後、ギリシャに生まれて、ゼウスと呼ばれた人が出現したのです。このときは、ゼウスではなく、エレマリアという名です。このエレマリアは、文学、美術、音楽をはじめとして、芸術面で、万能の天才でした。大聖エレマリアは、芸術を通して、人々に生きるよろこびと、神の栄光を教えました。そして、ラムディア文明は、エレマリア以降、音楽、絵画、文学、詩、建築、彫刻などの方面にたいへん栄えました。現代でも、芸術方面にすぐれた才能をのばしている方たちというのは、かつて、ラムディアの時代に、勉強をしていた人々なのです。大聖エレマリアのあと、ラムディアに巨大な光をもたらしたのは、マヌです。マヌがラムディアに生まれたのは、いまから二万九千年ほど前です。彼のこのときの名を、マルガリットといいます。当時は、大師マルガリットと呼ばれておりました。マルガリットとは、競い立てる者という意味です。「競い立てる」には二つの意味があります。ひとつは、そのころすでに、全能の神と崇められていた大聖エレマリアと競い立つという意味、いまひとつは、芸術を通して各部族を競わせるという意味です。マヌ、すなわち、大師マルガリットは、芸術に、はじめて競争原理をもち込んだ人でした。彼は、音楽、絵画、文学、建築、加工技術の五分野に部族をわけ、それぞれに最高のものを追求させました。そして、三年ごとに、最高の芸術を決める競技会を開催。その競技会で、最優秀となった部族を、その後、三年間、国を統治する支配階級としたのです。これは、芸術というかぎられた領域ではありますが、公平に競争させて、勝者を統治者とするという意味では、現代の民主主義、デモクラシーの先駈けともいえるものでした。しかも、芸術の究極には神がいるという教えでしたから、ある意味での祭政一致をめざしたものでもあったといえます。」 

 

 大川隆法総裁は、「マヌの霊言」(『レムリアの真実』で、2万7千年前のラムディア大陸滅亡について、この文明の人々が3つの異なる宇宙人を内部に引き込んでしまい、三つ巴(どもえ)の代理戦争になった結果、そのうちの一つの宇宙人から技術供与された「地震兵器」を使った部族が、それによってラムディア大陸を人工的に陥没させてしまったことが本当の理由であると明かされました。

 「ラムディア大陸は、人類の悪想念によって陥没したのだ」と言われていましたが、その地震兵器を使って自らの力で大陸を破壊してしまったのです。もっとも、地震兵器の使用も確かにあったが、神の目からみて地震兵器が使われるような文明の末期的様相そのものが魂の堕落であるとの神の判定が下り、大陸が沈んだのです。つまり、「真理は両方にあった」と マヌ霊は補足しておられました。

「このラムディア文明も、いまから二万七千年前、忽然とインド洋上から姿を消してしまいます。それは、ある暑い暑い夏の日の午後でした。人々が音楽に酔いしれているときでした。しかし、文明だけは救われました。なぜならば、ラムディアの人々は、植民地をもっていたからです。植民地の名は、モア大陸。のちの名をムー大陸といいます。」

地震兵器

異常気象・転変地異 へ

「仏法真理」へ戻る