イスラム教とユダヤ教・キリスト教の対立

イスラエルの周りに紛争が多い理由

 イスラエルの周りに紛争が多い理由は 4つ挙げられます。

 1点目は、この地がヨーロッパとアジア、アフリカを結ぶ戦略的な要衝であることです。

 2点目は宗教です。

 ユダヤ人にとって、エルサレムは4千年にわたって神聖な場所です。首都であり心臓にあたります。エルサレムを他国に渡すのは、例えば、日本が京都を北朝鮮に明け渡すような感覚です。しかし、イスラム教徒は、彼らの聖典コーランにはエルサレムについて書かれていないのに聖地だと主張するのです。ただ、コーランでは、ユダヤ人が「啓典(聖典)の民」とされ尊重されているのですが。

 3点目は国家主義の問題。

 アラブ人は、ユダヤ人がこの地に住むことはよしとしていますが、国を持つことは許されないと考えています。

 4点目は文化です。

 西欧文化は自由で民主的です。これがイスラム教徒のアラブ諸国にとっては脅威なのです。もし、国民が自由を知ったら国が転覆するかもしれないと感じているわけです。

 

パレスチナ問題

 現在の中東を巡る問題としては『パレスチナ問題』が最も重要です。というのも、これが現在の「西洋と中東の宗教的葛藤」の元凶となっているからです。

パレスチナ問題 詳しく

ユダヤの民にとっては4千年前から約束された場所

 パレスチナの地をめぐっては、第1次大戦のずっと前から争いが絶えませんでした。

 そもそも、なぜユダヤ人はこの土地にこだわるのでしょうか。

 はじめに、歴史が古いユダヤ教の立場から見てみます。

 ユダヤ民族は、神の啓示により「あなた方に、カナンの地を与える」という趣旨のことを言われました。それが現在イスラエルやパレスチナなどがある地域です。それから、ユダヤの民はこの地に住んでは離れるという、「落ち着かない歴史」を経験していくことになります。

 今から4千年ほど前、現在のイラクにあたるバビロニアの遊牧民アブラハムは、神に与えられた約束の地「カナン」、現在のイスラエルにたどり着きます。彼らは神の啓示を受けて、カナンの地に住んでいる先住民を制圧して移住して暮らしていました。

 そして、アブラハムの孫ヤコブが神と契約を結び、「イスラエル」と名乗るようになります。ヤコブの息子12人がイスラエル十二氏族の長であり、子孫の一部が「ユダヤ人」とされています。ヤコブ一族がエジプトに移住し、時代が下って子孫が増えると、ユダヤの民はエジプトの王から迫害され、奴隷として扱われます。

 このユダヤ人の中から、紀元前13世紀頃にモーセが生まれます。モーセは幼いころエジプトの王宮で育てられます。しかし、大人になって自分がユダヤ人であることを知ると、仲間が奴隷として使われていることに心を痛め、先祖が住んでいたカナンの地を目指します。モーセは、60万人の成人男子とその家族、家畜を連れて、「出エジプト」を成します。紅海を割ってエジプト軍を退けたり、シナイ山で神との契約である「十戒」を授かりました。モーセは40年間さまよい、旅の途中で亡くなりますが、跡を継いだヨシュアが民を率います。しかし、カナンの地にはすでに多くの民族が住んでいたため、町を襲って陥落させます。

 そして、紀元前11世紀ごろ、ユダヤ人はこの地に「イスラエル王国」をつくり、ダビデ王がエルサレムを首都に定めます。エルサレムの地に「エルサレム神殿」を建設し、神を祀ったのです。

 その息子ソロモン王の死後、王国は南北に分裂。やがて北部はアッシリアに滅ぼされ、南部の人々はバビロニアの捕虜になります。他国に攻められたり集団で奴隷にさせられたりしてはまたこの地に戻ってくるという、苦難の歴史を体験します。

 紀元2世紀、王国はローマ帝国に滅ぼされてしまうのです。人々は世界に散り散りになってしまいました。

 彼らが滅ぼされた時、「エルサレム神殿」も破壊されてしまいました。その時に残った城壁の一部を、ユダヤ教徒はエルサレムの「嘆きの壁」と呼び、聖地にしています。そこで人々は迫害され滅ぼされた悲劇の歴史を嘆くと共に、民族の再興に思いを馳せています。

 このように、旧約聖書には、神から与えられた「約束の地」をめぐってユダヤ人が争いをくり返してきた歴史が記されています。

 

イエスの誕生と度重なる迫害

 旧約聖書の時代から数百年後、イスラエルにイエス・キリストが生まれます。しかし、ユダヤの人々は、ユダヤ古来の律法に反した教えを説くイエスを処刑してしまいます。

 その後、キリスト教が広がると、ユダヤ人は「イエスを十字架にかけた」などの理由で迫害され、散り散りになります。移住した先で虐殺されることもありました。一方で、多くのユダヤ人が金融業で成功します。これは、ユダヤ人が土地の所有を禁じられていたことと、キリスト教徒が利息をとることを禁じられていた影響も大きいのです。

 世界に散ったユダヤの民のうち、ヨーロッパに渡った人々の多くは、第二次世界大戦の時に大きな悲劇が襲います。ナチスドイツによる迫害で、ユダヤ人が大量虐殺(ホロコースト)され、数百万人が亡くなりました。迫害されたユダヤ人たちの多くは、かつて民族が国を建てていた「約束の地」に移り住み始めます。

 彼らは、大戦後「再び、自分たちの国をつくりたい」という運動を始めます。そこに「弾圧されたユダヤ人はかわいそうだ」と同情したアメリカが、「イスラエル」を建国させてくれるのです。そして、彼らは、聖地のあるエルサレムを首都とすることを国際社会に訴えているのです。

 イスラエルは、もう二度と国を滅ぼされないよう、アメリカの技術協力なども得て核武装をするなど、近代的な国家づくりを進めてきました。

 

妬みの神に呪われた歴史

 ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教。これらの宗教は「旧約聖書」を教典に持つ、「兄弟宗教」とされます。ユダヤ教は「旧約聖書」、キリスト教は「旧約聖書」と「新約聖書」、イスラム教はこれら二書に加えて「コーラン」を教典とする宗教です。

 ところで、ユダヤ人はなぜ血なまぐさい戦いの歴史を繰り返すのでしょうか。

 その根底には、ユダヤ教の聖典である『旧約聖書』が関係している。旧約聖書は、「創世記」のアダムとイブの話や ノアの方舟などの物語が記された「天地創造」からの歴史書です。日本で言えば『古事記』『日本書紀』にあたる。キリスト教とイスラム教も旧約聖書を聖典としています。しかし、ユダヤ教は後発の宗教を認めない立場なのです。そこには、ユダヤ人は「選ばれた民」であるという選民思想や、他民族を殺してもよいとする過激な教えが記されております。

 旧約聖書には、人類普遍の愛を説くエローヒムの教えと、ユダヤの民族神で「妬みの神」である ヤハウェ という、二種類の神の言葉が混在している。選民思想や過激な教えは、民族神ヤハウェの言葉であり、エローヒムとはまったく別の存在であるというのが霊的真実です。

 もともと、ヤハウェは民族神でしかない。しかし、世界宗教となったキリスト教も旧約聖書を聖典としているため、キリスト教徒からの支持により本来の器以上の影響力を得ているようである。

 ヤハウェの魂は、モンゴル帝国のフビライ・ハーンや第2次大戦中の米国大統領のフランクリン・ルーズベルトとして生まれたことが、幸福の科学の霊査で分かった。両者とも非常に戦闘的であり、一般市民を大量に殺す残虐な面でも共通している。

 

イスラム教にとっては、勝手にユダヤが土地を奪った?

 イスラム教徒にとっても、エルサレムは「聖地」でした。ムハンマドが「昇天」し、神に対面することになったという岩がある。イスラム教徒はその上にモスクを建て、「岩のドーム」と呼んでいます。その岩がかつての「イスラエル神殿」の敷地内にあり、ユダヤ人が聖地とする「嘆きの壁」から100メートルくらいしか離れていないことは、歴史の皮肉でしょうか。

 そこで、次にイスラム教から見た エルサレムの歴史を見ていきます。

 イスラム教が生まれたのは、ユダヤの民の王国が滅んでからしばらく後のことです。イスラム教徒は、最初のころ、この聖地をキリスト教徒の「十字軍」と奪い合い、激しい戦いの後勝ち取っています。

十字軍

 そして、第二次世界大戦前まで、この地域には多くのイスラム教徒が住んでいたのです。

 しかし、大戦後、迫害された世界中のユダヤ人が、イスラム教徒たちの住む地域に大量になだれ込んできます。そして、挙句の果てには、大国アメリカの後ろ盾で勝手にユダヤ人の国「イスラエル」を建設してしまったのです。その時、数十万人ものイスラム教徒が家を追われて難民になったといいます。その恨みは想像を絶するものだったと思われます。

 それに対して、周辺のイスラム教国は反発。自分たちの土地と聖地を取り戻すため、軍事侵攻に踏み切ります。度重なる戦争を経て、イスラム教側はイスラエルの一部に「パレスチナ自治区」を建設しました。

 それからというもの、パレスチナはイスラエルとの間で度重なる紛争をしています。さらには、その後ろ盾になっているアメリカに対しても激しく反発しています。

 

過去の栄光と劣等感が原理主義を台頭させた

 イスラム原理主義自体は、社会の腐敗を正そうと7世紀から登場し、為政者との対立を繰り返してきました。しかし、最近のイスラム原理主義の台頭の伏線になったのは、欧米に対する複雑な劣等感です。

 そもそも、ヨーロッパが中世の暗黒時代にあった時に、「アラビアンナイト」の興隆を極めたイスラム教文明は、哲学、医学、建築学、航海術、天文学など、あらゆる学問や文化で、キリスト教文明をリードする立場にありました。イスラム教文明の、忘れがたい栄光の時代です。

 しかし16世紀を境に逆転が始まります。オスマン・トルコの独裁でイスラムの知的文明が停滞した一方、キリスト教文明は宗教改革を皮切りに、大航海時代、産業革命を経て覇権を確立。第一次大戦後にイスラム圏は西洋帝国主義の軍門に下ります。

 遅れていた欧米に抜き去られたという劣等感から、イスラム教徒の多くは「西側の人々が力を合わせて豊かな先進社会を創った」とは考えません。「残虐で血を好むキリスト教徒は、狡猾だから我々より先に行ってしまった」と考えます。中国や韓国が日本に対して持っている、歪んだ見方と同じです。

 

戒律を弱めなければ民主主義はできない

 こうした屈折した感情を抱えていたイスラム諸国にとって、1970年代の2度の石油危機を通じて、石油の強力な政治力に気づいたことが、自信を取り戻す転機となりました。進んでいると思っていた欧米諸国が、石油欲しさにペコペコとお辞儀してくるのを見て、「やはりイスラムは偉大なんだ」という空気が生まれたのです。

 それまで、イスラム圏では、脱イスラム路線で近代化しようという世俗派の「脱亜入欧」のような潮流が起きていました。キリスト教文明への遅れを取り戻そうと、アタチュルクによるトルコ共和国の建国や、イランでパフレビ王朝が進めた改革、エジプトで王政を倒したナセルの革命などが起きました。世俗派の専制主義の国々では、ムスリム同胞団などのイスラム主義組織は弾圧されていました。

 「アラブの春」で世俗派の独裁が倒された国では、今度は原理主義の台頭が起きることになります。イスラム教は、政教が分離されていないため、イスラム教の戒律を弱めない限り、民主主義は成り立たないでしょう。

 豊かになれば民主化するという保証もありません。サウジアラビアは原理主義の国です。しかし、王制が腐敗しているといって、原理主義・過激派勢力の攻撃の的となってきました。

 

イスラム教文明の近代化を妨げている

 原理主義者には、イスラム教の教えというよりは、ムハンマドの生きていた時代を美化し、その時代に文明を戻そうとする考え方がある。

 彼らはシャリーアと呼ばれる戒律に従うことがイスラム教徒の義務だとするが、コーランとともにシャリーアを成す、ムハンマド言行録のハディースには、後世の創作も紛れている。

 中近東の地域的な慣習が、「教え」とされているケースもある。例えば、女子割礼がイスラム教の人権問題として議論されることがあるが、これは北アフリカでイスラム教以前から存在していた習慣である。

 

自由と自己責任の原則が民主化の鍵になる

 極端な教義の解釈からイスラム圏の人々を解放する宗教改革こそ、イスラム教諸国が民主的な政治を実現するために必要だと言える。これは、イスラム教のままでは民主主義は実現しないという意味ではない。イスラム教は、統治のシステムではなく、人間社会に公正や平等をもたらすという、政治の機能を規定するものです。人々の正当な権利を阻んでいるのは、抑圧や独裁といった政治文化の方なのでしょう。

 民主主義において、国民一人ひとりが主権者としての判断を下す際に、宗教は善政をもたらすための倫理的な規範として機能することができる。しかし、神の法を人々が指一本触れられない「国法」として強制するなら、それはそもそも民主主義ではなくなってしまう。

 

もともとは寛容な宗教だったイスラム教

本来のイスラム教には寛容さがあった 

キリスト教が広がる欧米社会では、宗教改革を経て、人権などの近代思想を生んできた。しかし、イスラム社会は、いまだに古い教義に縛られたままである。

 イスラム過激派のテロ行為の背景には、貧困や汚職への不満が渦巻いているが、人権や思想の自由を認めなければ、経済的な豊かさを実現することは難しい。

 だが、本来のイスラム教には、開祖のムハンマドが「中国までも知を求めよ」と語ったように、多様な価値観を受け入れる寛容さがあった。「平和」を意味する「イスラム」の教えを本当に実現したいのであれば、イスラム社会は、暴力を正当化する考え方を捨てるという意味での「武装解除」と「女性の解放」を進めるべきである。

 イスラム教はもともと平和的な宗教であると言われるが、なぜ「イスラム国」のような過激派が発生してしまうのでしょうか。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『繁栄への決断』の中で、イスラム教の問題点を以下のように指摘している。

「イスラムのなかにも、先ほど述べた共産党と同じような面、つまり、『目的が正当なら手段は選ばない』というような面が、若干あります。それは、ムハンマドの生き方のなかに武力革命的なものが、かなりあったからです」

 イスラム教の開祖ムハンマドは、宗教指導者であると同時に軍事指導者でもあり、戦いに勝利してメッカを治め、求心力を高めていった。その武力革命的な流れが今、イスラム・テロの行動原理の主柱になっている。

 イスラム過激派の出現が後を絶たない理由は、アメリカへの恨みだけではない。『ジハード(聖戦)』の極端な解釈に加え、イスラム教諸国が抱える貧困にも原因がある。そして、貧困から抜け出せない背景には、過去の欧米の支配や紛争の他に、イスラム教の教義の一部が発展を遅らせている面もある。

 イスラム教の「神の下の平等」は、「人間は神の子として等しく尊い」と解釈すれば、欧米の人権思想とも通じる教えである。ところが、貧富の差そのものを否定すると、金持ちから富を奪って「平等」にすることが是とされ、結果として全体が貧しくなる「貧しさの平等」が生まれる。

 さらに極端になれば、暴力を使ってでも、こうした社会を実現しようとする共産主義と同じになる。共産主義の本質は、努力した人や成功者への嫉妬心を正当化すること。つまり、欧米や社会への不満を正当化し、暴力と恐怖で人々を支配するイスラム過激派は、現代における共産主義運動と言える。

 富と繁栄を肯定し、人々が自助努力によって活躍できる社会をつくることが、今、イスラム教諸国に求められている。

 今のイスラム教は、ムハンマドの本来の思いとは違う。ムハンマド自身は、もう少し寛容な方であったはずです。ムハンマドは、すでにあった、ユダヤ教もキリスト教も受け入れた上で、「自分は、神の新しい啓示を受けたのだ」と言っています。先にあるものを認め、「その信仰を維持しても構わない」とした上で、イスラム教を説いていたのです。  しかし、その一方で、既存の宗教のほうには、「先にあるものが、あとのものを許さない」というようなところがあります。ムハンマドの初期の考え方から見れば、今のイスラム教の、「『コーラン』を翻訳することは許されない。他の言語に訳すことはできないのである。他国語で記されているものは、解説書にすぎないのだ」という考えや、「偶像崇拝は禁じられている」として、仏教遺跡に祀まつってある仏像などを破壊していくような行為は間違っています。

 イスラム教が生まれた1400年前は、新興宗教として他宗との避けられない戦いもあったのかもしれない。だが、現代においても、「アッラー」の名の下に異教徒や外国人を殺すことが許されるわけではない。

 イスラム教は、発祥の時点において、キリスト教やユダヤ教にも親和性のある寛容な宗教であった。イスラム教の根本経典であるコーランには、「宗教には強制があってはならない」とも書かれている。イスラム教は本来の「寛容さ」を取り戻す必要があるのです。

幸福の科学の教えとイスラム教 

キリスト教側の偏見

 しかし、「不寛容」の問題はイスラム教に限ったことではない。大川隆法総裁は、キリスト教での問題点を次のように喝破した。

「ダンテの『神曲』には、ムハンマドや四代目カリフのアリー、さらには、仏教の開祖である仏陀まで地獄の最深部のほうでのたうち回ったりしているというようなことが書かれているわけで、『キリスト教側の偏見』も、そうとう長くあります。キリスト教徒は本心ではそう考えているのではないでしょうか」

 イスラム教もキリスト教も、お互いの信じる神様を悪魔だと思っているところに問題がある。お互いの神様を悪魔だと考えているのなら、相手をせん滅することこそが正しいことになってしまう。対立が終わらず、激化していくのは当然のことです。

 しかし、地上にさまざまな宗教が存在し、神の名が異なるのは、根本なる神が人類を救済するために、大天使や自身の分身を、何度も何度も、さまざまな地域、時代に送り出してきたことによる。もちろん、中には邪教と呼ばれるものも存在はするが、長い間多くの人々に信仰され、人々の精神性を高めてきた宗教は、真理の一側面を表していると考えるのが妥当です。

 『新約聖書』について

 キリスト教とイスラム教の対立の背景にあるのは、神の子「イエス・キリスト」と「天なる父」の混同です。

 キリスト教における神の定義は、イエスと、イエスが「天なる父」と呼んだ存在、神の活動する力である「聖霊」の三つが一体となったものが、「唯一神」であるとしています。一方のイスラム教では、イエスは神の言葉を預かる「預言者」であり、「神」ではないと考えます。

 つまり、イエスを唯一神と同一視するキリスト教と、イエスと唯一神は異なる存在だとするイスラム教が対立しているわけです。

 キリスト教とイスラム教が和解するには、天なる父とイエスの関係を整理する必要があります。

 

ユダヤとイスラムの聖地「エルサレム」

 エルサレムには、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地があります。エルサレムは、ユダヤ教のイスラエルが「わが国の首都」だと主張してきた地であると同時に、イスラム教のパレスチナ自治政府も「我々の首都」だと主張してきた地でもあります。

 両宗教がそれぞれの「聖地」として奪い合ってきたエルサレム。その名前に含まれる「サレム」という言葉の語源を辿ると、「平和」「平安」という意味に行き着くとも言われています。中東の「平安京」ともいえる地が国際紛争の中心になっているとは何とも皮肉です。

 エルサレムは両勢力の根深い対立が渦巻く場所なのです。アメリカがさらにイスラエル側に加担するようなお墨付きを与えたことで、混乱が激化しているのです。

 大川隆法総裁は、「エル・カンターレ祭」において以下のように語られております。

「私の答えを言えば、小さなことだと思っています。ユダヤの人たちが、エルサレムを首都としたい。別に構いません。天上界の高級霊たち、神と呼ばれた歴史上の人たちは、そんなに心が狭くないんです。そんなことで、この世が混乱に陥ることなんか、望んでいないんです。この地上に、聖地とか、そういうものはあるかもしれませんが、それはあくまでも、あの世にあるところの神仏につながっていくための縁にしかすぎないんですよ。そうした手段と目的とを、間違えてはいけないのではないでしょうか」

 

旧約の預言者を導いた至高神エロヒム

 古代の中東で生まれたユダヤ教でも祭政一致が理想とされ、政治と宗教は一体であった。

 ユダヤ人にとって、救世主(メシア)は「油を注がれたる者」という意味で、国王兼宗教家だった。ダビデやソロモンといった王様たちが、神の言葉を聴きながら民を導いた。

 ユダヤ教は一神教とされるが、実は預言者を導いた神は複数いて、日本神道のような「神々の民主主義」が垣間見える。旧約聖書をつぶさに読めば、神々の内に上下関係があることまで分かる。

「神は神聖な会議の中に立ち、神々の間で裁きを行われる」(詩編82:1~8) 

この「神」は、ユダヤの民族神とされるヤハウェではなく、至高神、創造者とされるエロヒムである。一般的にはエロヒムを「神」という意味の一般名詞と解釈されているが、エロヒムは愛の神で、ヤハウェとは別の存在であると解釈するのが正しい。

 預言者たちが受け取った神の言葉は、ヤハウェからのものも多いが、ユダヤ民族を超えた普遍性のあるものはエロヒムからであり、それに基づいて古代イスラエルの繁栄が築かれたのだった。

 そもそも、ユダヤ教の聖典(『旧約聖書』)に出てくる「エローヒム」という神と、イスラム教で言う「アッラー」は同じ神です。これは幸福の科学の霊査でも明らかになっています。エルサレムについては、キリスト教も聖地だと主張していますが、イエスが「天なる父」と呼んだのも、同じ霊存在だったということが分かっています。

 3つの宗教はみな一神教だから対立するしかないのかというと、そのようななことはない。問題は、一神教と言いつつ、実は神が複数いる点にある。中東・アフリカで広く信仰を集めた普遍的な神と、ユダヤの民族神が一緒になってしまっている。旧約聖書を読むと、多くの場合、「主」と表記されるヤハウェと、「神」と表記されるエローヒムは明らかに正反対の個性である。ヤハウェは「異民族を滅ぼし尽くせ」と命令する戦闘的な裁きの神。エローヒムは「復讐してはならない。隣人を愛せ」と導く愛の神。キリスト教は旧約聖書も正典なので、ヤハウェの思想を受け継いでいる。

 コーランにもヤハウェの影響が強く、異教徒の殲滅をよしとする箇所がある。

 3つの宗教の対立は、ヤハウェの激しい戦闘性や復讐心に原因があるのです。その意味で、3宗教とも宗教改革が要る。裁きの神ヤハウェの影響を取り除き、愛の神エローヒムにどう一本化できるかです。

 そうしたことを考えれば、お互いを「全く別の宗教」「敵の宗教」と考えて、聖地を奪い合う姿を神は悲しみながら眺めているはずです。

 3つの宗教が同じ神を信じているならば、聖地が同じ場所にあっても何の問題もないはずです。イスラエルとパレスチナがエルサレムを共有し、ともに首都とすることもありえます。

 一時的には対立が激しくなると思われますが、3宗教がお互いを理解し合おうと努め、同じ神に祈ることで、長期的には宗教融和の実現は可能です。

 エルサレムが人々が憎しみ合う場所でなく、愛し合う聖地になることを望みたいものです。

 こうした至高神の秘密が説き明かされつつある現代こそ、1000年以上続く宗教対立を解決し得る時代だと言えます。

キリスト教、イスラム教、仏教の違いと共通点

 

宗教対立を乗り越えるために必要な「寛容さ」

 大川隆法総裁は、『信仰の法』で、今世界で起きているキリスト教とイスラム教などの宗教対立を解決していくためには、それぞれの宗教を導いた神が「同じ」であることを知る必要があると説いている。

「確かに、それぞれの宗教は、民族性や文化性の違いによって考え方が違っているかもしれません。しかし、もとなるものは一つであって、さまざまに魂を磨きながら、この地上で修行している仲間であることに変わりはないのです」(第6章より)

 

イエスが「天なる父」と呼んだ存在はエル・カンターレ

 大川隆法総裁は、さらに、キリスト教の信仰の対象に言及。「イエスと天なる父は別の者です。そして、その時、天なる父として指導していたのは、エル・カンターレである」と語った。

 『信仰の法』にも、「『イエスが「主よ」と呼んだ人と、ムハンマドが「神よ」と呼んだ人は、同じ人なのだ』ということを私は言いたい。そうした存在が、今、『エル・カンターレ』という名を冠して地上に生まれてきています」とある。

 

あらゆる宗教は一人の神から始まった

 両国の対立の背景には宗教の違いがあり、根深い問題です。しかし、大川隆法総裁は、中東における宗教対立を究極的に解決する考え方を、著書『人間学の根本問題』の中で示されました。

「『宗派が違う』とか、神様の名前が違う』とかいうような小さな宗教対立で、殺し合いをしたり、戦争をしたり、空爆をしたりするようなことが、今、中東でも、いろいろ起きていますが、『そうした、”ささやか”なぶつかり合いは、できれば終わりにしたい』と思っています。例えば、『イスラエル 対 ガザ地区のハマスは、どちらが正しいのか』とか、そうした戦いもやっています。もちろん、霊存在もたくさんいますので、今も、彼らを指導している者もいれば、過去に指導した者もいて、それらに個性の違いがあった可能性はあります。しかし、『彼らを指導していた者の上にある”オリジナル・ワン”は、一人なのだ。同じなのだ』ということを、私は申し上げたいのです。その”オリジナル・ワン”の『エルの神』(エル・カンターレ)の名の下に、やはり、和解し、調和し、共に暮らしていけるような話し合いをして、平和を築くべきだと思います」

 日本が今後、外交・宗教の両面から中東和平を推進する大きな役割を果たすことに期待したいものです。

 

宗教対立を乗り越えるために必要な「寛容さ」

 大川隆法総裁は、『信仰の法』で、今世界で起きているキリスト教とイスラム教などの宗教対立を解決していくためには、それぞれの宗教を導いた神が「同じ」であることを知る必要があると説いている。

「確かに、それぞれの宗教は、民族性や文化性の違いによって考え方が違っているかもしれません。しかし、もとなるものは一つであって、さまざまに魂を磨きながら、この地上で修行している仲間であることに変わりはないのです」(第6章より)

 

復讐の連鎖を断つ「許しの力」

 中東での憎しみを消し込む道は、ある程度描くことはできる。ただ、言うは易く、行うは難しである。

 哲学者ハンナ・アーレントは、人間が復讐の連鎖から抜け出すためには、「許しの力」が欠かせないと指摘した。

 間違いや罪を犯さない人はいない。そのままなら、憎しみが膨らみ、復讐が延々と続く。アーレントは、人間は一人ひとりが唯一の存在であり、地上でその人固有の新しい価値を生み出していくことに幸福があると述べているが、これが不可能になってしまう。

 彼女はこれを回避するには、「許しと放免が必要であり、人びとを、彼らが知らずに行った行為から絶えず赦免しなければならない」と説き、「許しは復讐の対極に立つ」と強調した。

 「許し」によって人類は復讐から自由になり、何度でも再出発することができる。

「宗教文明の衝突」を避ける「黄金の道」

 実際、過去に人種差別主義を乗り越えたケースは、どれも、「許しの力」が不可欠だった。

 リンカンは南北戦争のさなか、敵である南部に同情的な発言をしたところ、聞いていた婦人に「どうしてそんなことを言うのか」と問いただされた。リンカンは、「敵を友に変えたら、それは敵を滅ぼしたことになりませんか」と答えた。イエスの「汝の敵を愛せよ」の教えを徹底的に実践したからこそ、分裂しかかった国を再び一つにまとめることができた。

 

神の裁きを恐れるイスラム教徒への「許し」

 イスラム教の宗教改革は、幸福の科学の教えに出会ったイスラム教徒から、もう始まっている。

 イスラム教徒の多くは、「教えや戒律に従わない者は、地獄で永遠に拷問されると教えられている」という。神の裁きへの恐怖心から礼拝などの宗教行為をしているイスラム教徒は、まさに愛の神の「許し」を待ち望んでいる。

 

幸福の科学は全世界の人々を指導する神を信じる宗教

 一方で、ユダヤ教と幸福の科学とが全く関係がないというわけではありません。

 ユダヤ教からは、キリスト教やイスラム教など、他の世界宗教に分かれていった部分があります。あるいは、ギリシャやエジプトの宗教の基本的な考え方など、共通のものもユダヤ教に流れ込んできています。

 ユダヤ人だけを救う神様もいらっしゃるのかもしれませんが、そのようには見ていないのです。

 全世界の人々を指導している神様は、ユダヤ人も当然対象に入れていると考えております。

 たとえ、この地上でユダヤ教のユダヤ人とアラブ人のイスラム教徒が けんか しているような状況があろうとも、それはこの世での人間の解釈や理解の違いによって起きているのであって、衝突するものではないと考えています。その衝突は、会社と会社の間で同業者が競争しているようなものに近いと考えて良いのではないかと思います。

 もし、ユダヤの神のうち、排他的な面が強い神様が言うように、「唯一の神」というのが全知全能の神であるならば、世界中がユダヤ教徒になっているはずです。そうなっていないという現実を見れば、全知全能でないことが明らかです。

 ただ、ユダヤ教のもとになった教えの中にも、『太陽の法』の基本思想と同根の部分が最古層に入っています。

 大川隆法総裁が説く新たな宗教的世界観によって、至高神が指導した兄弟宗教であることを互いに認め合い、攻撃的な教えを捨てることで、宗教間融和の可能性が開ける。

 一方、唯物論的・世俗的な学者の意見では、各宗教の熱心な信仰者たちを説得できないでしょう。「新しい宗教観に基づく宗教学」が求められております。

 

宗教対立解決には日本の「和」の精神が必要

 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は善悪をはっきりさせる「論理の宗教」です。しかし、論理を戦わせると、自分に都合の良い論理をつくってしまう。不毛な宗教対立を解消するには、日本の「和」の精神が求められます。その点、幸福の科学は「和」の信仰なので素晴らしいと思います。

 キリスト教は「愛の宗教」と言われますが、「神を讃える者は神から愛されるが、そうでない者は愛されない」という条件付きの愛です。この条件でいくと、異教徒を愛することができない。

 しかし、日本の「和」は条件がありません。全てを包み込みます。日本人はクリスマスに教会に行き、大晦日にお寺で除夜の鐘をつき、正月になればいそいそと神社へ行く。いい加減と言ってはなりません。こんなに素晴らしいことはありません。

 結局、その地域の文化が信仰を形づくるのです。中東では地上のリーダーが独裁的だったので、神もそのはずだと理解されました。

 日本には、明治時代まで「指導者」や「独裁者」という言葉さえなかった。聖徳太子の十七条憲法は、「和をもって尊しと為す」から始まり、「大切なことは相談して決めなさい」とあります。上に立つ者や神についての捉え方が違うのです。日本の「和」の精神が世界に広まれば、根深い宗教対立も解決の道筋が見えてくるでしょう。

 これまでの欧米の行いを見直すと同時に、互いの憎しみを捨て、愛をとる必要がある。

 また、貧困に対する不満がテロの動機の一つにもなっている。イスラム教では、弱者救済のための施しが重視されるが、それが行き過ぎれば、勤労意欲を削いでしまう。勤勉に働いてお金を稼ぎ、国を発展させることを、宗教として肯定する必要があります。

 加えて、イスラム教国では、イスラム法が政治や経済と強く結びつき、時代に合わせた変化が難しい。先述の中東の男性が指摘するように、イスラムの中心的な教えと、生活や慣習に関する教えを分けるべきである。

 

「愛の神」の声を聞くべき

 今、「正義は神が決める」と考えるイスラム教国は混乱の中にあり、「正義は人間が民主主義によって決める」と考える欧米諸国も中東の混乱を引き起こしている。イスラム教国と欧米諸国の正義がぶつかり合い、神の心が分からない状態である。

 しかし、今、神の声は聞こえている。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を導いてきた地球神エル・カンターレが、幸福の科学大川隆法総裁として地上に生まれ、教えを説いているからである。

 その教えは、人間の本質が魂であり、時代や地域を変えて転生輪廻するという霊界観をベースに、人種や宗教の違いを超えて愛し合うことを説いている。

 地球神は、イスラム教とキリスト教のどちらかが他方を殲滅することを望んでいない。人類は「愛の神」の声を聞くべきです。

 

今必要な宗教のイノベーション

 イスラム教もキリスト教も、誕生から1000年、2000年と経っている宗教である。総裁は、宗教に必要とされるイノベーションについて以下のように説かれました。

「やはり、宗教に基づくいろいろなものも、数百年、あるいは千年、二千年とたってきたら、適度なイノベーションは必要だと思うのです。そのなかから、有害なものは抑えつつ、まだ今後も生き延びるべきものは何だろうかと、よく考えていくことが大事なのではないでしょうか」

 例えば、イスラム教では豚肉を食べることはタブーとされているが、当時冷蔵庫がなかったため、衛生的な観点からできた戒律であると推測される。このように、時代や地域の制約によって、普遍的な真理ではないものが教義として残っていることがある。

 時代にそぐわなくなったものは捨て去りつつも、「ゴールデン・ルール」と呼ばれる、普遍的な砂金の部分を後世に伝えていくべきです。

真のイスラムの教えとは

 大川隆法総裁は、3つの宗教の創始を天上界から導いた至高神(エローヒム、アッラー)としての自覚を持ち、その秘された本来の名がエル・カンターレであることを明らかにした。復活の愛の神の教えは、世界のイスラム教国にも広がりつつある。

 キリスト教の宗教改革は14~15世紀。ウィクリフやフスらが「聖書回帰」を求めて立ち上がり、16世紀以降のルター、カルヴァンに引き継がれた。ルターは、「教典のみの宗教」を主張して聖書をドイツ語訳し、カトリックの聖職者だけが持っていた聖書の解釈権を一般の信者にも開放した。

 これと同じように、イスラム法学者が持つイスラム教の解釈権を自由化しないといけない。それを訴える宗教改革者の出現とそれを信じる人たちの広がりが、イスラム教改革の出発点となる。

 今後、宗教対立の解決を進めていくには、イスラム教、キリスト教の双方のイノベーションが必要です。

 大川隆法総裁は、2010年、キリスト教とイスラム教の対立の原因を明らかにするために、アメリカを指導する大天使ミカエルの霊言とイスラム教の開祖ムハンマドの霊言を収録しました(『世界紛争の真実―ミカエルvs.ムハンマド』所収)。

 その中で、ミカエルとムハンマドの霊はイスラム過激派のテロについて、次のように語っていました。

「イスラム教にはイノベーションが必要」(ミカエル)

 キリスト教の大天使ミカエルの霊は、9・11の後にイラクやアフガンで戦争を起こしたことについて、「断固たる措置を取らなければ、そうした悪の増殖を止めることはできない」とし、悪を蔓延させないためには抑止力が必要だと力説しました。

 また、一部に民間の被害が出たとしても、「大きな正義のために、我慢できる範囲であるかどうかという判断基準が働いてくる」と述べています。

 さらに、イスラム教については、「イノベーションが起きていないために、古びたものが現代人を非常に圧迫し、苦しめているところがある」と話し、今のイスラム教の考えでは、この世的に成功も発展もしないと語りました。

「キリスト教国に滅ぼされる危機を感じている」(ムハンマド)

 一方、イスラム教の開祖であるムハンマドの霊は、「アジア、アフリカ、それから西南アジアも含め、こうした有色人種たちは、白色人種の優越主義によって、かなり苦しめられたのは事実」と述べ、アメリカなどのキリスト教国が価値観を押し付けてきたことに苦言を呈しました。

 また、「アメリカ等の憎しみは、かなり深いものがあり、『イスラムを国レベルで滅ぼしてしまいたい』というぐらいの気持ちがあることは事実です」と危機感を吐露。「戦争というものは、民間人を相手にしなければいけなくなった段階で、やめなければならない」と述べました。

 テロについては、空母やミサイル、戦闘機など、圧倒的な軍事力を誇るアメリカからの攻撃に対し、そうした武器を持たないイスラム教国は、自らの命を懸け、奇策を用いる以外に方法がなかったと語っています。

 大川隆法総裁は、イスラム教の『コーラン』の中では「人を殺すなかれ」と説いていると指摘し、現代のイスラム教国の政治指導者や宗教指導者たちには神の言葉が届いておらず、それが問題であるとも述べています。

 現在のイスラム教圏の戦いは、イスラム教にイノベーションが必要であることを示している。この戦いに終止符を打つためには、イスラム教の中に寛容の精神を取り込み、欧米の植民地支配から脱するための各国の自助努力が必要である。

 今の中東の混乱の根底には、「ユダヤ教・キリスト教vs.イスラム教」という世界宗教間の対立がある。イスラム教国は悪魔の国ではない。イスラエルだけが欧米の支援で核武装を許されているというのは、バランスを欠いている面がある。

 

イスラム教は時代や地域に合わせて変化できる

 イスラム教に対して、人権問題で批判もありますが、宗教の教えと文化的伝統を分けて理解する必要があります。女性の権利を圧迫するのは、イスラムの教えではなく、その地域の伝統の影響が大きいのです。女性が車の運転を禁じられていたり、男性の後ろを歩かなければいけないのは、男性が女性を守る義務があるからです。

 また、イスラム法は、時代背景や地域に合った形で履行されるべきです。イスラム教にはそれだけの柔軟さが許されています。イスラムのルールを、今という時代や、西洋や東洋の文化とも調和できるものに変えること、そして、正義の実現こそが中東の平和のために必要なのです。

 人間は、神に創られたからこそ等しく人権を持っている。また、信教の自由を守り、それを表現するために言論の自由もある。人権や自由の尊さの根底には神の存在がある。 

 もちろん、神の名の下にテロを行うことも許されない。なぜなら、異教徒は悪魔の手下ではないし、無神論者も真実を知らない人間にすぎないからです。両者とも神に創られた人間である。

 その意味では、現在はイスラム過激派の暴力のみが注目されているが、欧米も反省する必要がある。

 15世紀末以降、欧米は中東を含む世界中に植民地を広げたが、白人優位主義の下で植民地の人々を奴隷のように扱った。2003年のイラク戦争でも、民間人を含む数十万人のイラク国民が米軍の攻撃の犠牲になった。欧米の罪は決して小さくない。 

 イスラム諸国は、信仰の下で人権や自由の価値を認める、イスラムらしい近代化を遂げるべきです。中世の呪縛から自らを解き放つことで、真の意味で平和と寛容の宗教となるはずです。

 イスラム教徒は、今、非常に難しい状況下にあると思いますが、他宗に改宗したら、殺されたり、腕や足などを切断されたりするなどという戒律は、自分たちで作ったものです。これは、現代社会では良いことではありません。人権をあまりに軽く見ていると思うのです。

 彼らは、ただ神の言葉を守っているだけですので、もし、神が戒律や人権などの問題に答えるなら、おそらく「私は愛である。私は慈悲である。その点から考えなさい。現代社会と未来社会に適応しなさい。憎しみを捨てなさい。そして、愛によって、他者からの憎しみや嫉妬を乗り超えなさい」と言われることでしょう。

 イスラム教という宗教の中心的な教えのみを考慮すべきであって、それ以外の細かな戒律は改めるべきでしょう。

 

日本のように敗戦後再出発する

 戦争で負けると、宗教が国家と切り離されてきた歴史がある。キリスト教世界は30年戦争(1618~48年)など宗教戦争の経験を通して、政教分離を選択した。日本は、戦後アメリカが神道を国家から排除した。

 イラクやアフガニスタンは、この十数年のアメリカとの戦争に負け、新しい国づくりを始めたが、イスラム国家の性格は揺らいでいない。将来のイランとイスラエル・アメリカとの戦争などがイスラム側の「敗北」となるのか。犠牲も大きいが、同時にイスラム社会のイノベーションの面もある。その際の再出発は戦後日本がモデルとなる。

 

日本の「使命」

 日本人が知っておかねばならないのは、どの解決策も、日本に深い関係があるということです。

 日本はアジアで初めて近代国家をつくり、欧米の人種差別・植民地主義をたたき壊した。イスラムを政治から切り離し、国民に自由をもたらした「トルコ革命」のモデルも日本。将来のイスラム宗教改革も、日本をベースとする新しい世界宗教がカギを握る。

 今の時点では、例えば、イスラム国による人質事件を受け、海外で国民を守れるか右往左往している状態だが、中東・アラブでの紛争の解決策を考えれば考えるほど、日本の役割は大きい。

 イスラム教圏とキリスト教圏を仲裁し、さらには、イスラム教そのもののイノベーションを導くことである。

 今後、日本は、中東での最終戦争を防ぐため、宗教的な仲裁まで踏み込んでいかなければならない。

 日本に求められる役割とは、日本が本来持つ宗教性を取り戻し、イランを中心とする中東諸国に、自由と民主主義の価値観の大切さを伝えつつ、信仰を中心とした近代的な国づくりを手伝うことだと言える。

宗教 

「仏法真理」へ戻る