相次ぐ自然災害の原因

人類にとって天変地異は神の警告

 歴史上、大きな天災は政治の乱れや社会の腐敗に対する「天の警告」だと考えられてきた。

 では、なぜ現代に地震や火山の噴火が頻発するのかと疑問に思う人は多いでしょう。災害が相次ぐことには理由があるのです。

参考

 幸福の科学大川隆法総裁は、『大震災予兆リーディング』において次のように語っています。

「(天変地異を)『単なる自然現象で、偶然に起きているのだ』という見方もあるでしょう。証拠がないものについては分からないため、『自然現象は偶然に起きている。溶岩が動いたり、プレートが沈み込んだりしたときに、たまたま、その拍子に(地震が)起きるのだ」と考えて過ごせる方がいるのなら、それはそれで結構かとは思います。しかし、何らかの物理的な理由で起きているとはいえ、古来より、天変地異については、『人間界の何かと連動していることが多い』という考え方もあるわけです」

 天変地異は偶然に起こるものではない。その背景には明確な「意志」が働いている。誤った政治が行なわれたり、人心が乱れるなど、人々が神仏への尊崇の念を忘れ去った時に警告として起こるわけです。

 世紀末的な時代には、天変地異に込められた意味を汲み取り、預言者や救世主の声を素直に聞くことができるかどうかが地上の人間に求められているということでしょう。

 

 大川隆法総裁は、実際に さまざまな災害や異常現象の背景にある天意や霊的影響を明かし、折に触れて発信してきました。さまざまな視点がありますが、重要なものを挙げるとすれば以下の3つは外せません。

1 為政者に徳がなく、政治が乱れている

 大川隆法総裁は「為政者の側で、誠実さが欠けているものがあると、やはりいろいろな天変地異が起きて、皆に『気づけ』ということを伝える。これはもう伝統的に、中国でも日本でもそうなので。『為政者に徳がなければ、そういう天変地異や災害がいっぱい起きる』っていうことは、統的に儒教文化圏では認められていることでございますので」と語っています(法話「勇気からの出発」)。

 

2 科学万能主義・唯物論が蔓延している

 宗教的に見た時、問題の本質は「人間の科学で想定外の自然災害から、自分たちの傲慢さや誤った価値観を反省せよ」、という意図が働いていると捉えるべきではないでしょうか。

 大川隆法総裁は、『地球を包む愛』においてこう語っています。

「何らかのかたちでピークを迎えて、人間が傲慢になっているときには、いずれの時代にも、地震とか津波とか、あるいは去年の台風のような風水害とか、『そこまでは予想していなかった』というようなことが起きます。

二十世紀から二十一世紀にかけての文明というのは、唯物論に完全に加担して、さらに『科学こそ学問のすべて』というような感じになって、科学技術をもって人間の知恵と考える方向に行きがちでありますけれども、そういうことで慢心している人々の鼻がポキッと折られることがあります。

『不幸のなかにあって、まだ自分たちの未熟なるところ、まだまだ届かない大いなる力があるところに対して、謙虚に畏怖の念を持つべき』だと思います」

 科学的・合理的に考えて、発生確率の高い災害について対策を進めることは自助努力の観点から非常に重要ですが、昨今起きている さまざまな天災には、「科学で全てを予想できる」かのような幻想を砕く意図も働いていることを念頭に置いておく必要があるでしょう。

 「文明の驕りを挫く」という意味では、学説的に あってはならない地震・噴火の連鎖が起きているのは、科学への揺さぶりにも見えます。

 日本の地震科学の粋を集めて「南海トラフ地震」ばかり警戒してきたにもかかわらず、平成以降の大地震は、阪神・淡路、東日本、熊本、能登など、想定外の地域ばかりを狙うように起きて来たことも示唆的です。

 大きな災害が起きると、人間は「自分たちが築いてきた文明のはかなさ」を実感し、「いつ死ぬかわからない」という諸行無常の感に打たれて宗教心の片鱗を見せることもあります。

 一方、こうした宗教心が薄れることが、政治家が正義を忘れ、権益・保身・ポピュリズムに走る原因となっているとも言えます。

 

3 国防や戦争の危機が近づいている

 総裁のさまざまな法話や霊査では、例えば「九州方面で起きた災害の背景に、中国などの軍事的脅威に対する自覚や危機意識を促す天意が働いている」といったケースもあります。

 防災と国防は同じ危機管理として通じる部分も多く、「平和ボケ」的発想を戒めたり、特定の方面への警戒を促したりするといった意図も災害の背景に含まれていることがあるようです。

 

「神の目」を忘れた政治

 「信仰心の欠如」という観点から言えば、前の政権にも反省すべきことがあった。

 安倍政権では不祥事が続いた。不祥事に共通しているのは、バレなければ国民を欺くことができるという「神仏の目」を忘れた傲慢さです。信仰心を持ち、自らに善なる言動を求める気持ちがあれば到底できなかった行為だと言える。政治家や官僚一人ひとりに神仏に恥じない言動が求められている。

 西日本豪雨のみならず、大阪の地震をはじめ各地で地震が頻発している。

 実際に災害に遭われた人たちに罪があるわけではない。しかし、こうした自然災害が繰り返し起きることについて、日本人全体が真摯に受け止める必要がある。活火山や地下断層など日本全土に災害の要因が存在する。そうした列島において、数千年に渡って生命が存在し続けていることを「当たり前」だと考えてはならない。

 昨今、想定外の規模や地域で大地震が発生したり、同じ地域に地震と記録的な大雨が、なぜか同じ地域に重なるといった不審な現象が相次いでいます。

 大川隆法総裁は、こうした天変地異について『政治革命家・大川隆法』において次のように語っています。

「『徳のある政権』が続けば、そうした天変地異は少なくなってくるので、そういうことを原理として知っておいたほうがよいでしょうね。これは、霊界科学としても言えることなのです。  

 天罰というのは、昔から言われていることですから、実際にあるし、これは、実は、革命思想とつながっているものです。

 革命思想というのは、『天変地異をはじめ、食料危機、水の危機、大火事など、少し普通ではない事態が起きるときは、天意が変わったときであり、天は革命を欲している』という考えであって、そうした尋常ではない事態は、『新しい指導者よ、出てきなさい!』ということを示していることが多いんですよ。

 近年、日本では、阪神・淡路大震災と東日本大震災が起き、さらに、外国からの侵略の危機も起きていますが、これは、もう、革命思想が到来しなければいけないときです。天意として、『改革者よ、現れなさい!』ということを教えているのでしょう。しかし、教育が正しくないために、それを解読できない状態になっているわけです」

 災害やその予兆は、人心の乱れを反映していると同時に、「徳の無い政治が許容範囲を超えつつあるのではないか」、ということを省みる機会と言えるのではないでしょうか。

 

動乱期に天変地異が起こる

 天変地異を「天罰」「警告」などと言うと、「不謹慎だ」「迷信だ」という反発の声が出てきます。しかし、記録に残るほどの甚大な天変地異が動乱期に重なって集中しております。人心の乱れや それに伴う政治の混乱に呼応したものだと考えるのが自然です。

 例えば、平安末期や戦国時代、幕末など、時代を画するような戦乱の時代に天変地異が集中している。これらは、旧い枠組みに対する神仏の警告であると同時に、新時代への胎動を促す意志の表れでもある。一見、戦乱のない時代に起きる天変地異でも、後から振り返るとその意味が見えることが多い。  

鎌倉時代の「元寇」では、モンゴル軍が攻めてきたタイミングで、2回とも台風が通った。1回目の襲来である「文永の役」は、11月半ばのことであり、台風の季節ではない。

 

左翼政権のときに天変地異が起こる

 阪神・淡路大震災と東日本大震災が、神仏を否定する実質的な左翼政権の時代に起きた。

 大規模な天変地異の原因について、大川隆法総裁は『逆境の中の希望』の中で以下のように語りました。

「『阪神・淡路大震災』と『東日本大震災』という二大災害は、実質上の左翼政権が立っているときに起きています。そして、その背景には、やはり、仏神、仏や神を軽んずる風潮、唯物論的な風潮があります。

そういう風潮が「勝利した」と宣言しているときに、こういう天変地異が起きているのです。」

 菅民主党政権の下で起こった史上最大規模の東日本大震災で思い出されるのが1995年の阪神・淡路大震災だが、このときは社会党の村山政権だった。

 この2つの政権に共通するのは左翼政権という点です。左翼勢力が国の舵取りを行うときに日本国中を巻き込んだ大災害が起きた。これは単なる偶然ではない。

 古来、日本には地震や風水害、干ばつなどの天変地異、疫病の流行や内乱・外寇で国が乱れるのは、国を治めるリーダーの悪政によるもの という考え方がある。

 これは儒教の教えの一つであり、人知を超えた「天」と地上の「人」の間には深い関係があるという「天人相関説」に由来する。

 総裁は、2013年7月、地震や台風など天変地異の背景に天意があることを示し、こう語っている。「(東日本大震災などの震災は)『日本神道系の神々がかなり怒っておられる』ということを示しているのです」「『天変地異は、政治がうまくいっていないことへの、神々の意思表示である』ということを知っておいた方がいい」(『政治革命家・大川隆法』)

 日本の歴史の中で、政治の混乱を左側に、数千・数万規模の死者が出た(と推定される)天変地異を右側にして、年代順に並べてみました。

政治の動乱と転変地異 ☜クリック

日本古来から伝わる信仰心と天変地異

 日本では、古来から地震や台風、大雨などの天変地異を「神の怒り」と考えてきました。

 その後もたらされた仏教でも、天災を神仏の思いと捉えており、東大寺の「奈良の大仏」は、当時流行っていた天然痘や飢饉、大地震などの天災や政治的不安から国を守り、鎮護国家として安定するようにという聖武天皇と光明皇后の願いが込められています。

 鎌倉時代の僧侶・日蓮聖人も、「正しい宗教が国教化しなければ、国内では地震や暴風雨、飢饉や疫病などが起き、国外からは攻め込まれるなど内憂外患が起きる」と政権に忠告。『立正安国論』を記し、法華経を布教していました。他宗から攻撃され島流しに遭いますが、その後 元が日本侵攻を企て 日蓮の予言は現実化しました。

 幸福の科学の霊査によると、天照大神は、霊言で「天変地異や、さまざまな気象条件等によって、『天意』を象徴的に表すことがある」と発言。しかし、信仰心の薄い現代人は、それが警告とも気づけず反省ができていないのが現状です。

(参考書籍)

 『太陽の法』『フィリピン巨大台風の霊的真相を探る』『黄金の法』『トス神降臨・インタビュー アトランティス文明・ピラミッドパワーの秘密を探る』『アトランティス文明の真相』

参考

天罰・神罰という思想は人類の「常識」

 現代科学には、「自然災害の背景には霊的な影響がある」という古くからの常識を否定できるレベルにはない。地震・噴火の理由が科学で説明できないのであれば、宗教的な考え方に目を向ける必要があります。

 「旧約聖書」において、「ノアの箱舟」のエピソードは、信仰心を失い地上で悪を行う人類を一掃するために神が洪水を起こしたというものである。「ソドムとゴモラ」の話では、人々が堕落し悪徳が栄えていた2つの都市を神が天からの火によって滅ぼしたとされる。ほかにも、神が不信仰者や反逆者を疫病や天変地異を使って滅ぼしたという記述が次から次へと出てきます。

 イスラム教の聖典「コーラン」も同じです。旧約聖書にはないオリジナルストーリーとして、神を軽視し、預言者を迫害した民族を神が滅ぼしたという記述がある。一神教文化の人たちにとって、神が頑迷な人間を罰するという発想は極めて身近なものなのです。

 こうした思想は東洋にもある。例えば、儒教の伝統の中にある「災異説」です。地上の為政者が徳を失い悪政を行うと、天の意志が自然災害を起こして警告するという。

 この思想は日本にも浸透している。古事記・日本書紀では、古代の天変地異を政治の乱れと結びつけて考えている。

 仏教でも、「法華経」や「金光明経」など多くの経典において、仏法を蔑ろにすると天災などのあらゆる災厄が起きると説かれている(三災七難)。鎌倉時代の日蓮が、異常な天災が続くのは この国で正しい信仰が行われていないからだとして、法華経への帰依を説いたことはよく知られている。

 世界各地の宗教の教えには、「愛」の教えが入っているなど共通点があるが、このように「大災害が神罰」という教えもあるのです。

 大川隆法総裁は、自然災害の霊的背景を霊言によって明かしてきた。天照大神の霊言を行ったときには、東日本大震災が日本人や政治家が「目に見えないものを信じる心」や「神仏への感謝」を失っていることへの警告だったことを明らかにした(『天照大神のお怒りについて』)。

天照大神による警告

 天変地異によって新時代への目覚めを促す厳しい神々がいるとすれば、神の存在が否定されるような唯物論的な風潮が国民の間にはびこることを許すはずがない。我々は異常災害の裏に天意を感じるという信心深さを取り戻さなくてはなりません。

 根本には、「地球意識」が人類社会に対する不快感や警告を示している、という霊的真実があります。各地での異様な地震の増発には さまざまな背景が想定されますが、第一には「人類への反省の縁」と考えることがオーソドックスな向き合い方と言えます。

 立て続けに襲ってくる自然災害は、「自分たちの考え方に、何か間違ったものがあるのではないか」と振り返る機会にすべきでしょう。

 突然起こる災害への備えが必要であることは言うまでもない。しかし、こうした災害に込められた神意を一人でも多くの人間が謙虚に感じ取ることが、さらなる天変地異を防ぐ鍵となる。

 信仰なき国家が繁栄することはない。私たちは、いたずらに運命を呪うのではなく、犠牲者の魂を慰めつつ、この世を神仏の心にかなう国や世界にしていくべく努力せねばならないのです。

 

大陸沈没 地球は一つの生命体

 大川隆法総裁は、地球が一つの意識体(地球意識)であり、人心が荒廃すると、この意識が地震や津波など天変地異のかたちで浄化作用を起こす場合があることを明らかにしている。

 『黄金の法』の中で以下のように説かれました。

「『太陽の法』でも述べましたが、過去のいくつかの文明も、わずか数日の大陸沈下によって滅びたことが数多くありました。そして、その原因は、いつも同じです。すなわち、人々の巻き起こす不調和の想念波動が、仏の光を遮る曇りをつくり、それに感応して、地殻変動が起きるのです。

 ではなぜ、そのような地殻変動が起きるのでしょうか。ここで見落としてはならないのは、地球というものを、物質の塊と思ってはならないということです。地球は、それ自体がひとつの大きな生命体であり、大宇宙から見たら、ほんの小さな細胞体のひとつにしかすぎないのだと言えます。地球それ自体が一個の生きものであり、生命活動をしているのです。すなわち、地底に流れるマグマは地球の血液であり、海の水は体液であり、造山活動や地盤沈下は新陳代謝なのです。生命体としての地球から見るならば、悪魔に心を売った人々が居住する地域というのは、結局、体の一カ所に黴菌が巣くっているのと同じだと言えます。ですから、これを早く消毒し、殺菌したいのです。皮膚にかさぶたができると、人間や動物なら、カリカリとかいて落とすでしょう。それと同じように、地球の生命も、自浄作用によって、そういう不調和な地域を消滅させてしまうのです。これを、神罰とか言うのは当たっておりません。なぜならば、そうするのは、生命体の持つ当然の生命維持機能だからです。」

 大川隆法総裁によれば、地球意識が引き起こす天変地異は地上の人々の心に連動すると言う。地上社会が科学万能に傾き、唯物論が蔓延し、社会悪が肥大化した時、そして、人々の心の中の欲望、利己主義、怒りなどの暗い想念エネルギーに覆われた時、地球意識が反作用として天変地異を起こしてきたのです。

地球は一つの生命体として生きている

体の一部が病んだときは、自浄作用で回復を図っている

大陸の沈没は、このメカニズムで起きている

  地球も動植物と同様に「生きている」存在です。人間の肉体に魂が宿っているように、地球にも生命体が宿っている。近年、ガイア理論やガイア仮説と呼ばれる地球を一種の有機体と見る科学的な考え方がある。霊的には これは「地球意識」と呼ばれ、地球の造山・火山活動や大陸の移動、地殻変動などを司り、動植物の育成・繁茂にも役割を果たしてきた。

 地球意識は、人類に対し心の成長のための学習の場を提供してきた。だが、人類が成長ではなく堕落に向かうとき、地球意識は天変地異を起こして文明を いったん御破算にすることがある。地球意識は、人格神的なものではなく、人間的感情を超越したレベルの法則として働くのです。

 神は何の目的で自然災害という破壊をもたらすのでしょうか。人間の進化に拍車をかけるためです。精神的新生のためには破壊も必要です。新しく再生する毎に霊的浄化において新しい一歩を踏み出すのです。何事につけ その過程を正しく理解するためには、結果を見届けなくてはいけません。人間はとかく我が身に置き代えて判断するために、苦しいことはみな災害と考えがちですが、新たな秩序をもたらすためには思い切った混乱を必要とする時があるのです。それまでの平穏無事の惰性では何世紀も要するような改革が2、3年で成就されることがあります。
 神はそういう破壊の手段以外に何か別の手段を取ることができないのでしょうか。日常生活の中での善悪の判断を通じて進化を促すという方法を取っておられます。ところが、この方法では人間はなかなか向上しません。そこで、その高慢の鼻をへし折り、人間の弱さを思い知らせる必要が生じるのです。

「忍耐」しているのは神様の側

 ところで、もっと何倍も地震が起こってもおかしくないのに、それを押しとどめている存在がおられるのです。「押しとどめている存在」を日本人や人類が忘れ去った時に、天変地異は起こる。日本人や人類が神仏を忘れてしまっているならば、「忍耐」しているのは神様の側だということを忘れてはなりません。

 

物しかないという「唯物論」が堕落を生む

  地球意識は人類がどのような状態になれば「堕落」と見るのでしょうか。

1 信仰心の喪失

 人類の多くが、自らの本質が魂や霊としての存在であることを見失い、唯物論に染まっている。

 冷戦終結後、マルクス主義に基づく唯物論は一応下火にはなっている。だが、科学や技術の分野においては、医学でも生物学でも「物しかない」という考え方がますます幅を利かせている。これらが、神仏やあの世の存在を否定する間違った常識を広め、多くの人たちの欲望やエゴイズムを増長させ、死後に迷わせる結果となっている。

 科学技術は、本来人類に利便性を提供し幸福にするためのものです。それが まったく逆の働きをしてしまっているのが現状です。

2 地球を何度も破壊できる核兵器の存在

 地球は絶妙なバランスの中で守られているが、人類は核兵器を2万発以上も持ち、国同士でにらみ合っている。「相手の国は滅ぼしても自国が生き延びさえすればいい」と考えるのも、エゴイスティックな唯物論からくるものでしょう。

 地球を何百回も破壊できる核兵器の存在は、地球意識から見れば、体表に巣食う病原菌か肉体を蝕むがん細胞でしかないのです。

3 宗教対立、宗教戦争の激化

 現在世界で最も人口が伸びている地域はイスラム圏です。中東・北アフリカの人口は1970年の1億9千万人が、2006年には4億5千万人を突破。同じ時期にカトリック信者の数(全人口の約17%)をイスラム教徒が上回ったとされ、今後2025年にかけて全キリスト教信者の数(全人口の約30%)に並ぶと予想されている。

 その過程で ますますキリスト教とイスラム教の宗教対立や宗教戦争が増える恐れがある。

 特にアメリカに顕著だが、キリスト教国は一神教思想と相まって他の宗教に非寛容である傾向が強く、戦争につながりやすい。イスラム教も、その成り立ちにおいて政治や軍事と一体化していたため、戦争に訴えることを躊躇しない。

 このままでは、憎しみが憎しみを呼ぶ負の連鎖が続いていくことになる。こうした宗教対立を人類が自らの手で乗り越えることができなければ、地球意識からの「警告」が発せられることになるのです。

 巨大な天変地異に際して、私たちは人間の小ささというものをつくづく実感する。これは、自分たちの生命や魂を生かしている大いなる力の前に謙虚になり、信仰心の薄さを反省する機会と捉えるべきなのです。

 

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