性同一性障害

 「性同一性障害」とは心と体の性別が一致しない状態のことで、医学的には「病気」とされているが、宗教的には病気というわけではない。病気ではなく、自分の魂が求める傾向性なのです。

 現在の行政では、性同一障害か否かは精神科医2名の診断により確定します。 精神科の医師が承認して『性同一障害』ですから、病気の仲間と認識されています。そして、希望者には治療として、精神療法とホルモン療法がおこなわれます。しかし、現代の行政が病気と判断しても、性同一障害は病気ではなく「転生輪廻の問題」なのです。

性同一障害 霊的な観点

 人間は肉体に魂が宿った霊的な存在で、この世とあの世を転生輪廻している。この世に繰り返し男性として生まれてくるタイプと、繰り返し女性として生まれてくるタイプと、男女交互に生まれてくるタイプがある。長い転生で見ると男性か女性か、どちらかに交互に生まれ変わることが多いといわれている。

 この世に生まれてくる際は、事前にどちらの性で生きるか決めているが、肉体がその性別と異なる場合も出てくる。現代では人工堕胎が多かったり、生まれる両親の組み合わせが予定とは違うことがあるためである。

 自分が望まなかった性別で生まれたことに対して気がつかない人もいれば、気がつきながらそのままの性別を受け入れられる人もいれば、違和感を訴える人もいる。

 人間の本質は魂であり、この世とあの世を何度も生まれ変わっている存在である。大多数の魂には、男性霊、女性霊の別があるものの、生まれ変わりの過程で、ときには男性に生まれ、また別の時には女性に生まれるといったように、異なる性別で生まれることも珍しくない

 幸福の科学大川隆法総裁は、魂が自覚している性別と異なる肉体の性で生まれたケースで、性同一性障害になることが多いと説いています。

参考

 つまり、性同一性障害は宗教的には病気ではない。人間は、自分の肉体の性別はもちろん、両親などの家庭環境まで自分で選んで生まれてくる。ただ、実際に生まれてみると、その環境に馴染むことが難しいケースがあるということです。

 しかし、「人生は一冊の問題集」であり、性別に限らず、皆が生まれる前の予想通りに人生を歩めるわけではない。その環境のなかで最善の生き方とは何かを考えることが、その人の魂修行なのである。肉体はいずれ、死を境に脱ぎ捨てられていくことになる。違和感のある肉体も、魂修行を支えてくれている環境の一つともいえる。

 こうした宗教的真理を知ることで、性同一性障害の意味も違ったものになってくるでしょう。違和感を受け入れて生きるか、性転換手術を受けるか、現在の性から積極的に魂の学びを発見するか。

 既存の宗教では、生殖医療や性同一性障害について答えが出せない。現ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王も、同性婚について明言を避けている。

 霊的な真実を述べれば、人は永遠の生命を持ち、何度も転生輪廻を繰り返している。男性中心に転生してきた人が女性で生まれると、魂と肉体の違和感に苦しむ。これが性同一性障害です。

LGBTをどう受け止めるか

 望まない性に生まれることもあるが、たいていは魂修行の観点から自分で性別を選んでくる。どうしても納得できない場合は、性別変更してもよいが、霊的背景を知った上で、本人が責任を取れる範囲で行うべきです。

 一方、親子関係も偶然に生じるものではなく、生まれる前に両親もしくは父か母のどちらかと約束してくる。その意味では、生殖医療で生まれて血縁関係がなくても、親子関係は成り立つ。

 ゆえに、親になる側は、子供との霊的な縁を大切にし、責任を持って愛情を注ぐべきです。

 一方、子供の側は、たとえ周囲の差別や無理解に苦しむことがあっても、自分で覚悟して生まれてきたことを知って、その環境で学びを得るという考え方が大切です。

 時代の変化や技術の進歩には寛容であるべきだが、人間が霊的存在であることは譲れない。個人の幸福と社会の発展を両立させるためにも、正しい宗教的真理の普及が急がれる。

参考

同性愛・同性婚における「正義」 

 学校教育においては、「なぜ性別の不一致で苦しんでいるのか」の問いに、答えを出すことはできていない。これも学校教育から宗教を締め出したことの影響でしょう。どこまで配慮するかという視点だけではなく、児童生徒が自分の人生に積極的な意味を見出す生き方を教えられるような指導が期待されます。

 「性同一性障害」と診断された人について、厚生労働省は国民健康保険証の表面の性別欄に戸籍とは異なる性別を記載した場合や空欄の場合でも、裏面に戸籍上の性別が書いてあれば認める方針を固めた。性同一性障害者の意向を尊重したものです。

参考

性同一性障害 問題を解くカギは転生輪廻?

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